霊の涙
結月が目を覚ましたとき、真っ先に目に飛び込んだのは、何人もの人が黒い服を着て、泣いている場面だった。
その先には、黒い棺桶と、たくさんの花。それから誰かの顔写真があった。
いや、それに写っているのが誰なのか、結月にはすぐ分かった。
写真に写っているのは、無邪気な笑みを浮かべている結月だった。
結月は次に、黒い服を着た人達を見た。
全員、結月の知ってる人だった。
そこまで認識し、結月は悟った。
「私……死んだんだ……」
―そしてこれは、自分のお葬式の場面――。
クラスの友達や先生、親戚や自分の家族が泣いている。
「あ……翔」
その中には、翔もいた。
俯いて震えている。
きっと泣いているのを隠してるのだろう。
結月はそっと翔のもとへ行った。
しかし、翔に手を触れようとし、右手を翔の肩に伸ばしたが、手が翔の身体をすり抜ける。
「……?」
しばし不思議に思っていたが、すぐ結論が出た。
「私……幽霊に……」
結月は翔に触れようとして、すり抜けてしまった右手を強く握り締めた。
「翔……私、死んじゃったよ……。お母さん、お父さん、お兄ちゃん、ハル、みんな……私、死んじゃったよ……」
結月は再度周りを見渡した。
全員が涙を流している。
お母さんやハルは、声を上げて泣いている。
胸が痛んだ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
結月はただそれだけを呟いた。
自分の不注意で、たくさんの人を悲しませている。
凄まじい罪悪感が結月を襲った。
いつしか、結月も泣いていた。
「翔……私どうすればいいの……これから、どうすれば……」
そう翔に訊いたが、返ってくるのは嗚咽のみ。
「翔……私まだ、翔に想いを伝えてない……」
今度は、言葉が返ってきた。
「くそ……死ぬなよユヅ……俺まだなんも……」
震えた、囁くような声だったが、結月には聞き取れた。
「翔も……何か私にやり残した事があるの……?」
結月は再度翔に訊いた。
しかし、今度は何も返ってこず、その後も翔が言葉を発することはなかった。
やがてお葬式が終わり、結月の亡骸は焼かれ、遺骨だけが残った。
それから一年が経ち、翔達は三年生に進級してからの冬。結月の命日がやってきた。
その間、結月は霊体のまま成仏が出来ずにずっと翔のそばにいた。
一日中、ただ翔や葉琉を見守っているだけなのだった。
「翔、帰ろうぜ」
「ああ」
部活が終わり、翔は友達と、葉琉は勇希と帰っていた。
結月は自分の命日など忘れ、今日もいつものように翔の後をついて行った。
「なんか私……ストーカーみたい……」
結月は一人呟き、苦笑した。
結月の言葉に反応する人は誰一人いない。それは結月も分かっているが、ずっと黙っていると気がおかしくなってしまいそうなのだ。
ずっと誰からも見られずに、人肌に触れずに、何も出来ずに、誰にも話を聞いてもらえなければそれも無理はないだろう。
翔がいつもの場所で友人と別れ、一人で歩き始めた。
「はあ……」
翔はため息を吐いた。
もう一年前の出来事だが、ずっと仲良くしていた幼なじみが死んだのだ。
その事実は、翔の心に大きな穴を開けていた。
翔は正直、結月がいないと何をしていても、物足りなかったのだ。
それほど翔の中で「結月」という存在は大きかった。
結月はそんなことなどつゆ知らず、ただ黙って翔の後を歩いていた。
お互い何を言うこともなく、ただ黙って――。
「ただいま」
翔が家につき、結月も後を追って入った。
翔は真っ直ぐ自室に入り、ベッドに倒れ込んだ。
「はぁ……」
そして溜め息。
机の上に置いてある、中学生の修学旅行で撮った結月とのツーショットを眺めた。
写真には、結月の幸せそうな、無邪気な笑みがある。
今ではもう、写真でしか見れない結月の笑顔。
翔は毎日この写真を見ては溜め息をついていた。
翔は立ち上がり、黒めで清楚な格好に着替えると、母親に「ちょっと出かける」と言って外に出た。結月も後を追う。
「どこ行くんだろ……」
路地を歩き、大通りや商店街を抜けて結月の墓を目指す。
やがて墓地が視界に入り、墓石に『桃崎之』とかかれた墓の前へ歩みでた。
そこで結月は気づいた。
「そっか……丁度一年前の今日……私が死んだ日だ」
翔は花を添え、手を合わせて黙祷をした。
長い黙祷が終わり、翔は顔を上げた。
その目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「ユヅ……俺、お前がいなきゃ淋しいよ……」
翔の目に涙がたまっていく。
「翔……」
結月はそっと翔に歩み寄り、傍らに立った。
「翔……私はここにいるよ」
その結月の囁きが翔に聞こえるはずもなく、翔の目からついに涙が零れ、頬を伝った。
「ユヅ……」
結月は黙って見ているのが辛くなり、翔を抱き寄せようとした。
しかし、腕は翔をすり抜けてしまう。
「翔……」
何度も、何度も、何度やってもすり抜ける。
「……うっ……うう……」
結月は泣いた。
しかしその目から涙は出て来ない。
霊体だからだ。
「ユヅ……」
「翔……」
お互いの名前を呼び合った。
結月は急に人肌が恋しくなった。
もう一年も、誰とも触れ合えてないのだ。
この一年、結月はその淋しさに耐えた。
しかし、今、そのすべてが溢れ出てきたのだ。
「ハル……お母さん……お父さん……お姉ちゃん……翔……! 助けてよ……! 誰か助けて……誰か……」
結月はひたすら助けを求めた。
ただひたすら――。
やがて、結月のお墓に家族が、葉琉が墓参りにやってきた。
「みんな……」
結月は助けを求めて、届くはずもない右手を伸ばした。




