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第2章


第2章

(1)

「ん~~~~~、隆司さんスーツ姿もばっちり似合ってますね!普段よりもカッコよさが20も上昇しています!!」

「いや、20って言われてもどれくらいかわからんし」

「そうですね。普段の隆司さんのカッコよさレベルが10くらいで、寝起きの隆司さんは6くらいですかね……」

「スーツ強い!?普段の俺の倍じゃねえか!」

「あ。ちなみにもんじゃをおごってくれた時の隆司さんは75です」

「それってもはや、かっこいいのは俺じゃなくてもんじゃだよね!?」

「えへ☆」

入学式当日、お昼から始まる式に備えてスーツを着込む。こうしてスーツを着ているだけで、不思議と気分が高まってくる。

「いいなあ、私も入学式行きたいです……というわけで、連れてってください!!」

「どういうわけだ!連れて行けるのは、本人と親族だけなんだよ。それに……」

「それに?」

「今日の入学式、母さんも来るんだよ」

田舎から出てきて同じ大学に進学する知り合いもいない俺は、会場の最寄り駅で母さんと待ち合わせをする約束になっている。

なんとしても片桐を入学式に連れていくわけにはいかない。

「だったら、なおさら入学式についていきたくなりました!会場の中には入れなくても、せめて入口まで!」

「それって、 もはやついていく意味ないじゃん……ダメったらダメだ」

「相変わらず隆司さんはけちんぼです。お母様とぜひともご挨拶したいのに~」

「え?お母様って、もしかして俺の母さん!?なんでそんな絶対に出会っちゃいけないような二人が出会おうとするかな」

片桐と母さんが出会うなんてこと、想像もしたくない。あの片桐とあの母さんがどんな化学反応を起こすのか、気にならなくはないけれど。

「うう、そこまで言うなら諦めますよ……親子二人水入らずで楽しんできてください」

「当たり前だろ。人生一度きりの入学式だ。最高に楽しんできてやるよ!

…………あ、ごめん。楽しむ余裕ないもだけど」

「どうしてですか?なにか不安なことでもあるんですか?」

「そりゃあもちろん、かあs――いや、なんでもない」

せっかく家で留守番してくれることになったのに、余計なことを言わない方がいい。手遅れかもしれないが、慌てて言葉を止めた。

「??」

「おっと、そろそろ出ないと電車に間に合わなくなっちゃう」

実際に時間が危ないのもあったが、話をさえぎるために慌てて家を出る支度を始めた。どうせすぐに、素直に楽しめない原因とは会うことになるのだけど……

「むう、もう行っちゃうんですね。ちゃんと夕飯までには帰ってきてくださいね!?(私の晩御飯のために)」

「はいはい。たぶん7時には戻るよ」

鏡の前で身だしなみを最終チェック。若干曲がっていたネクタイを直して、いよいよ準備万端。

「それじゃ、行ってきます!」

いよいよ大学生としての暮らしがスタートするその記念すべき第一歩を踏み出す。

玄関のドアを開けると、いつもと同じはずの景色がなぜだか違って見える。

――というか違った。

どう違うかというと、目の前にバカンスでオフを過ごしている女優みたいな女が立っていた。

「うあああああああああああああああ!!!!!!!」

条件反射的に慌ててドアを閉めて部屋に避難した。

「おい、タカ!!なんで閉めた!出て来いよー!」

あまりの事態に頭の整理が追い付かない。ただ一つ分かることは、この女性はここの合鍵を持っていて、その気になれば部屋に突入される。

いつまでもここで籠城しているわけにはいかない。

「うわああああああああああああああ!!!!!!!」

コンマ一秒でドアを開けて外に出て、ドアを閉める。きっと部屋の中までは見られていないはずだ。

「なあ、タカ。今部屋の中に女の子がいなかったか……?私の見間違いだとは思うんだけど」

「あれは、アニメキャラの添い寝枕だよ!!」

「そんな!タカってそんな趣味なかっただろ!?」

「一人暮らしが寂しかったんだよ!あれがなきゃ寂しくて眠れないんだよ!!」

自分でもなにを口走っているのか分からなくなってきた。

「なんだ、言ってくれれば私の全身像の写真くらいあげるのに」

「ん?そんなのもらってどうするんだよ」

「どうするって、その写真を使ってオリジナル抱き枕を作るにきまってるじゃないか」

「なんで実の母親写真の抱き枕を使わなきゃいけないんだよ!!

……というか。なんで母さんが家の前にいるんだよおおおお!!!」

さっきから叫びすぎて、軽く酸欠になってる。会場の最寄り駅で待ち合わせるはずだった母さんが、なぜこんな場所にいるのか。

入学式を楽しむ余裕は、早くもなくなっていた。


(2)

「いやあ、やっぱりタカのスーツ姿を生で拝めるなんて、母さん今日まで生きててよかったよ……

一秒でも早く見るために、わざわざ家まで行って正解だったな」

「それだけのためにわざわざうちまで来たのか!?」

「別にそれだけじゃないぞ?駅で待ち合わせると、人混みで大変そうだと思ったからな」

「確かに、そうかも」

地下鉄の電車内を見渡すと、スーツ姿の同い年くらいの若者が目立っている。保護者連れの人も多く、一目で入学式に行く仲間だと分かる。

これが同じ一つの駅に集結すると思うと、確かに待ち合わせるのは困難だろう。

「いいか。私たちみたいな田舎もんが東京をなめると、死ぬぞ?」

「あー、はいはい」

当たり前のことだけど、数日ぶりに会った母さんとの会話ノリは少しも変ってない。誰かに話したら笑われるだろうけど、少し安心した。

「ところでタカ、一人暮らしはちゃんとうまくやってるか?」

「ぶふう!なんだよ突然!この前も電話で話しただろ?それなりにうまくやってるよ」

「ふうん、ならいいんだけどな。なにせあんな抱き枕を買ってしまうほどだから、母さんとしたら心配になるわけだよ」

「ああ、あれのことは忘れてください……」

とっさに片桐のことをごまかすためとは言え、我ながら恥ずかしい嘘をついてしまった。母さんからの憐れむような視線が痛い。

「でも、冗談とかじゃなくて本当に厳しいようなら、最初の一か月くらい私が一緒に住んでもいいんだぞ?どうせ今はパートもやってないし」

「それは大丈夫!!ホントに大丈夫だから!!」

「そこまで否定されると、逆に母さん悲しいんだが……けど、そこまで全力で否定するってことは、なにか私を家に呼びたくないやましい理由でもあるのかな?」

「あるわけないだろ!大学生にもなって母親と同居とか、恥ずかしくて絶対に無理だってだけだよ」

「ふう~ん。ま、母親がいるとなにかと不自由だもんな。せっかくの一人暮らしなのに、女の子の一人も連れ込めないし」

「ぶふうううううう!!!!」

「なんだよ、汚いな。いきなり吹き出すなよ」

これは一般論の話だよな?態度を見ている限り感づいているようには見えないけど、意外なところで勘が良いから油断ならない。

「あ、そういえば話変わるけどさ」

母さんが話題を切り替えようとしたその時、ちょうど会場の最寄り駅を告げる車内アナウンスが鳴り響いた。

「おっと、もう着いたか」

電車は駅に着くと、ドアを開いて乗客を吐き出した。そして、降りた駅の人の多さを見て、二人して絶句する。

スーツを着た若いお兄さんお姉さん、そしてスーツでがっちり決めたお母様方で駅のホームはひしめき合っている。

「母さん、俺……」

「皆まで言うな、息子よ」

その瞬間、俺たち田舎者親子の心は一つになった。

「「東京超怖え……」」

ちなみに、ホーム階段を上った後、さらに俺たちは東京の恐ろしさを思い知らされることになる。



「母さん、俺疲れたよ」

「ああ。よく生きて帰ってきたな」

「これが、東京の大学の入学式……!!」

電車を降りて、駅のホームに降り立った後のことを思い出す。3日ほど東京で暮らして、少しは大都会にも慣れたかと思っていたけど、完全にあれは別次元だった。

まず最初に駅を出て、会場まで人並みに流されながら歩いているときに、一組の親子が桜の下で記念撮影をしていた。明らかに普通の親子のはずなのに、モデルの撮影で使うような光の反射板まで用意して……

次に見たのは、会場の隣でなぜか胴上げをしている人々、さらには大学の効果を大声で歌っている人。

入学式は応援団やチアリーディングの出し物があって、まあ楽しかった。けど、俺の精神を削る最大のイベントは入学式の後に待っていた。

「ビラ、いっぱいもらったんだな……」

母さんが俺の腕の上に山積みになっているサークル勧誘のビラを見て呆れたようにつぶやいた。自分でも、どうしてこんなことになっているのかよくわからない。

「今日って入学式だけの予定じゃなかったのかよ」

入学式が終わると、どういうわけかあれよあれよと人の流れに飲まれて、気付けば入学する大学の前に来ていた。母さんには正門の前で待っていてもらい、俺は単身大学の中に突入した。

大学の構内には、それぞれのサークルのビラを持った在学生の先輩たち。その狂気に満ちた瞳を見た瞬間、無事では済まないことを確信した。

俺が正門で待っている母さんのもとにたどり着いたのは、その30分後。その時にはすでに着ているスーツはよれよれで、両腕に大量のビラを抱えていた。

母さんはそんな俺の様子を見て、缶コーヒーを一本買って投げつけてくれた。

「いいじゃん、面白そうな大学で。タカには小洒落たやつより合ってるんじゃない?」

「その言葉、どういう風に受け止めていいかすごく悩むんだけど」

「喜んどけばいいのよ。つまらない大学が似合ってるって言われるより、よっぽどいいだろ?」

「まあ、そうだけどさ」

今日一日はたくさんの人たちに揉みくちゃにされたけど、確かに悪い気分ではない。明日から本格的な大学生活が始まるけど、少しわくわくする。

「ああ、そういえばさっき電車の中で言いかけてたことだけどさ」

大量のビラをカバンの中に突っ込んで、駅に向かって歩き出す。昼頃に始まった入学式だったが、もう外は夕日が傾いていた。

「ああ、なに?結構大事な話か?」

「いや、別に重要な話じゃないんだけどさ……あの、なんだ……」

自分から話を振っておいて、歯切れが悪い。遠慮せずに物を言う母さんにしては珍しい。

「この間知った話なんだけどな、今タカの住んでするアパートって、お化けが出るって噂なんだって?」

「ああ、そうみたいだな」

思わせぶりな話し方をしておいて、結局大家と同じパターンだった。

「いや、待て。なんで母さんがその噂を知ってんの!?」

アパートに住んでいる大家や隣の人が幽霊の噂を知っているのはなんの不思議もないが、うちに来たこともない母さんが知っているのはおかしくないか?

「なにをそんなに驚いてるんだよ。たまたまネットで見つけただけだよ」

「へ、ネット……?」

「うん、今更ながらに息子が暮らすことになるアパートの評判が気になって、アパート名で検索かけたら、ちょっと引っかかってね」

「そっかよ……」

まさかあいつも、自分がここまで有名になっているとは思っていないだろう。自称幽霊だったやつが、本当に幽霊に間違えられるなんて皮肉というかなんというか。

「もう幽霊には会ったか?」

「ああ、会ったよ」

“自称幽霊になら”と心の中で付け加える。

「もう会ったの!?……怖くなかったか?」

なにも考えずに幽霊に会っただなんて答えたけど、普通に考えて軽く受け流す会話じゃなかった。

片桐があんなやつだから忘れてたけど、幽霊って普通は怖いものだよな?

「最初は驚いたけど、今は慣れたよ」

「そんなに何度も遭遇するもんなのか!?幽霊ってそんなにレアリティ低いの!?」

「見たくなくても勝手に目に入ってくるし騒がしいし、まあ公害みたいなもんかな?」

「そうだったのか……」

母さんの中にあった幽霊のイメージが音を立てて崩壊していく。心なしか少しショックを受けているようにも見えた。

「なあ、もし本当に幽霊で迷惑してるなら今さらだけど、アパートを変えてもいいぞ?もとはといえば、対して下調べをしなかった私の原因だし」

今の状況に責任を感じたのか、母さんから思わぬ提案がきた。確かに自分の子供が幽霊の出るアパートに住んでいたら、不安にも思うだろう。

ひょっとしたら、こんなぼろアパートじゃなくて、立派な一人暮らしようのマンションに住まわせてくれるかもしれない。だとしたら、実はすごくおいしい話なんじゃ……

「やっぱり今どきこんなアパートじゃあ無理があったよなあ。あんまり安かったから、つい即決で借りちゃったけど、値段を見た時点で何かあるって疑うべきだったよなあ……タカの住んでる部屋だけ異様に安かったし」

「って、怪しすぎだろ!疑えよ!!むしろ母さんの神経を疑うわ!!!」

「お、うまいじゃん」

つまり俺は、出会うべくして片桐に出会ったってことか。幽霊が出るとわかっていながら、部屋を貸し出した大家も人が悪い。

「で、どうする?ドタバタして申し訳ないけど、もう少し良いところに引っ越してもいいんだぞ?」

確かに、こんなオンボロいわくつきアパートを出て、オートロックマンションにでも住めるなら最高だ。

けど。

「ありがとう。けど、引っ越しはしなくていいよ」

「なんだよ、別に遠慮しなくていいんだぞ?」

「そういうんじゃないよ。ただ、幽霊って悪い奴ばかりじゃないんだぞ?」

母さんは俺の言葉に目を丸くした。そして、何を思ったのか急ににやにや笑いだした。

「そりゃあ、私としたことが余計なことをしたかな?」

話しながら歩いていると、いつの間にかもう駅が目の前に迫っていた。路線が違う俺たちは、ここで別れることになる。

「ねえ。せっかくだし、このあとアパート行っていい?」

「それは全力で断る!」

「なんだよ、つれない息子だなあ。もう私とお別れになって寂しくないのか?」

「そういうわけじゃない、けど……その言い方は卑怯だぞ」

まさか部屋に呼べない理由が、家出中の女の子が住み着いているからだなんて口が裂けようと、どんなに脅されたって言えやしない。

「冗談冗談。元気でやってるのは十分わかったし」

「母さん……」

ようやくこの苦難から解放される。そっと胸をなでおろす。

「さて、じゃあそろそろ行くかな」

「おう、じゃあな」

「それじゃあタカ。可愛らしい幽霊ちゃんと仲良くやれよ!」

そう言うと母さんは、逃げ去るように走って改札口に向かっていく。今度はしばらく会えないって言うのに味気ない別れだ。

「ていうか今なんて言った!?」

今母さんが言った言葉を反復する。“可愛らしい幽霊ちゃん”と、確かにそう言った。

「なんで幽霊が女の子だって知ってんの!?」

幽霊の特徴に触れるようなことは一言も言わなかったはずだ。それでも、なんとなく最後の方ばれている節はあった気がする。

「これでばれてたら、あの人恐ろしすぎでしょ……」

その時、ポケットの中で形態が震えたの感じた。すぐに取り出して画面を見てみるとついさっき別れたばかりの母さんからのメールだった。

『一人暮らしうまくやっているようで安心しました。この調子で、幽霊ちゃんともうまくやってください。相手が幽霊だから何をしても許されるだなんて思っちゃいけませんよ?』

「やかましいわ!」

『P.S.それと、母親という生き物は息子のことなら何でもわかります。隠し事なんて無意味だと知りなさい』

その時俺は初めて母親の偉大さを知り、背筋をなでられたように鳥肌が立った。


(3)

「ああ、本当にもう無駄に疲れた……」

母さんの相手と先輩たちの熱い歓迎を受けて、たったの半日でもうへとへとになっていた。今すぐベッドの上で横になりたい。そんなことをあの居候少女が許すとは思えないが。

ともかく、早く家に帰りたい。その一心でアパートにまでたどり着いた。しかし、アパートの前にたどり着くと、なにやら不穏な景色が広がっていた。

怪しげな男が3人、カメラを片手にアパートの前でたむろしてた。

「おいおい、どこまで面倒事が重なるんだよ……」

とにかく、触らぬ神に祟りなし。出来るだけ3人組を視界に入れないように、無視して自分の部屋に向かう。

「そ、そこのきみ!もしかして、ここのアパートの住民かい?」

向こうから絡んで来ただと!?無視することもできずに、おとなしく3人組の方を振り返る。

「そうですけど、だったらなんですか?」

30代くらいで小太りの男とガリの男、そしてかなりデブっている男が一人ずつ。言っては申し訳ないが明らかに怪しい。この一番デブの男には、”ピザ“とあだ名をつけることにした。

「じ、実は僕たちこのアパートにお化けが出るって聞いてやってきたんですけど、きみ何か知らないかい?いつごろ現れるとか、どこでよく見るとか」

「…………」

まーーた、あいつかよ!!目の前の3人組には聞こえなように、心の中で叫ぶ。噂になっているのは知っていたが、まさかこんなもの好きがわくほどとは思わなかった。

「さあ。なんかの間違いじゃないですか?幽霊の噂なんて、聞いたこともないですよ」

この面倒くさいオカルトマニアには、さっさとお引き取り願おうと適当に嘘をつく。すると、3人は驚いて顔を見合わせた。

「ど、どうする?住んでる人が知らないんじゃ、ガセだったのかな?」

中でも一番気弱そうな小太りの男が、困ったような声を出す。

「ばっきゃろう!!そうやってすぐにガセだと疑うのはお前の悪い癖だぞ?この前のツチノコ捕獲作戦だって、お前が最初っからやる気になっていれば成功したんだ!」

「いや、ツチノコとか俺らの守備範囲外だし……」

「ばっきゃろう、おまえ!ツチノコの魅力がわからねえのかよ!」

なぜか小太りとガリの男が口論を始める。その様子を隣でピザが我関せずと言った様子で眺めている。それにしてもこのガリ男、オカルトマニアでUMAも好きとか、手の付けようがない。

「あんなしょうもない生き物に魅力を感じる方がどうかしてるよ……」

「あんだとおお!!??ツチノコに向かってしょうもないとか、おまえ――」

「そんなことよりピザ食べたい」

小太りとガリの論争は、ピザの一言によって唐突に終わりを告げた。そろそろ俺、帰っていいですかね?

「すいません、大変お見苦しいところをお見せしてしまって……ところで、これをちょっと見てもらえますか?」

そういうと、小太りの男は一枚の紙を取り出した。どうやら、パソコンの画面を自宅で印刷してきたものみたいだ。

その印刷されている内容を見て驚愕する。

「“ホラーアパートへようこそ”だと……!?」

その文字とともに写真が写っていて、その写真は間違いなくうちのアパートそのものだ。そして、一番驚いたのはその写真の隅っこに、ぶれてはっきりしない片桐が写りこんでいること。

夜アパートの不気味な雰囲気と相まって、写りこんでいる片桐は少しそれっぽい。

「このアパートで、まず間違いありませんよね!?」

絶対にあの大家のおばさんが面白がってホームページを作成したに違いない。

「そうっすね……」

こんなものを出されたら、もうこれ以上は否定できなかった。

「この見きれている女の子が写っている場所って、ここの二階の廊下ですよね!?」

「え?いや、まあ……」

肯定しかけたところで気付く。この片桐が写っている場所は、俺の部屋の前。つまり、今片桐が留守番している部屋の前だ。

「ちょっとまっ――」

すると、男3人は俺の制止も聞く前に階段を駆け上がって行った。

「ホントにもう、いい加減にしてくれ……待てって言ってんだろー!!」

3人を追いかけるように、階段を駆け上がる。こんな訳の分からないおっさんたちに、自分の部屋の前をうろちょろされるのは、さすがに不愉快だ。

「写るかな!写るかな!」

おっさん3人はそんなことを言いながら、写真撮影にいそしんでいる。その幽霊である当の本人は今、部屋の中に待機しているから写るわけはないが。

「う……

写ったああああああああああ!!!!!!!!」

ガリのおっさんの歓喜の声が轟く。

そんな訳はない。片桐は今、部屋で留守番をしているはずだ。片桐のほかに本物の幽霊でもいない限り、写真に写りこむわけがない。

「隆司さーん。なにを廊下で騒いでるんですか?それに、このおっさん3人衆はいったいなんなんですか」

扉から顔を出した片桐がこっちを見ている。

その瞬間、あたりを静寂が包み込んだ。おっさん集団は、何度も手に持っている幽霊の写真と片桐とを見比べる。

やがて、口をそろえてつぶやいた。

「「「生きてんじゃん……」」」

3人はとぼとぼとうなだれた様子で、このアパートを後にする。あれだけ騒いで好き放題していって、まるで嵐のような連中だ。

「で、結局さっきの3人はいったいなんだったんですか?なんだかすごく嫌な感じの人たちだったんですけど……」

「オカルトマニア、らしいけど詳しいところは俺もよくわからん」

「人の顔を見るなりガックリして帰っていくなんて、本当に失礼な人たちです!」

「そうだな……けどまあ、あいつらと会うことはもう二度とないだろうから安心しろ」

俺としても、あんな連中とはもう関わりたくない。けど、これを機に片桐が幽霊だという誤解が解けていくなら、あんなやつらが観光にやってくることもなくなるだろう。

そして、その日を境に、このアパートの噂は全部消え去ったとか。


(4)

「あのあの、隆司さん!今日は帰り何時ごろですか?」

「うーん、細かい時間は分からないけど、どっかのサークルの新歓行ってくるから、また23時とかになるかもな」

「ぶー、またサークル見てくるんですか!?そういう冷やかし的なのはよくないと思いますよ……?いや、ほんとは留守番するのが嫌なだけなんですけど……」

「悪いな、同じ学部のやつといろいろ新歓回る約束しててさ」

入学式の日から3日が過ぎて、その日以来日付が変わるぎりぎりに帰宅する日が続いていた。相変わらず学校は新歓ムード一色で、数えきれないほどのサークルがひしめき合っている。その中で興味あるサークルに行ってみたり、付き合いで一緒に見学に行ったりと、まだ授業が始まっていないというのに、忙しい日が続いている。

友達も多くはないけど、一応できた。今のところ、楽しく過ごせている気がする。

「ふ~~ん。楽しそうでなによりですね。この時期にできる友達なんて長続きしないでしょうけど、せいぜい今を楽しく過ごすがいいですよ」

「なにそのキャラ!?何気にちょっとリアルな話やめてくれよ……」

「ふーんだ!もう隆司さんと一緒に遊んであげませんからねー!!」

それって、自分で自分の首絞めているだけだろう……けど、いやいや言いながらも片桐と遊べなくなるのは少し寂しい。

それに考えてみれば片桐は、俺が大学に行っている間ずっとこの狭い部屋に一人で留守番しているんだ。俺がこの部屋に入居する前はどんな風に生活していたのか知らないが、そのころは一人でいるのが当たり前だったんだろうから、寂しい思いなんて感じずにいられたのだろう。

とはいえ、まさか大学に行かないなんて選択肢はないが。

「悪かったよ。できるだけ早く帰ってくるようにするから」

「むう……私、一人は嫌ですからね?」

普通だったら、今頃高校に通っているような年齢だ。それを、学校にも通わずにこんな狭い部屋にこもって暮らせなんて、酷なことを言っている気がする。

以前、生きていれば16歳だなんて言っていたけど、このくらいの年齢ならいろんなところにお出かけをして、友達と遊んだりしたいだろう。そんな当たり前の幸せさえ、あの母親は片桐から奪ったのだ。

「大丈夫だって、俺は絶対に一人になんてしないから」

「本当ですよ?もう、誰かから見捨てられるのはたくさんですから……」

なんで片桐が母親とこんな関係になってしまったのかは分からない。たぶんきっと、それは簡単な理由じゃないはずだ。

けど、俺は片桐を見捨てるようなまねは絶対にしない。

「ったく、心配性な奴だな……って、そろそろ家出なきゃ」

その瞬間、片桐の顔がみるみる青ざめていく。

「そんなー!!今いい感じの空気だったじゃないですか!この雰囲気の中、普通出かけますか!?ここはかわいそうな私のために、今日一日家にいてやるよってなる場面じゃないんですか!?」

「いや、そうしてやりたいの山々だが、俺もさすがにサークル難民にはなりたくないからな。なるべく早くには帰るから」

片桐は口を大きく開けて、固まったまま動かなくなった。ピクリとも動かないで、しばらくの間呆然と立ちつくしていた。ショックなのはわかるが、さすがに出かける支度までして家に残ることは求めないでほしい。

あまりにも呆然と立ちつくしているから、再起不能かと思いきや、しばらくすると復活して普段の顔に戻った。

「分かりました。でも、さすがにずっと家にいるのはつまらないので、たまにはお出かけしてもいいですか?」

「あ、ああ。別にいいけど、誰かに見られるなよ?」

この前合鍵を作って渡したから、一応自由に家を出はいりできるようにはなったが、一応片桐と同居していることは大家とかには隠している。何度も目撃されてるし、ばれるのは時間の問題だろうけど。それよりも、妙に物分かりがいいのが気になった。

「そんなヘマ、私がするわけないじゃないですか!せいぜい楽しんできてくださいねー」

「悪意がたっぷり満ちたお見送りありがとよ。言われなくても楽しんできてやるよ!」

外に出ると、春のまぶしいくらいの日差しが照り付けてきた。新歓に行くには絶好の天気だ。けど、今日くらいは飲み会に行かずに早めに帰ることにしよう。別に片桐のためとかじゃなくて、こんな生活を続けていたら体が持たない気がする。いや、ほんとにあいつのためとかじゃなくて。

自分でも誰に言い訳しているのか分からないが、こっちに来てからほとんどゆっくりしてないし、今日と明日の日曜日くらいは家でのんびりしよう。そう心に決めて家を出る。

どうせ大学では飢えた野獣のように勧誘を迫ってくる先輩たちに囲まれるんだ。それが楽しくもあるけど、今から少し憂鬱になった。


「へい、君たち!いい身体しているねえ。なんかスポーツでもやってた?うちでフットサルやんない?」

「だ、大丈夫です……」

正門の前で友人と待ち合わせをして、学校に向かうと行き着く暇もなく勧誘されまくる。さっきから一歩進むのも精いっぱいな状況だ。

「うっわあ、今日は一段とヤベえな。まともに歩くこともできねえじゃんか」

「これだけいろんなサークルに勧誘されると、逆にどれも行きたくなくなるな」

「いやいや、それはねえだろ。けど、どこに入っていいか、すんげえ悩むのはわかるわ」

俺たち二人は、トイレの中で束の間の休憩を堪能する。どうせトイレの外に出れば、また先輩たちからの圧倒するような勧誘を受けるんだ。学校に来てから30分も経っていないが、早くも心が折れかけていた。

二人でのんびりできる空気を堪能していると、トイレのドアが開いて数人の男が入ってきた。それもなんのサークルか知らないが、屈強な身体をした男たちだった。

「むむ!きみたちいい身体してるねえ。どうだい、俺たちと一緒に青春の汗を流さないか!?」

「ええ!?」

まさかトイレの中でまで勧誘されるとは思わなかった。それに、この屈強な男たち、明らかに怪しい。勧誘してきたくせに、なんのサークルなのかわからないし。

「なあ、こいつら怪しすぎねえ?」

友人が男達には聞こえないように耳打ちしてくる。

「いやあ、本当にいい身体だ。素質十分だよ」

さっきフットサルの勧誘に来た人たちの言っていた、“良い身体”とはまるでニュアンスが違う。もっと別の意味合いが含まれているように思えてならない。

「あの、僕たち用事あるので……」

男たちの脇をすり抜けて逃げ出そうとしたが、立ちふさがれる。ここまでくると、さすがに少し恐怖を感じる。

「ちょうどいいことに、ここのトイレにはあまり人が来ないんだ。せっかくだから、俺たちの普段の活動を体験していってもらおうか」

そういえば、聞いたことがある。前にどこかのサークルに行ったときに警告された、「うち学校のとある校舎に、ゲイサークルの拠点があるから気を付けろ」という言葉を思い出す。

「おい。逃げるぞ、拓真」

合図を告げて、321で走り出す。引き留めようとする男たちをすり抜けて、トイレの外へ駆け抜けた。トイレの外まで出てしまえば、さすがにこれ以上やつらが追ってくることはなかった。

新歓期間最終日、大学にいる人たちの多様性を思い知る。もう心が折れそうなんですが……

お互いに今のは無かったことにして、一番賑わっているキャンパス中央の広場に足を運ぶ。いろいろなサークルがそれぞれの発表を行ったりしていて、見ているだけも十分楽しい場所だった。

「なあ、おい。いい加減、どっかサークル決めないとまずいんじゃねえの?とりあえず、今日行くサークルだけでも決めねえと」

いろいろなサークルに声をかけられながら、二人で適当にぶらぶらと時間をつぶしていく。ほかの新入生は、だんだんと先輩について行って、なんだか俺たちだけ波に乗り遅れたみたいだ。

「確かに、やばい。結局、友達って呼べるのもお前くらいしかできてないし……」

何人か新歓で仲良くなったやつはいたけど、学部も違ったし結局続かなかった。この時期にできた友達なんて長続きしないと、片桐の言葉が突き刺さる。

「まあまあ、悩んでてもしょうがねえし、とりあえずどっか行こうぜ!」

拓真の励ましで気合を入れなおしたとき、どこかから騒がしい声が聞こえてきた。声の方向を振り向いてみると、どこかのサークルが新入生を囲んでいるのか、小さな輪が出来ている。

「え、君まじで1年生?高校1年生の間違いじゃなくて?」

耳を澄ましてみると、そんな会話が聞こえてくる。高1と間違えられる大学生ってどんなんだと気になって、少し輪の方に近づいてみる。

「お?早速行ってみるのか?」

後ろから拓真もついてくる。見たところ、輪の中には新入生も多くいそうだから、二人でのぞいてみるもいいかもしれない。

「だーかーらー、私はちゃんと新入生ですから!」

この時、その声を聞いて嫌な予感が駆け巡る。その声を、俺はどこかで聞いたことがあった。

「もしかして、飛び級とか?すげえ優秀で、アメリカで高卒資格取ったとかさ」

「おまえ、漫画の読み過ぎじゃねえの?現実にそんな奴いねえって」

「これでも、ちゃんとれっきとした大学生です!」

上級生たちに笑われながらも、必死に大学生だと言い張る少女の顔は……

――どこからどう見ても、片桐だった。

「なに、しちゃってんのおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!??????」

片桐にバレないように、なるべく小さな声で魂の雄たけびを上げる。隣で拓真が不思議そうに首をかしげているが、幸い片桐には気付かれていない。

こっそりと輪に近づくと、どさくさに紛れて新入生の集団に紛れたこんだ。

「まあ分かったよ。大学生ってことにしてあげるけど、うちのサークル来るの?ちょうど今からお花見やるし来なよ。ほかにもいっぱい新入生来るし」

「行きます行きます!それはもう、ぜひ行かせてください!」

片桐のハイテンションは、外に出ても相変わらずだ。珍しく外出したいなんて言うから、何事かと思ったが、まさかうちの学校に来るとは思わなかった。何かしでかすんじゃないかと、見ているだけでものすごくハラハラする。

「おい、隆司。ここオーランサークルじゃん。こんなところ行くのか?」

「げ、オーランだったの!?」

片桐に近づくのに夢中になって、なんのサークルかも調べずに突入してしまった。よりにもよって、テニサーと並んで2大チャラサークルに君臨する(偏見)オールラウンドサークルに来てしまったとは……

こんな輪の中に入っておいて、今更抜け出すこともできない。それになにより、片桐がこの後どうするのか、気になってしょうがない。大学生のお花見に参加する片桐……絵面を想像しただけで笑えてくる。

といっても、今は俺が保護者みたいなもんだから、なにか粗相をする前に止めるのが仕事なわけだけど。大学生のお花見の席ともなればアルコールだって置いてあるだろうし、実は責任重大だったりする。

「さ、みんな移動するよー」

先輩に誘導されて、俺たち新入生は近くのお花見会場まで移動する。学校のすぐそばに小さな公園があって、どのサークルもそこに場所をとってお花見を楽しんでいる。

「ねえねえ。きみどこ住み?マジで見た目若いよね。いや、もちろんいい意味で」

相変わらず片桐は注目の的で、歩いている途中もたくさんの先輩にからまれていた。今は紙を明るい茶に染めた、一見チャラそうな男が嬉しそうに質問を投げかけている。

そりゃ本来なら高校に上がったばかりに年齢のはずだし、そんなやつが新入生と偽って大学の中を歩いていたら、誰だって気になる。

「家はすぐそばですよ。赤里っていう場所にあるアパートに寄生させてもらってます!」

「え、なに?寄生?寄生……?赤里で一人暮らししてんの?」

「いえ?二人暮らしです!隆司さんと二人で暮らしてるんです。私が憑りついていた部屋に、後から隆司さんがやってきたんですけど、今では料理とか身の回りの世話をいつもやってもらちゃってるんです」

「そ、そうなのか。あはは……」

チャラそうな男の先輩は顔をひきつらせて、精いっぱいの苦笑いを作っている。さっきからこの二人の会話がかみ合わないのが、見ている分には面白い。片桐と会話を成立させるなんて、素人には至難の業だ。なぜだかちょっと得意げになった。

大学の構内からは5分と歩かないところに、お花見の場所はある。だんだんと桜は散っていき、もうほとんど葉桜になってしまっているが、それでも大学生たちはお花の様子なんて気にせずに、酒を飲んで騒いでいる。

「おーい。新入生連れてきたぞー!」

そこではさらに大量の先輩がアルコールの缶を片手に待っていた。どこからどう見ても、明らかにチャラサーだ。

これ、無事で帰れるのかな……

嫌な汗が噴き出してくる。

「って、うおう!この子新入生!?若っ!!」

今回ばかりは途中で逃げ出すわけにはいかない。その元凶はすぐ目の前で、さっきの繰り返しのように、先輩たちから質問攻めにあっていた。

やがて全員ブルーシートの上に腰を下ろすと、いくつかのグループになって落ち着いた。もとろん、俺と片桐は別のグループだ。

だからなのか、片桐はいまだに俺のことに気づいていない。別に気付いてほしいわけじゃないけど、ここまで気づかれないと微妙な気分だ。

「あたし~、大原夏帆。学部は経営で、カホって呼んでね~」

何時の間にかグループごとに自己紹介が始まっていて、慌てて自分の方に集中する。片桐がどんな自己紹介をしたのか、自分の方に集中していたせいで、聞くことはできなかった。

自己紹介も終わってだんだんと落ち着いてくると、拓真も含めグループの人たちと落ち着いて話せるようになった。「どこの出身なの?」とか、「なんか部活やってた?」とか、当たり障りのない話題ばかりだけど、和やかに会話が出来た気がする。

時々気になって片桐の方を見てみると、いつも大勢の人に囲まれて楽しそうに話をしている。面倒を見るのは疲れるけど、たまにはこうして外に出した方がいいかもしれない。ずっと家にこもっていたうっぷんを晴らすよう楽しんでいる片桐を見ていると、そう思う。

ただ、もう二度とうちの大学には来ないでくれ……

ずっと部屋に引きこもっていた片桐にとって、俺以外の誰かと話ができるのはきっといい刺激になるはずだ。

年齢は離れているけど、このお花見でもしいい友達ができたなら、片桐にもなにか俺以外の安心できる場所が作れるかもしれない。

高校に通えていない片桐に、うちの家以外に居場所ができたらいい。

俺は近くいる人たちと談笑しながら、そんなことを考えて片桐の姿を眺めていた。相変わらずたくさんの先輩と新入生に囲まれて、楽しそうに話している。けど、その光景になにか変な違和感を覚えた。その片桐を囲む周りの人たちの目が何か違う。

確かに楽しそうに笑っている。けど、その眼は何か違う。まるで、珍しいものを見るかのようで、さらにその笑い声も、相手を小ばかにするような声にさえ聞こえてしまった。

「えと、それで今は隆司さんの家で暮らしてて……もともとその家には私が勝手に住み着いてたんですけど、そこに隆司さんが正式に部屋を借りて住むことになって……ええと、なんて説明すればいいんですかね」

「ねえ、そういえば片桐さんて学部と学科どこだっけ?さっき自己紹介の時に言ってなかったよね?」

一生けん命に言葉を探っていた片桐は、突然の質問に答えを窮してしまう。あいつがうちの学校に学部なんて知っているわけがない。「えっと、学部……学科?」そう口元でつぶやいているのがここからでも分かった。

「えと、学部は文学部で……」俺の学部だ。どこかで聞いていたのか?

「ホント!?学科は?」

「学科……学科は……」

そこで、いよいよ完全に黙りこくってしまった。片桐に大学生のふりなんて、初めからできる訳がなかった。周りのやつらは怪訝な顔をして、少し離れたところから眺めている。別に大学生のふりをした片桐じゃなくて、普通に16歳の片桐を受け入れてほしい。幽霊じゃない、生きている人間としての片桐を受け入れてくれる、そんな人がいてほしかった。

「自分の学科も分からないの?」

この位置からでは死角になって見えないところから、誰かがそんなことを言った。懸命に言葉を探していた片桐にとどめを刺すような形になり、完全に周囲の人に怯えてしまった。

奇異の目にさらされて、わずかに肩を震えさせているのが分かる。

もう十分だ。片桐はまた、この場にいることを許されていないと、そう思い込んでしまう。片桐にとって、自分の居場所を失うことほど怖いことはないはずなんだ。

だったら、こんな場所自分から捨ててやれ。

周りの目も気にせずに、俺は迷わずに立ち上がった。付き添いでついてきてもらった拓真には軽く謝って、片桐のもとへ向かう。

ずっと顔を下げてうつむいたままの片桐は、俺が目の前に立ってもまだ気づいていない。いい加減気づけ、バカ。

「おい、片桐。帰ろうぜ」

「え、隆司さん……?」

ようやく顔を上げて、俺のことに気づいたみたいだ。「こいつがあの隆司?」みたいな視線が辺りから一斉に向けられて、なかなかに居心地が悪い。無駄に人の名前を会話に出してくれたせいで、余計に気まずい思いをすることになったぞ。

「家、帰ろうぜ」

状況が呑み込めないのか、しばらくの間小さく口を開けて、呆然と俺の顔を見上げている。そして、やがて心の整理が出来たのか、「うん」と小さく返事をして、俺の手を取り立ち上がった。

そんな一連の出来事を、サークルの人たちは呆然と見つめている。一応、「ありがとうございました」と、一言だけお礼を言って立ち去った。

もう今後一切、このサークルの人たちには関われないと考えると、なかなかに憂鬱だ。別に仲良くなる気はないけど、キャンパスだって大きくないし、4年間の大学生活で何度か顔を合わせる機会もあるだろうし、これからの大学生活が早くも心配になった。



「ったく。結局サークルだって決まってないし、踏んだり蹴ったりだ」

「うう、ごめんんさい」

「気にすんなって。別にあんなサークル、最初から入るつもりもなかったし」

「隆司さん、また入る気もないサークルを冷やかしに行ってたんですか?まったく、前にも言いましたけどそういうのはよくないですよっ!」

俺がなんであの場所にいたのか、少しも分かっていないみたいだ。どうせ俺とお花見の場所が被ったのも、すごい偶然だとか思ってるんだろう。

「今日、楽しかったか?」

「なんでそんなこと聞くんですか?」

「なんとなく、アンケートだよ」

公園を占拠してお花見をしている、たくさんのサークルを横目に見ながら俺と片桐は家を目指してのんびり歩く。ふと片桐の横顔をのぞいてみると、いろんな人から質問攻めにされていた時は、あんなに青ざめていたのに、何事もなかったようなケロッとした顔をしている。

最終的な結果はあんなことになってしまったけど、ひさしぶりに俺以外の人と話が出来て、楽しかっただろうか。

「楽しかったような、気がしなくともないような……気がしなくとも、なくもなくもなくもないです」

「どっちだよ、まったく」

「どっちだっていいんですよ。だって、私のことを受け入れてくれる人なんて、誰もいないんですから」

片桐はあの母親に見捨てられている。それだけでも、人と関わることを怖がる理由には十分だ。だけどたぶん、片桐はきっとそれだけじゃない。

片桐にはたぶん、何もない。

母親の名前しか登録されていなかった、簡素な携帯のアドレス帳とか、家出をしても誰にも頼らず一人で暮らしていたこととか……嫌でも分かる。片桐は、ずっと一人だ。

「でも、今は俺がいる」

「はい!だから、今は私すごく幸せなんですよ?私は変な子だから、ずっと友達なんてできなくて一人ぼっちだったから……隆司さんがいてくれて、すごく幸せです」

そういってくれることは、確かに嬉しい。けど、本当にそれでいいのか、疑問はまだ頭の中から消えてはくれない。片桐には俺一人いればそれでいいのか、簡単には割り切れない。

なんとなく片桐の方を振り向いてみたら、ちょうど目が合ってしまった。普段はどうってことのないことのはずなのに、どうしてか思わず目をそらしてしまった。それに気づいたのか、首をかしげている。

「のわあっ!!」

歩いていると突然、片桐の顔が目の前に現れた。俺の顔を覗き込んで、じっと見つめている。顔が……すごく近い。

「な、なんでしょう?」

あまりの顔の近さに、ついどぎまぎして敬語になった。

「隆司さん、さっき目をそらしました」

「細かいことを気にするな」

「細かくなんてないです!された側は結構傷つくんですよ?」

片桐はまた、ほっぺたをぷっくりと膨らまして腹を立てている。相変わらず迫力はないけれど、たぶん結構本気で怒ってる。

「悪かったよ。なんか、ちょっと気恥ずかしかったというか、そんなわけで……」

適当な嘘をついて、なんとかその場をごまかした。片桐には、俺がいれば本当にそれだけでいいのか?とか、そんなことを考えていたから目をそらしたなんて、まさか言えるわけがない。

「まあ、そういう理由なら許してあげなくもないです」

ちくしょう、何様だ。居候のくせに、どんどん態度がでかくなっている気がする。ひょっとしたら俺って、結婚したら尻に敷かれるタイプなのか?

「隆司さん。今日の夜ご飯ってなんですかー?」

「ああ、そういえば考えてなかった。もともと食べてくる予定だったからなあ……誰かさんのせいで早々に引き揚げる羽目になったけど」

「ずっと私のことほっといたから、バチが当たったんですよー。これに懲りたら、サークルの冷やかしなんてやめて、ちゃんと私にかまってくださいね!?」

「あいあい、善処するよ」

俺からの適当な返答に、片桐は少し不満そうだ。俺と片桐の、不思議な同棲生活が始まってからある程度の時間がたって、だんだん俺に頼ってくれることも増えてきた。俺を必要としてくれることは素直にうれしいけど、必要としているというよりは依存していると言った方が正しいかもしれない。

だからもう、確信した。俺一人じゃだめだ。

家族が、友達が、必要なんだ。

誰でもいいから、一人でも片桐のことを理解してくれるやつが一人でもいないと、きっとどんどん俺に依存していくことになる。

見つけなくちゃ。なんとしても。

「さ、夕飯の材料買ってから帰るぞー」

「はいはい!私はハンバーグを所望します!」

「よし、今日は焼き魚にしよう」

「ぐほぅ!いや、別に嫌いじゃないですけど……!」

そんなこんなで、今晩のメニューはチャーハンに決まった。理由は当然、作るのが面倒くさかったからだ。


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