13. 歌うこと ~Singing~ Ⅰ
目を覚ますと、辺りは壁で覆われていた。壁は灰色のコンクリートで出来ている。どうやらここは部屋の中のようだ。しかし僕はすぐにそれは違うと思った。ここは部屋と呼べるような快適さはどこにもない。ここは取調室だ。刑事ドラマで必ず登場する、あの牢獄のような場所だ。僕はパイプ椅子に座っていた。目の前には銀色の机があり、その向かいにもパイプ椅子はあった。本当にそこはテレビ画面に映る映像そのままだった。
背後でドアの開く音がした。僕は危険を感じて振り向いた。逃げられるなら逃げ出してしまいたかった。しかしそれは残念ながら叶わぬことのようだ。
入ってきたのはアイヴィーグリーンの軍服姿を着た男性だった。年齢は三十代から四十代ほど。口の周りには白いひげをたくわえている。さほど太ってはいないが、腹部はでていた。顔立ちは欧米人。僕は表情を平然とたもち、何も怯えてはいないという風を装った。「装った」ということは嘘をついたということだ。本当のことを言えば身体じゅうが恐怖の煙に覆われていた。これから拷問にかけられ用済みになったら殺される。その一連のパターンが頭から離れなかった。
男は椅子に座った。僕は奴を睨みつけた。男は何も動じず、口を真一文字に引き結び、憐れみの目で僕を見た。どうやら僕は軽蔑されているようだ。構わない、僕はマスターから与えられた使命を果たすまでのことだ。それまではいくら恐怖が降り積もっていようと死ねない。
男は机の上で手を組んだ。取調室は音の一つもなかった。
「お前だな、マスターに作られた救世主というのは」
男は初めてとなる声を発した。尋問を開始した、というところだろう。僕は黙っていた。
「黙秘権を主張するのか。まあいい。左手にあるその銃剣がなによりの証拠だからな」
僕は黙っていた。強い気持ちでいたせいか、恐怖は半減していた。
軍服姿の男は僕を黙視した。それでも僕は口を閉じていた。男は椅子の背にもたれると激しく頭を掻いた。それでも僕は口を閉じていた。
「お前が俺を敵だと思っているのなら、それはそれで構わない。だけどな、いま俺がここに居るのはお前を拷問にかけるためでも、奴隷にさせて扱き使うためでもない。俺はお前に一つ話したいことがあるんだ。お前の考え方を変えるかもしれねえとても重要な話だ。分かったか?」
僕は男の言葉を聴いて嘲笑してやろうかと思った。考え方を変えるだと? こいつは何を言っているのだろう。僕がお前の言葉を信じる訳がないじゃないか。
そんな僕の思いは奴に伝わらず、男はさとす様に口を開いた。
「そういや自己紹介がまだだったな、たぶんお前もこの名前は知っているはずだ。俺の名前は匡胤。お前が最初に立ち寄った、あの小屋の手紙を書いた人間だ」
男が何を言おうと、僕が動じることはない。―――そのつもりだった――― しかしそれはすぐに限界を迎えてしまった。僕は目を大きく開き、彼の目を見つめた。彼は笑いながら話を続けた。
「驚いただろう。そう、俺は匡胤。お前のことは全部知っている。そして俺は現実の人間じゃない。確かに『ヴィル』側についてはいるんだけどな。でもそれは、お前を奴隷にするためじゃない、お前を助けにきたんだ。お前は今、イデアだとかいう女のせいで誤った道を進んでいる。宝石、荒野、谷、洋館、トンネルと順調に進んでいたのに、あいつのせいで途端に狂った。お前は街へ行くべきではなかったんだ。あの地点からマスターの計画はとても面倒な方向へと指針を向けてしまった」
僕は訳が分からなかった。「どういうことだ?」
「理解できないのは仕方がない。今までずっと奴に嘘を吹き込まれていたんだからな。だがもう大丈夫だ。お前にはこれから、本当の真実を話す。マスターがなぜお前を造ったのか。なぜお前は生きているのか。この旅のゴールはどこなのか。俺が全て話す。覚悟はできてるな?」
僕は頷いた。頭はすでに冷静を取り戻していた。
「まずお前に確認してもらいたいこと、それはイデアこそお前を惑わせた張本人だということだ。奴はマスターの計画を根本からぶち壊しやがった。あいつは悪の権化なんだ。お前には信じられないことかもしれないがな」
「彼女のことを悪く言うつもりなら、僕はあんたの言うことを信じない」僕はきっぱりと言った。さっきは動揺したが、今は男の言うことに半信半疑どころか、疑いの要素しかなかった。
男は鼻息を荒くした。
「じゃあ、何をしたら信じてもらえるんだ。俺はお前の今までの経緯を全部知っているんだぞ。これだけでも十分な材料だろう」
「あんたは現実側の人間なんだろ。そこまでの奴なら、僕の経緯を知っていてもおかしくはない」
男はため息をついた。「ああ言えばこう言うな。そんなに疑うならお前から条件を出してみてくれ」
僕は少しだけ考え、すぐに言った。それを思いつくのには将棋中継の解説を理解することよりも容易なことだった。
「僕には好きな木の種類がある。それと、マスターが暗示のように繰り返している、英語のメッセージ。その二つを答えられたら考えよう」
難しい質問だ。僕は言いながらそう思った。しかし男は、弱った表情を一切見せなかった。
「まず一つ目はヒノキだな。マスターも同じものが好きだった。それからあの台詞は……。恐らくだがHe began to run. I sing in a place unrealistic. Gorgeous colors went away and leave me. I seek the light of seven colors. 覚えている範囲でそこまでだ。これでいいだろう」男は人差し指で耳の中をほじくった。
心臓が一瞬だけ止まった。驚いた。こんなに早く答えを言われるとは思いもしなかった。しかし簡単に折れるわけにはいかない。僕は無意識に腕を組んだ。
「話だけは聴いてやる」
男はにやりと笑った。