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11. 争うこと ~Competing~ Ⅴ

 朝。

 淡くにぶい光は目をつむったままでも僕の意識にはっきりと届いた。僕はそれをすぐに認識したが、身体を起こそうとはどうしても思えなかった。それは自分の中で緩慢な気持ちが別にあったわけではなく、これから現実と対峙していくという恐怖、未知の秩序が僕の中で生まれてしまったからである。しかし、だからといっていつまでも甲板の上で寝ているわけにはいかない。甲板を構成している木材が、僕の体重に耐え切れず折れてしまうかもしれない。そんな馬鹿げた杞憂を頭の上に浮かべ、僕は体を起こした。

 日はまだ顔を出したばかりだった。空はまだ、自分自身が朝になったことに気付いていないようだった。僕は欠伸も伸びもせず、乾いたままの甲板を見渡した。ぽつりぽつりとだが、戦士たちも僕と同じように甲板の上で寝ていた。呑気ともとれるし、たくましいともとれる。

 イデアが船内から出てきた。どうやら一人の戦士と会話をしているようだ。僕はそれを目撃し、すぐに背後に広がる雄大な海に視線を移した。何かしら黒くて硬いものが僕の胸に現れたような感じがした。

 朝の光に照らされた海はとても美しかった。白くうつる部分も、青く染まった部分も数少なくて尊い存在に思えた。

 イデアは数分後に僕のもとへとやってきた。

「コンディションはどう? いい感じ?」司令官らしくない、あどけた感じで僕に言った。

「大丈夫だよ。今日なんだろ? 決戦の日は」

「うん。あなたにはもっと早く伝えるべきだったんだけど、ごめんなさい」

「別に怒ってるわけじゃない。君が伝えてくれようとそうでなかろうと、結局戦うことに代わりはないだろうからね。ただ一つ心配なのは『現実』と戦うことについて僕に一切の知識がないことだ。奴らはどんな形をしてるんだ。どんな特徴を持っているんだ」

 僕の問いかけに彼女は急に表情を変えた。思春期の少女の目は忽然と姿を消してしまった。

「あなたが不安でたまらないのは十分承知してる。でも、あなたには何の潜入感もなく行動してほしいの。マスターに埋め込まれた本能、そのままの心で戦に挑んでほしい。私はそう考えているの」

「僕は不完全なのに、何の準備もなく行けと…… 君の考えている意図がよく分からないな」

「戸惑うのは仕方がないことよ。とにかくあなたは頭をからっぽにして、『現実と争うこと』。ただそれだけを目的として頭の壁に刻んでほしいの」

 僕は納得したように頷いた。しかし頷いたものの、心の中は困惑の煙に覆われていた。それでも僕は自分に嘘をついて、それ以上考えるのをやめた。彼女がそういうのだから、きっと正しいことなのだ。僕は唾を飲み込んだ。


 太陽が頭上に昇り、船は輝きを取り戻した。僕はてっきり早朝に着いて、奇襲を狙うのだと思っていた。こんな明るい時に行くのはいくらなんでも危険すぎるだろう。僕はそのことを彼女に尋ねた。彼女はあまり表情を変化させずに「現実は夜に行動するのよ」と言った。僕はそれについて何も理由を訊かなかった。

 困惑がマグマの塊のようにだんだんと力を蓄えていった。肥料を与えたら、もっと膨らんでいった。僕はそのままにしておいた。

 左手の銃剣を空に掲げた。太陽の力を借りて、銀色の塊は命を宿したかのように煌めいていた。この行為はこれまでも何回かしたことだ。僕は時々、この銃剣について様々な思いをめぐらせる時がある。様々といっても大きく分ければ、それは二つにしかならない。憎悪と愛惜の心である。これがあるから、僕はいつまでたっても人間になれないのだ。これが付いているから、僕は所詮ある目的に従って歩くだけの人形に過ぎないのだ。

 しかし、これがあるから今ここで生きている自分がいる。それは卑怯にも真実なことだ。僕はここで何をしたかったのか、何を知りたかったのか。自問自答を繰り返しても辿りつくのは迷宮入りだ。僕はそういうことでしか、自分の存在を保つことが出来ないのだ。 

 ああ、なんて情けない結論だろう。僕は自分の小ささを自覚することが悔しくてたまらなくなった。自分自身の問題なのに僕はそれについて傍観者を気取っている。そんな自己嫌悪と自己過信の一進一退の攻防が、僕を着実に深いところへと追いつめているのだ。

 考えすぎなのかもしれない。これからのことはこれからになったら決めればいいのだ。楽観的な行動は時に重大なミスを生むが、悲観的な行動もそれと同じく作用する。それを自分は理解していないだけなのだ。いや、正確に言うならば心において分かっているということか。頭では確かに理解しているのだ。しかしそれは本当に理解出来ているわけではない。真に分かっているならば、こんな悲観的な感情になるはずがない。自分はあらゆる面で交錯していて、複雑な視点で自分の考えを客観的に見ているのだ。もっと単純に浅はかな考えで行動していきたいのに、それを自分自身が許そうとしない。やみくもで終わりの見えない討論会が延々と続いている気分。それはまるで科学が万能なのかということを議論する悲しくて愚かなディスカッションをするのと同義だった。

 僕は彼女に尋ねた。自分の力で答えを出さなければならないことは先ほど思ったばかりだが、今の自分は救いを欲しがっていた。矛盾していようが、詭弁だろうが、この蜘蛛の巣から抜け出せるきっかけが欲しかった。

「『ヴィル』と戦うことは難しいことなのかい?」目線を合わさず僕は言った。

「前にも言ったけど、あなたはただ本能に任せればいいだけ。あなたにはもともと奴らを倒せるだけの機能が備わってる。他のことは不完全でも、そのことだけは完全。大丈夫、意識の深海にあなたが潜り込むことが出来れば、全てがうまくいく。自分を信じて」

 自分を信じて。彼女はその部分を特に強調させた。彼女は以前、僕にマスターを信じてと言った。今度は僕自身を信じろということなのか。口で言うのは簡単だが、それはとても難しいことだ。

 できればこれについて長い間考えていたかった。考えることがこの矛盾から抜け出す一つの解決策だと思ったからだ。しかし、運命はそれを許してくれなかった。それは彼女の決定的な一言から始まった。声はか細い。しかし強さも見えた。

「島が…… 見えてきたわ」

 進行方向に広がる海を見つめながら彼女はぼそりと言った。

「島?」僕は訊いた。

「早く、皆に知らせなきゃ……」

 彼女はそう呟くと、僕の質問を無視して船内の方へと走っていってしまった。一人きりになった僕はその方角の地平線に目をこらした。どうして先ほど気が付かなかったのか。うっすらと霧のように頼りなく、そして小さいが確かにあれは島だ。緑色の地面はまだ見えない。彼女の動揺を見る限り、おそらくあの島にヴィルはいるのだろう。

 甲板で立ち話をしていた戦士たちが船の前方に来た。船内にいた人たちも彼女の知らせを聞いて続々と外に出てきた。僕はその光景を見て思わず体が奮えた。

「いよいよ、だな……」僕の隣に立つ若い戦士はそう言った。

 若者の名前は知らない。訓練場で見たことのある顔、という認識しかない。しかし今の状況において、僕は彼の気持ちが分かるような気がした。彼は現実と戦うことに恐れを感じている。自分から志願したのかもしれないが、その時は生半可な覚悟であったに違いない。確かに僕は彼らと違い、生まれついた頃から運命は決まっていた。しかし島が見え、彼らの武者震いを耳で感じるとき、そんな隔たりはどうでもよくなるのだ。

 僕も彼と同じことを思っていた。いよいよ。いよいよである。最初、僕は一人きりで行動していた。それが、街に入ると二人になり、そして今は複数の人間と一緒にいる。生まれてから間もないころ、僕の旅は永遠に終わらないものだと思ったことがあった。変化すらしないと考えたことさえあった。しかし、老婆と出会い、イデアと出会い、街の人々と出会い、僕の旅は劇的に変化している。それはもちろん旅の内容だけでなく、僕自身の心においてもそうだ。幾重にも繰り返される自問自答の数々。何かが足りないような気がして、焦りと迷いの両方の世界を行き来した。彼女と会話を積み重ね、人と繋がる大切さを学んだ。今の僕は宝石の山で声を聴いた、あのときの僕とは違う。僕はいい意味でも悪い意味でも変わってしまった。そんな僕に彼女は本能で戦えと言う。無茶なことだと思った。もう僕にはあの時の強みは備わっていない。いくらマスターが作ったロボットだとしても、旅路というピットに入ってしまえば、作られた時のマシンとは明らかに異なってしまう。だからその点を踏まえた上で考えれば、僕の勝機はなくなってしまう。現実を倒すために僕と彼女は会うべきではなかったのだ。イデアは僕にこれが終ったら自由になるべきだと言った。しかし彼女のせいで僕はそれ以前の「現実を倒す」という目的すらも果たせなくなってしまう。言っていることとやっていることが矛盾している。彼女はそのことに気付いていない。僕は体が震えた。今度は武者震いではなく、本当に恐怖から来るものだった。

 船は残酷にも前進してゆき、島もだんだんと大きくなっていった。僕は左手を大振りして士気を高めた。彼女がミスをしようと、僕に勝機がなくとも、こうなってしまった以上、結局はやるしかないのだ。そう思った。

 船に彼女の指令が轟いた。身体中のエネルギーが分散していき、僕の体内を熱くさせた。島が近づいてゆく。バラバラになっていたピースが一枚の絵のために一つになってゆく。僕は何重にも折りこまれた布を抱き、それを守ろうと決心した。

 イデアが僕に近づいてきた。目の光はいつも以上に激しい光彩を輝かさせていた。

「あなたは私からなるべく離れないでほしいの」

「どうして?」

「あなたは選ばれた救世主だからよ。あなたは信じないかもしれないけれど、あなたはここにいる戦士たちの中で一番高い戦闘技術を持ってる。あなたは天想会にとって大切な存在なの。私は隊長として、勝機をなくすような危険は出来るだけ避けたい。だからあなたは私の側にいて。想像世界の平和のために…… 協力して」

 僕は黙って頷いた。

「ありがとう」

 彼女が去り、僕は彼女の言ったことを反芻した。大切な存在。彼女は確かにそう言った。天想会にとって、と彼女は言ったが果たして本当だろうか。その奥にもう一つ別の意味が隠されていないだろうか。

 彼はハッと顔を上げた。自分は一体何をしているのだ。今から現実と争うというのに考え事に心を惑わされていた。

 これからとんでもないことが起こるというのに、海はなぜか穏やかだった。その海を見ているのはたぶん僕だけだろう。 


 ついに相手が僕らの存在に気付いた。島から黒い雲のようなものが立ち上ったのだ。上昇気流に煽られ、煙は僕らが来るのをずっと待ち望んでいたかのように、だんだんと大きく育っていった。

 戦士たちが剣を抜く体制になった。船に設置された大砲が発射の準備を始めた。イデアは砲台のすぐ後ろにいた。

 海に境目が出来るほどの大きな音が僕の耳を貫いた。一瞬鼓膜が破れたのかと思った。状況を判断し、途端に冷静になる。大砲から弾が発射されたらしい。僕は何だか嬉しい気持ちになって島を見た。島からは早くも煙がたちのぼっている。戦士たちの間で歓声があがった。

 島まで残り数百メートル。大砲は疲れることなく弾を撃ち続けている。正直、こんな簡単に上陸出来るとは思っていなかった。「ヴィル」つまり現実は僕が想像したものよりも遥かに脆く、頼りないものであるようだ。船が砂浜に着いたのは砲撃を開始してから僅か数分後のことだった。彼らは躊躇を知らず、白と黄色の入り混じった砂の地面に次々と足をつけていった。僕は彼女の言葉通り、彼女のすぐ後に船を降りた。隊長が先頭につかないのは何かしら違和感があったが、専門的な戦闘術を知らない素人が口出しできるはずはなかった。

 仲間たちは丘を登り、特に目指すところも無さそうに、ちりぢりになって進んでいった。剣や銃、個々の武器を手にし、敵陣に向かってゆく。僕は頭が混乱しそうになった。いったい何をすればいいのだ? 僕は何をしているのだ? 分かっていたことも気が付けば分からなくなっている。奇襲は成功したのか。疑問の泉。水が次から次へとあふれ出てくる。これは真珠湾の奇襲攻撃とは違うのだ。これまでにもヴィルと天想会は戦ってきているはず。それなのにヴィル側は何も対策を講じてきていない。あまりにもすんなりいきすぎて逆に歓迎でもされているようだ。僕は彼女を見た。彼女はそんな僕を見て何かを言った。周りが騒がしすぎて声が聴こえなかったのだ。しかし口の動きから「ついてきて」と言っているように見えた。疑問が浮かんで、本能を出せるか不安なのに、彼女は命令通りのことをする。彼女は不思議に感じないのだろうか。中途半端に埋め込まれたマスターの知識では、解決策をみいだすことは出来なかった。

 そして彼女は走り出した。砂を舞い上げ、丘の岩肌に傷を入れるかのごとく。それを僕は目撃した。その姿に脅威を感じた。僕は慌てて追いかけた。

 黒みがかった紺色の地形。僕は手足を使って登った。平坦な場所で無いことは、訓練中にあらかじめ聞いていた。それに備えたメニューは当然行ったが、運動らしい運動をしてこなかった自分にとって、これはすぐに慣れるものではなかった。万全な状態で臨まない姿勢は他の仲間たちに失礼だという心はあったものの、どうすることも出来なかった。

 イデアより十秒ほど遅れて、僕は平地に足をつけた。なんとか登りきったが、達成感はなかった。目の前には下り坂になっていた。僕は彼女の後姿を見つめた。岩の世界は静寂に満ちていた。音もなく歩き続ける何かがこちらに近づいてくるような気がした。

 彼女は僕の方を振り返りもせず、ひとりごとのように呟いた。

「そろそろ……来るわ」

「来る?」僕は眉をひそめた。

 彼女は何も答えなかった。沈黙は続く。イデアが目の前にいるのに、自分だけ孤独にされたような気分だった。遊園地で親とはぐれた少年が、パンダに掴まされた風船を手にしてさまよっているかのように、延々と終わりがないように思えた。

 彼女は背中のベルトに挟み込んでいた一本の剣をぬいた。剣は太刀のように見えた。彼女には似合わない。途端にそう思った。彼女の言う通り、本当に奴らは「そろそろ来る」のかもしれない。唐突という瞬間の中でさまざまな場面が移り変わっている。それは僕の臆病な精神をますます増長させるだけだ。

 僕は左手に力を込めた。あとは、天命と本能、そしてマスターの技術力を祈るしかない。

 頭の上は昼の空。今は何時だろうか。僕はそれを最後にしばらくの間「理性」を失った。


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