2話 よく考えてみたら船に乗るのは初めての経験だ
【2話 よく考えてみたら船に乗るのは初めての経験だ】
「お~~~~い!」
「……ん?」
聞き覚えのある声に顔を向けると桟橋に近づく漁船があった。年季の入った船上には見慣れた顔、マモルだ。ぐんぐんと船は近づき、やがて接岸した。マモルは慣れた手つきで船を繋留させる。
「久しぶりだな、ゆうた!」
「いや夏休み入って1週間も経ってないじゃん。その前はさんざん一緒に遊んでたじゃん」
その一週間でマモルはすっかり日焼けで小麦色になってしまい、俺は少しびっくりしたのだが黙っておいた。
目の前でくどい笑顔を見せるマモル。
はるばる都内の高校に越境入学してきたコイツは、あのクーラーさえ付いていないオンボロ寮のルームメイトでもある。
「どうよ? 何もねえ田舎だけど、海はなかなかのもんだろ?」
「うむ。それは素直に認める。あ、それよりさ、今何人か女の子に会ったんだけど」
「なにぃっ!?」
マモルの目に今、確かに炎が灯った。
「どこでだ! いつだ! どこ行った!」
「肩を掴むな、うっとおしい! もうなんか凄い船が来て乗ってちゃったよ!」
俺はレイシア達を迎えに来た白くて大きなクルーザーを思い返した。
「……色んな意味ですげえ船だった。女の人たくさん乗ってた。水着とかで」
「何だよもう! 言ってくんねえんだもんな~」
こいつは……別に容姿は悪くないのに今ひとつモテてない。
本人曰く、ガキの頃からずっと周りに同年代の子が少なかったもんで免疫が無いだとか言い訳をするが。高校に入ってから何度か合コンにこぎつけたのだが女が絡むとこの通り。必死過ぎて女の子達ドン引き。俺も煽りを喰らい全くいい思いが出来ていないのだった。うん。マモルのせいにしてる。きっとマモルのせいです。
「っつうか地元の子っぽかったぞ。お前知ってんじゃねえの。なんか凄かったんだが……」
俺は少女たちの名、そしてさっきの乱闘騒ぎをかいつまんで話した。
「そうか、レイシアとなつめな。そりゃ知ってるよ」
うんうんとうなづくマモル。
「ええと……ま、後で話そう。とりあえずほら乗った乗った。俺ん家、あそこに見える島にあるんだ」
すぐにでも詳しい話を聞きたかったところだが、船に書かれている文字を見て俺はツッコミ先を変えた。
「……マモル丸……三世?」
「おう。こいつは三隻目。元々は俺が生まれた時に親父がつけたんだ。男手ひとつで育てる覚悟の証だったみたいだぜ」
以前。理由は知らないが、マモルは片親だと前に聞かされていた。いくらヤツがアホであろうと友達には違いない。母親のいない理由をわざわざ聞くほど俺も厚かましくはない。
「ネーミングセンスの問題点は親父の心意気に免じてギリギリスルーできそうだが……育っちまったお前を見るとどうもな」
「なにおう?」
「ガッハッハ! そうじゃそうじゃ!」
野太い声に振り返ると小さな船室から赤黒いごりごりした爺さんが出てきた。
「オヤジ、茶々入れるなよ」
手に付いた機械油を雑巾で拭いながら爺さんはマモルに近づく。
背は低かったが肩幅が広く屈強だった。濃い肌の色が、炎天下で仕事をし続けている事を物語っている。深い皺の奥にある細い目は意外に穏やかだった。
「オヤジさんか。どうも、ゆうたといいます。お世話んなります」
「おう! 話は聞いてるぜ! ゆっくりしてきな!」
頭を下げた俺にオヤジさんはニコニコしながら言う。気さくな人みたいだ。
「コイツは立派な漁師にしたかったのによ。軟弱に育ちやがって!」
マモルの肩を叩くとオヤジさんは言葉を続けた。
「だ、だから俺は漁師にはならねえって言ってんだろ! っていうか進学したんだから喜べよ!」
「ま、ワシ譲りのオツムじゃ大学までは行けねえだろ。いずれ村に戻ってくるさ! ゆうた君も良かったらおじさんントコに来な! はっはっはっは!」
豪快に笑うオヤジさん。と、オヤジさんは俺の荷物に気付き、尋ねた。
「ゆうた君! 大きい荷物だな? そりゃなんだ?」
そう……こいつは重くてかさばって大変だった。
「これはバナナボートですよ」
「……持ってきたのかよ、ゆうた」
「なっ! コイツを置いて来いといういのか!」
呆れ顔のマモルに殺意がわいた!
「コイツは……コイツはなあ、もう一人の俺なんだ! この夏に全てを賭けたコイツの気持ちがお前にはわからないのか!」
「はっはっは! いいじゃねえかマモル! そこの船底に閉まっておきな」
オヤジさんは甲板を指さすと船室へ向かった。
「ワシも一度乗ってみたかったんじゃ! 後で3人で乗ろうじゃないか」
「……あ、あれ?」
マモル親子サンドイッチイベントへのフラグが立った!
唸り出すエンジンに船は軽く体を振るわせるとゆっくりと進み始める。みるみるうちに舳先には白波が立ち始める。
透明度の高い海を滑るように走るマモル丸三世号。
日射しは相変わらず強いが、涼しい潮風にそれも気にならない。
俺は真っ先に舳先に向かい波が砕けるさまを楽しんだ。
マモルは隣でぶつぶつつぶやいている。
「ったく親父は。帰ってくるといつもこうだ」
「親なんてそんなもんじゃないの?」
「まあな……で、だ。ここからが本題」
「本題?」
「お前をこの地に呼んだのには他でもない」
「俺はどこの勇者だよ?」
「ま、そのうち似たようなもんになる。この辺の海は虎木亜海っていうんだ。見ての通りこの海は島が多いんだけど、主な大きい島は3つ。ひとつは俺の家のある阿手内島。もうひとつは観毛内島。そして最後に、海女僧島」
「ふむふむ」
「で、だ。この辺はちょっと独特な風習があってな。男と女は基本的に一緒に住まないんだよ」
ふむ。そりゃ変わってる。
「あのひときわデカい島、あれが海女僧島なんだがあそこには、完全に女しか住んでない。逆に他の島にはほとんど女はいないんだ。実際」
マモルは遠くに霞む島を指さした。
「あの島にすむ女たちはギリシャ神話に出てくるアマゾニスの末裔だと言われている。ゆうたはアマゾニスって知ってるか?」
「ヘラクレスの神話に出てくることぐらいは。あと、このうさんくさい昔話は読んだ」
ズボンのポケットにねじ込んだ観光パンフを指さす。
「なら話は早いわ。一応補足するとだな。アマゾ二スは軍神アレスを父に持つ女だけの部族だ。騎馬民族の走りともいわれ、戦争大好きでな。神話だとヘラクレスに帯を奪われたりトロイ戦争に参加したり、アキレスと戦ったりする。女だけの部族だから時たま男を掠ってきて子供を作るってエピソードが年頃の男の子にとっては超エキサイティング」
すらすらと説明するマモル。コイツ歴史のテストでは全くいいところがないくせに。
「そして生まれた子供が女だったら育てて戦士にし、男だったら殺すかキンタマ取って奴隷にする」
俺は思わず股間を押さえた!
「で、だ。そんなアマゾニスの末裔である海女僧島の女が子供を作る機会っていうのが、それ、そのパンフにも書いてある大凪潮の祭りなんだよ」
「そういえば、なつめって子もその祭りのこと言ってたな」
思い返すとちょっと腹が立った。そういえば俺は言われっぱなしのままだったのだ。
「ま、どこから来たかは言い伝えだから実際のところはわからんし、昔と今とではだいぶ考え方も違うが……」
静かに話を聞いていたオヤジさんが口を開いた。船のスピードを落としゆっくりと入り江をまわる。
「だがな。シキタリは今も連綿と続いておる。ワシらは大凪潮の年に祭りを開き、女達と契る。もちろんその他にも彼女たちに認められ契りを得る方法はあるんじゃがの」
マモルがごそごそと船底をあさっている。取り出したのはとても長い釣り竿と銛だった。
「大凪潮の祭りはさ、この辺の集落の船が集まって『戦』をすんのさ。船に大漁旗を立ててよ。折られたら負け。そんで一番勇敢に戦った村の男たちがあの島に招かれるんだ」
マモルが釣り竿をびゅんっと降る。そういやマモルとはたまにバス釣りに出かける事があった。釣りの経験がほとんどなかった俺はマモルに丁寧に教えてもらった記憶がある。
オヤジさんはそんなマモルを細い目で眺めていた。
「十数年前の大凪潮の祭り。その年を制したのはワシら阿手内島水軍じゃった。海女僧島に招かれたワシは、島に住むおなごと子供が出来るまで暮らすことを許された。そして、マモル、こいつが生まれたんじゃ。だが……海女僧島は女だけの村。生まれた子供が女だったら育てるが……ワシはマモルを連れ島を出た……!」
「おお……マモル、お前の出生ドラマチック過ぎってゆうか……」
オヤジが遠い目を水平線のかなたに向けた。
「……ぶっちゃけそろそろ話についていけない感じだぞ?」
俺は釣り竿で素振りを続けるマモルを振り返った。
「ま、とにかくアレだ。アマゾニスだかなんだか知らないが……」
マモルは竿を俺に突きつける。
「要はあの島に女の子がわんさかいて、数年ごとにお祭りやって、女の子の注目ひいてハーレムしちまいましょうって話よ!」
マモルの顔は真夏の太陽に負けないほど輝いていた!
「なーに! しきたりとか言っちゃってるけどよ! 所詮は現代の女の子! 可愛い子みつくろって連れて逃げ出しちまえばいいのよ! そんで都会の遊びを教えてしまえばこんな田舎の古くさい風習になんか従う訳ねーべ! そんでそんで、今年こそ彼女ゲット!」
「お……おおお!」
「どうよ、ゆうた? 俺に感謝の気持ちが出てきたろ!?」
「マ、マモル!」
「ゆうた!」
俺たちは固い握手をかわした!
「マモル……俺は今までお前をただの田舎もんの合コン潰しの足手まとい野郎としか思ってなかったが……こんなナイス田舎を持っていたとは……!」
「色々ムカつくセリフもあったがまあ太陽のせいとしておいてやろう。今年こそ二人揃って女作るぞ!」
「がーはっはっはっは」
俺達二人の馬鹿笑いを細い目で見ていたオヤジさんが不意にその視線を海に向けた。
「む……あれは、観毛内島の船?」
オヤジさんの視線を追うと、何隻かの船がこちらに近づいてくるのが見える。みるみるうちに俺達に近づいた船団の一隻から手を振る男がみえた。オヤジさんはマモル丸三世号を停船させる。
「はっはっはっは! 久しぶりですねマモルちゃん!」
一際大きい船のへさきで馬鹿笑いする男には見覚えがあった。
色白で小柄、銀縁の分厚いメガネ。彼はまさしく先程なつめに叩きのめされた少年、クレオだった。
「あれ……? お前、クレオじゃんか」
マモルが指さすとメガネ少年はなおさら胸を張る。
「そう! 観毛内村漁師連合船団若衆筆頭平クレオです! はっはっはっは!」
ひしゃげたメガネがキラリと輝く。気を失うほど殴られたばかりだというのに全くもって彼は元気だった。脇に並んだ船には、やはり先刻なつめにあしらわれた男達の姿も見えた。
「おお、マモル。さっき船着き場でやられてたのあのメガネ君だよ」
「メガネって言うな!」
クレオのツッコミのタイミングは素晴らしかった。きっと普段から言われ慣れてるに違いない。
「アナタはさっき船着き場にいましたね。ナルホド、マモルちゃんのご友人でしたか」
「うん。マモルと同じ学校でね、ゆうたっていうんだ。よろしくメガネ君」
「だからメガネって言うなよ!」
クレオは揺れる船の上でふらふらと足下がおぼつかない様子だ。ガタイといい、見るからに漁師には向いてなさそうなのだが。
「おお~クレオくん、中学を出てすぐ漁師になったんじゃろ? 噂は聞いてるぞ。頑張ってるそうじゃな~!」
オヤジさんに声をかけられたクレオは再び甲高い声で笑った。
「はっはっは! 『虎木亜の鮫』ことサトルおじさんにそう言われると恐縮ですよ!」
「……オヤジさんにそんな二つ名が?」
俺はオヤジさんを見た。
オヤジさんは頬を染めていた。
そして実名は意外と可愛いことが判明した。
「しかしマモルちゃん、東京に引っ越したと聞いていましたが?」
「まあな。東京はいいぞう? 女の子たくさんいるしなあ?」
大げさに腕を広げて語り出したマモルを若い漁師達が注目する。。
「こんな女のいねー田舎とは大違いだぜ? 俺は目から鱗が落ちたね。右を見ても左を見ても女ばっかし。海女僧島の女を指くわえて見てるだけのこことは違うわ~。よりどりみどりだぜッ!」
「なっ……! よ、よりどりみどりだとッ!?」
調子に乗ったマモルは尚も言葉を続ける。
「毎日合コン」
「ご、合コンだとッ!? そ、そんなのテレビとかでしか見たことねえぞ!?」
観毛内の男達は肩を震わせ始めた。
「な、なんてムカツクんだッ……! おう皆の衆ッ! やっちまおうぜ!」
「こ、こら! 待ちなさい!?」
クレオの制止も間に合わず漁師たちは銛や網を投げてきた!
「わっ!?」
俺はあわててその場に伏せたが、その刹那――!
「ハアッ!」
「フォオイッ!」
頭上で起こった剣戟(?)とかけ声に、閉じた目をおそるおそる開ける。
「こ、これは!?」
一本釣り用の竿を構えた……マモル親子の姿!
「ふ……マモル、腕はなまってないようじゃな?」
「ふ……オヤジこそ」
ギラつく太陽を背に不敵に笑うマモル親子は観毛内の船に竿を向ける。
「う……こ、こいつら!?」
「馬鹿モノッ! 彼ら親子は『阿手内流壱本釣り竿術免許皆伝』ですよ!? むやみに手を出してはなりませんっ!」
「……なにそのカッコ悪いカイデン?」
俺のツッコミは小さすぎて誰の耳にも届かなかった。
クレオは短気を起こした漁師を叱責している。
「彼らが本気なら、今頃アナタの船は轟沈していたところですッ!」
「……釣り竿で?」
「サトルさん、ご無礼をお許しください……ですが、明日の大凪潮の戦ではこうはいきませんよ」
オヤジさんとマモルが構えていた竿をおろす。
「時代は変わったのです! いくらサトルさんでもやはり老いは隠せず、マモルちゃんも勘は鈍っているッ! ご覧なさい!」
クレオに指さされたマモル丸三世の横腹には、一本の銛が刺さっていた。どうやら全ての銛を捌けたわけではなかったようだ。
「……ほう。なかなかやるようじゃのう?」
オヤジさんが銛を引っこ抜く。
「私達の最新鋭艦隊と、シミュレーションを重ねた戦略の前には阿手内島水軍といえども海の藻屑と消えるでしょう」
クレオが手を挙げると、観毛内の船はいっせいにエンジンを始動し回頭を始めた。統率のとれた動きで次々と走り去っていく。
「テメエッ! マモル丸三世号に何を! こ、このメガネのくせに!」
マモルが船の縁にしがみつき怒鳴った。
「マモルちゃん……! 明日を楽しみにしていますよ! はっはっはっは…………っていうかメガネって言うなあ!」
速度を増す船からクレオの叫び声が聞こえた。
「くそ。余計な時間をくったな……」
「っつうか、もうなんのはなしだかわかんなくなってきたわ」
「オ、オイ、ゆうた。そんなヒくなよ」
俺は海女僧島を眺めた。緑に覆われた陸地。ここからは人影も建物もみえない。
傾きかけてきた太陽を仰ぐ。
もう俺の心には諦めと不安しか広がっていなかった。