15話 月はぎんいろ
【15話 月はぎんいろ】
レイシアが座っている。悲しそうな顔でうつむいて。ワンピースの裾を握りしめた彼女の指は真っ白だった。何てこった、この脳天気金髪娘にこんな顔をさせたヤツは一体誰なんだ? コイツには真夏の太陽みたいな笑顔こそが似合うんだ。何故、俺の名を呼ばない? 何故、俺に助けを求めない? 俺はまだ闘えるぞ。だからそんな顔を……!
「レイシアぁっ!!!」
自分の叫び声で俺は目を覚ました。
視界は薄暗く、吹き荒れる雨風がドックを揺らしていた。海へ連結するシャッターは開け放たれており、海女僧島のクルーザーどころかマモル三世号の姿もない。
痛む体をゆっくり起こすと額に乗せられていたらしい濡れタオルがずり落ちた。
「……ゆうた」
目の前にはレイシアが立っていた。白いワンピースは泥にまみれていた。
「あの……ごめんね、ゆうた。こんなことになっちゃって」
レイシアの手には弓とアレスの帯……いやアレスの良心が握られていた。見覚えがあった。あれは先程千切ってマモルに渡したものだ。
「私が深く考えないで、オウサマになってとか言っちゃったから……ゆうた、ボロボロになっちゃった……。マモルちゃんも怪我しちゃうし……」
彼女の髪は、あの光を集めて紡いだかのようだった柔らかな金髪は、すっかり濡れそぼり頬に張り付いていた。
「さっ。ゆうたはしばらくそこで休んでてっ。ちょっと私行ってくるからっ!」
レイシアは大きな深呼吸をすると顔を上げて、笑顔を、作った。
瞬間、俺は拳を握り締めた。奥歯を噛みしめると、勢いよく飛び起きる。
「さあて、と!!!」
激痛が体中を駆けめぐったけど知ったこっちゃなかった。俺はずかずかとレイシアに近づくとアレスの良心を奪う。
「第2ラウンド……いってみっかああああああぁぁぁ!!!」
「ほわぁ!?」
俺は雄叫びを上げるとレイシアに躍りかかり、コブラツイストを決めた。
「休んでて、とは何事だ!? ええ? この島のオウサマである俺に向かって!?」
「いたたたた! ゆ、ゆうたっ! そのわざはキシュツだよっ!? ネタぎれなのかっ!」
「なにおう!?」
そうだっけ? なんて思いながらも流れるような動きでヘッドロックに。
「ぎ、ぎぶーーーっ!」
大げさに痛がるレイシアが俺の腕をタップする。と、不意にその手が俺の腕にからみついた。
「…………ありがと、ゆうた」
俺は照れ隠しの為にもうしばらくヘッドロックをするはめになった。
「状況はさいあくだよっ」
レイシアは一面暗黒の海を指さした。数百メートルほどの沖合だろうか。目をこらすと波間に船の明かりがかすかに見える。海女僧島のクルーザーのようだが、どうも様子がおかしい感じがした。傾いているように見えるのだ。そして、よりそうようにマモル三世号の姿。とても嫌な予感がした。
「クレオちゃんが奪ったウチの船だよっ。大ババ様が暴れたせいで座礁したみたいなのっ」
「何でまたババァが? いつ乗り込んだんだ?」
「30分くらい前にカンカンに怒ったクレオちゃんが連絡をしてきたの。『騙された、ファーストキスを自分の母親にしてしまった』ってね。どうやら大ババ様がなつめちゃんに化けてクレオちゃんについてったみたいなのっ」
俺が気を失う直前に見たなつめは、ババァの戦化粧による変装だったらしい。あのタイミングは絶妙だった。あのままだったらクレオに殺されていてもおかしくなかった。しかしそれにしても…………クレオざまぁ!
「それで……それを聞いたオヤジさんがマモルちゃんの事もあってキレちゃって、船を出して追いかけて行っちゃったの」
「なつめは?」
「決着をつけてやるって、オヤジさんといっしょに」
「まずいな……早く追いかけないと……」
きっと一刻の猶予もない。今のクレオにはあの二人でも敵うはずがない。もちろん俺がいたところで勝機は薄いだろうがいないよりはマシだろう。
「これをなつめちゃんに渡したかったんだけど、私がここに来た時にはすでに船は出ちゃってて……そんで荷物とか瓦礫に埋まってるゆうたを見つけて……」
レイシアが先程から持っていた弓を見せる。それはなつめやマリコさんが持っている現代的な弓とは全く違う、古びた木製の弓だった。
「それは?」
「この島に昔から伝わる『アルテミスの弓』って言うの。弓の名人だったアルテミス様のこの弓ならどんな遠くのものにも当たるって言われてるんだけど……」
神様の名がついた弓。多少は役に立ちそうだ。もっとも、相手は戦の神の化身なわけだが……。
「よし、貸してみ――おわっ!?」
弓に触れた瞬間、俺の手に痺れるような衝撃が走った。反射的に思わず手を引っ込める。
「……なんだこれ?」
今度はおそるおそる指を近づけるも、やはり弓に触れた瞬間、火花のような光が俺の指を弾いた。
「……もしかすると。アルテミス様は男ギライの処女神だから、ゆうたにはさわれないのかもっ?」
「性能的にも性格的にもなつめには絶対与えたくない一品だが……」
俺は何かにくるめば持てるかもと思い、さきほど額に乗せられていたタオルを拾おうとして妙なモノを見つけた。
「……なんだこれ?」
俺が倒れていた辺りに散らばっていたのは女物の衣服だった。レイシアがその中の一枚を拾い上げる。
「あ~これは夏休み前に寮からこの島へ送った荷物だねっ。家にきてないなって思ってたら、こんなとこで未配達になってたのかぁ」
「……ふむ。これ、誰の?」
俺はその中からブラをつまむ。
「それは……なつめちゃんのだねっ。……ってこんな時に何してんのさっ!?」
「いや、ちょっとな。……これをこうしてっと」
アルテミスの弓にブラを引っかけて持ち手を作る。すると今度は弾かれる事なく持ち上げられた。それでも弓は俺に近い事が気に入らないのかバチバチ光を放っている。
「……どんだけ男ギライなんだよお前らの神様」
これで、準備は出来た。
「あとはあの船にどうやって行くかだが……他に船はないのか?」
だが、レイシアはかぶりをふった。
俺は荒れ狂う海を眺める。
「……となると、泳いでいくしかねえのか……!?」
と、その時だった。俺達を見上げる顔があった。
「お困りのようですね。どうか私にお手伝いさせて下さいませんか?」
なつめはぼんやりした頭で考える。土砂降りの雨が降り続いているのに何故こんなに喉が渇くのだろうか。
体力は、とうに限界だった。木刀を握る力は尽きかけ、立っている事さえままならなかった。傾いたクルーザーには絶えることなく大波が襲いかかり、少しでも気を抜くと海に押し流されそうだ。戦化粧は雨と波によってとっくに流れ去り、今の彼女は積み重ねてきた剣の技術と、そして意地だけで戦っていた。
「くっ……!」
目の前の男達が下卑た笑みを浮かべながら近づいてくる。彼らは決して一気に攻めてはこない。弄んでいるのだ。今まで、何度挑んでも指一本触れる事が出来なかったアマゾニス最強の戦士なつめ。その彼女がいま、自分たちの前で膝を震わせて倒れようとしている。その事実が彼らの嗜虐心を刺激してやまないのだ。
「なつめさぁん? そろそろ降参してはどうですかぁ?」
男達のうしろ、クレオがおどけた様子で手を振っていた。
「……だ、誰が降参なんてするか!」
叫んではみたものの、それがただの痩せ我慢だというのは誰の目にも明らかだった。
なつめは横目で倒れているオヤジさんと大ババを見る。
数分前にマモル丸三世号で奇襲をかけたなつめとオヤジさんだったが、あっけなくクレオに退けられてしまった。全く、歯が立たなかった。アレスの帯の力を持つオヤジさんがたった一撃のパンチで昏倒し、なつめの剣はクレオの体にかする事さえなくあしらわれてしまった。まるで大人と子供のケンカのようだった。アレスの帯を発動させたゆうたとやり合った時でさえこれ程の差は無かったというのに。
「大ババ……いや母さんがなつめさんに化けていたというだけでも驚きだったのに操舵室で暴れられた時はどうしようかと思いましたが……。やっぱり今日のボクはツイてますッ! こうやって予備の船と一緒になつめさんまで来てくれるんですもの!」
ぞっとするような笑みのクレオ。明らかに彼の様子はおかしかった。腰に巻いた古めかしい帯。華奢だった彼の体は不自然なほど筋肉で盛り上がり、そして鈍い銀の光で包まれている。なつめは薄々感づいていた。これは、アレスの帯と同じ部類の力だと。クレオは神の力を手にしているのだ。
「ボクの愛するなつめさんが、他の男の手によって嬲られている……ッ! おおうッ! 興奮してしまいますッ!!! でもでもでもでもサイゴはッ! ボクがこの手で組み伏せてあげますよッ!!!」
なつめは唇を噛みしめた。
「……ふ、ふん、そりゃおあいにくさまね。あたしは既にゆうたに……ま、負けてるのよ? あたしを手に入れたいのなら――」
「あはははははッ! あのヨソ者ならとっくに息の根を止めましたよッ!」
「……え」
なつめはその一言に体を震わせた。
さっきから、なるべく考えないようにしていた事。気付いたら、知ってしまったら絶望してしまうから頭の隅に無理矢理追いやっていた事。……それは、ドックにいたはずのゆうたの姿がなかったこと。そして、この船にも乗っていなかったこと。
「あれぇ? 気付かなかったんですかぁ? 今頃アイツならドックで死んでますよぉ?」
「……まさか……」
なつめの剣が下がったのを男達は見逃さなかった。銛の一撃に、彼女の剣は舞い上がり波間に消えた。なつめは糸の切れた人形のようにその場にへたり込む。剣と共に最後の力まで海に呑み込まれたかのようだった。
「クレオくん! なつめってばもう降参みたいですよ」
「痛っ……!」
男の一人がなつめのポニーテールを掴み上げた。なつめは痛みより悔しさと絶望で涙が出そうだった。
「ほほ~う! やっと、やぁっとナツメさんがボクのモノになる時がきたようですねえ!」
必死で男の膝あたりを殴りつけたが、痺れた腕は拳を握る事さえままならなかった。
「……ゆうた……!」
なつめは海女増島の方角に目をやった。しかし、視界はにじんで何も見えない。
「……何やってるのよゆうた……アンタ……この島の、オウサマなんでしょう!!!」
叫びと希望は、吹き荒れる風雨に掻き消された。
――その時。
「……わかってるわあああ!!!」
遠いけれど、確かに聞こえた声。なつめは目を拭って暗黒の虚空を睨む。
海を走る、銀色の人影があった。
俺は、漆黒の海を駆け抜ける。波間に揺らぐ今にも消えそうな灯りを目指して。
足場は酷く悪かった。無理もない、ただでさえ荒れ狂う海、並んだ数十頭のスナメリの背中の上を俺は飛び跳ねるように走っているのだ。何度も足を滑らせ、また目測を見誤って波に呑まれるも、その度にスナメリ達は俺の体をイルカショーのボールよろしく空中へと跳ね上げてくれた。
傾いた船の姿が大きくなってきたと思った時、叫びを聞いた。
悲痛で、か弱くて、絶望に満ちた叫び。アイツには全くもって似合わない叫び。
俺は大きく息を吸い込む。海水が喉に張り付いたけど、お構いなしに吼えた。
「なあーーーつうーーーめええええ!!!」
テレサが俺を乗せたまま大きく空中に躍り出る。俺は彼女の背中を最後の足場にして跳躍するとクルーザーの甲板に転がり込んだ。
「あ、あれ?」
視界に入ったのは数人の男。倒れているオヤジさんとババァ。驚愕の表情のクレオ。そして……男に髪を掴まれている、なつめの姿。
「あ、あれれれれ? オ、オイ? な、なんでオメーはなつめの髪、引っ掴んでんだ?」
「う、うわっ!?」
俺はなつめを囲む男達を一瞬でブチのめした。くたっと座り込んだなつめは呆然とした表情で俺を見上げている。俺はなつめを優しく抱き起こすと倒れた男達に怒鳴った。
「女の子の髪はなぁ……そんな風に扱うもんじゃねえんだよ……! こうやって匂いを楽しむもんなんだよ!!!」
俺は鼻の下を伸ばして匂ってみる。が、いつまで経ってもなつめからのツッコミはなく、それどころか彼女は俺の胸に顔を埋めてしまった。
「……ゆうた……あたし……もうダメかと思っ――」
「ちょ、ちょっと待て!? 何だそのセリフは!? 『このヘンタイー!』とか『そいつら気絶してっから聞こえてねーっつうの!』とかツッコミがあんだろが!」
「え……だ、だって! あたしホントに――」
俺を見上げるなつめの瞳はうるんでしまっていた。
「だってじゃねえよ! ゆぅたぁ~ぁたしぃ~もぉダメかと思っちゃったぁエヘ、とでも言うのか? お前何なの? 何様なの? 自分の事かよわい少女だと思ってんの?」
「なっ……!? こ、この……!」
なつめの顔がさっと赤く染まった。
「おっと、せっかくだから写メ撮っとくか」
「う、うっさいわ、このボケーーーッ!!!」
「ブホーッ!」
なつめの踵落としが俺の顔にめり込んだ。なんか、とても惜しい事をした気もするのだが、きっとこれで良かったと思う…………けどやっぱり惜しかった!
視界の隅でおずおずと手を挙げるクレオが口を開く。
「あの……ボクをほっといて何いい雰囲気作ってるんですか?」
「あー、ちっとお前邪魔しないで。いいとこだから」
肩を震わせているクレオはシカトする事にした。
「まずはっと」
俺は気を失っているオヤジさんを大ババ様を海にいるテレサ達に放り投げた。
「その二人を頼むよテレサ!」
「はい、お任せ下さい」
なつめが海を覗き込むとテレサはお辞儀して波間に消えていった。
「で、ゆうた。飛び込んできたのはいいけど、何か策はあるんでしょうね?」
「まー半分イキオイだけなんだけどな。一応レイシアから預かってきたモノがある」
俺はぶら下げていたアルテミスの弓をなつめに手渡した。
「これは……」
「アルテミスの力が宿っている弓、らしいぜ」
なつめが矢筒を腰に下げる。と、弓が彼女の手の中で輝き始めた。
「こ、この流れ込んでくる力は……アレスの帯の時と同じ……!?」
「……あ、そういえば」
俺はポンと手のひらを叩いた。以前レイシアが言ってた言葉を思い出したのだ。
「その力使うと、なんか? 服とか脱げるらしいゼ?」
「そ、それを早く言わんかボケーーーッ!!!」
なつめの絶叫は、眩いばかりの光に呑み込まれた。暗闇を吹き飛ばし俺達の目を眩ませたその光が収まった時、なつめは銀色の衣に包まれた女神の姿に変貌を遂げていた。
「……こりゃすげえ」
雨と波に濡れていたなつめの髪は白銀にその色を変え、繻子のように風になびく。失意に青白く褪めていた横顔にも生気が戻り、頬と唇を桜色に染めている。
なつめは信じられないとでもいった表情で自分の姿を見回した後、背後に立つ俺に顔だけを向けた。
「…………で、さ。ちょっと訊きたいんだけど」
「ん? なに?」
なつめは少し目を伏せた。
「なんでアンタは、さ? ……あ、あたしのおっぱいを、その、つかんでるのかなぁ?」
俺は背後から、しっかりとふたつの膨らみを包んでいた。
「ん? いや、キミはナニも気にせずに戦ってくれたまえ。そうだな……俺の事はちょっとでかいブラジャーだなぁくらいに思ってくれればいいだろう」
なつめの纏った衣はただでさえ薄く透けるような布だったのに、胸あたりを隠す面積はほとんど無くて、申し訳程度に腰に巻き付いている有様だった。
俺は心の中でアルテミス様のファッションセンスに感謝の気持ちを捧げたが、もちろんそんな事はおくびにも出さずに…………いや、顔に出ちゃっているかも知れなかった!
「ふざけんなボケーーーッ! 大体アンタ、その、ダ、ダイレクトに触ってんじゃないのよ!?」
「わ、暴れるなよ! 見えちゃうよりマシだろ!? むしろとっさに隠した俺はファインプレーだろ! ナイスキャッチ言われてもオカシクねえぞ!」
「キャ、キャッチ言うなあ! な、なにか着るもの持ってないの!?」
「んなもん持ってねえよ! 俺だってアレスの帯使ってるからシャツすらねえし!」
「くっ! ……ア、アンタ少しでも手動かしてみなさい? わかってんでしょうね?」
俺は――――――もちろん揉んでみた!
「ちょ!? あっ、んっ!? ア、ア、アンタなにしてんのよ!」
「い、いやだって? 前振りとしか思えないッスよそのセリフ?」
「こ、こ、殺す……! 後で覚えてなさいよ!?」
なつめの怒りは今までの比ではないようだった。
仕方ない。俺は覚悟を決め、今を生きる事にした。
「フゥ……そんな強気なセリフを吐いていいのカナ? 今、この微妙な膨らみと海女僧島の命運は、まさに俺の手に中にあると言っても過言ではないのだよナツメ君?」
「やっ!? んぁ! や、やめて……っ!? ……っていうか微妙って言うなあ!」
と、その時。視界の端で手を挙げる人影があった。
「あのぅ…………ボクをほっといて何いい雰囲気作ってるんですか?」
「あー! ちっとオマエ邪魔しないで! 超イイトコだから!」
クレオは鼻血を垂らしていた!
「……とはいえ、このままじゃ話が進まねえしなぁ。仕方ねえ……ゆけッ! 手ブラ戦士ナツメよッ!!!」
「も、もうイヤーーーーーーッ!!!」
なつめは矢をつがえると空に向かって放った。
流れ星のような銀の軌跡はどこまでも高く上がり、やがて低くたれ込める雲に呑み込まれたかのように見えた。
「な、なんだあれ?」
俺は唖然として空を見る。矢の軌跡に吸い込まれるように雨雲が渦を巻いて消えてゆく。荒れ狂っていた雨と風はぴたりと止み、頭上にはまたたく星々があらわれた。
なつめの体がふわりと宙に浮く。驚いた俺は落とされないように必死でしがみついた。
「どこまでついてくる気なのよ!?」
「ってゆうかナニ飛んでんだよ!?」
なつめはクルーザーを見下ろすと矢をつがえる。唖然として俺達を見上げていたクレオは慌てて頭を抱えた。
「うわ!?」
銀の光はクレオの体を派手に吹き飛ばした。甲板をごろごろ転がったクレオは船室の壁にぶつかってやっと止まった。
「こ、これは……!?」
クレオは頭を振りながらゆっくりと立ち上がろうとした。なつめはその隙を見逃さず再び矢を放つ!
「なっ!?」
なつめが驚きの声を上げた。矢はクレオの拳によって、はたき落とされていた。
「ククク……! ソレ、アルテミスの弓、とか言いましたっけ?」
銀縁メガネをくいっと中指で上げる。
「少し驚きましたけど、やはり所詮は狩猟の神のアイテム……! この戦の神アレスの帯の力には敵わないようですねッ!!!」
「な、なんですって……!」
なつめは唇を噛むと次の矢をつがえる。
「ちょっと待てなつめ」
「きゃ!? み、耳に息吹きかけないでよ!?」
「……ホホウ。ナツメ君は耳もウィークな感じ……って今はそんな事は後回し」
「後でもさせないわよ!」
俺はズボンのポケットに手を突っ込んだ。
「わっ! ちょ、ちょっと見えちゃうじゃない!」
「……ホレ、クレオ。お前にプレゼント」
俺はクレオの足下にピンクの『ブツ』を放り投げた。
「……何ですか、これは?」
「ん。なつめの、ブラ」
なつめの顔が一気に紅潮した。
「な、な、何が手ブラよ! 持ってたんじゃない着るモノ……って、な、何でアンタがあたしの、ブ、ブ、ブラ持ってんだあああ!!!」
「危ねえ!? 暴れるなよ!?」
クレオはブラに飛びつくと広げて見せた。
「おっほーう! コ、コレがなつめさんのブラジャー! な、なんて可愛らしいデザイン! そして控えめなカップなんでしょうッ!?」
俺は、なつめのパンチやエルボーを全身に受けながらも、ずっと見ていた。
ブラの肩紐をつまみ上げるクレオの指を。
肩紐に縛り付けたアレスの良心に触れるのを。
そして、クレオの体から光が消えた瞬間、怒鳴った。
「いまだ、撃て! なつめえ!!!」
「……くっ!」
なつめはろくに狙いもつけずに矢を放った。
銀の光がクレオの腰をかすめたのを見た時、俺は一瞬外したものと思った。が、なつめがすでに次の矢をつがえているのを見て、その意図を知った。
アレスの帯は、切り裂かれて空に舞っていた。
「控えめって言うなーーーーーーッ!!!!!」
なつめの絶叫と共に第二の矢は放たれ、弾かれたアレスの帯は海に消えた。
「そ、そんな……ッ!」
股間を隠してへたり込んだクレオのメガネがずり落ちる。
「ほ、褒め言葉なのに……ッ」
そのままクレオは甲板に倒れて動かなくなった。
「おしッ!」
俺は小さくガッツポーズを決める。と、同時にどっと疲れと痛みが体に押し寄せてきた。
なつめはため息をひとつつくと、俺を横目でちらりと見やった。
「あとは……アンタで最後、ね」
「…………は?」
なつめの目は紅く燃えていた。
「オ、オイ? 落ち着けよナツメ君? 話せばわかるッ! 今までのは全部クレオを油断させたり陥れる策略であってだな……ッ」
「……月まで飛んでってしまえーッ!!!」
「ブホーーーッ!?」
だが、彼女はひとつミスを犯した。あろう事か手に持った弓で俺を殴ってしまったのだ。いとも簡単に弓は砕け、なつめを加護していた銀色の光は消え失せた。
「あ、れ? ……きゃあああ!?」
俺たちは、仲良く夜の海にダイヴした。
「おーいっ! なつめちゃーんっ! ゆうたーっ!」
波の合間にレイシアが手を振っているのが見えた。彼女が乗っているのは俺のバナナボートだった。ボートの前にはテレサの姿。彼女がロープをくわえて引っ張ってくれているようだ。
なつめのヘマにより海に墜落してから既に十分ほど経とうとしていた。ただでさえ疲れ切っている体で夜の海を泳ぐのは想像を絶する苦しさだった。
「おお……助かったわ……もう浮いてられなかった……」
テレサに下から押し上げて貰いやっとの思いでレイシアの後ろによじ登った。
「ほらっ、なつめちゃんものってっ」
「……え、ええと」
なつめは胸を隠しもじもじしている。
「……ああ。アイツ今スッポンポンだから。恥ずかしいとかナントカ抜かしやがって力尽きそうな俺を助けてもくれなかったんだぜ?」
「う、うっさい!」
「ああっ、そういえばアルテミスの弓ってつかうとハダカになっちゃうもんねえ」
レイシアは笑い声を上げてワンピースを脱ぎ始めた。
「お、おおお!?」
「……あんまりみないで、ね」
なつめに服を手渡すと、レイシアは振り返って少し頬を染めた。
「お、落ち着け俺ッ……下着なんぞ面積的にいえば水着と同じ……って、それって最高じゃね!? っつうかあんま見るなったって目の前じゃね!?」
「ホントに落ち着けッ!」
「いでっ!」
俺の後ろに乗ったなつめに後頭部をどつかれた。文句を言おうと振り返ると、そこには濡れて透けたワンピースを体に張り付かせたなつめの姿。
「お、おおお!? ま、前も後ろもすげえことに!?」
「……それ以上ふざけてると……わかってるわね?」
前振りとしか思えないなつめのセリフ。
もちろん、俺が黙るわけもない。
「これこそ夢にまで見たサンドイッチ大作戦ッ!!!!!」
「わ、わっ! あばれないでよ、ゆうたっ!」
「……でもこの並びは……うん、ちょっと違うな。なつめ・俺・レイシア。この順番がベスト。何故なら、レイシアの方が、胸でかいから」
「ア、アアンタは……いっぺん死んでこいボケーーーーーッ!!!!!」
「く、くびをしめるなあッ!?」
今にもバランスを崩し転覆しそうなマリンゆうた号。
「あははははっ」
楽しそうに笑うレイシアが人差し指を空にかざした。
「みてよっ!」
いつのまにか夜空に、大きな月。はしゃぐ俺達を静かに照らしていた。
「あんなにっ! つきがぎんいろっ!」




