10話 全体的にはまったりとした一日でした
【10話 全体的にはまったりとした一日でした】
『ヒィィィイイ!』
遠くで聞こえた悲鳴に俺は目を覚ました。
『オ、オヤジが……ッ! オヤジがァァッ!』
マモルの声……だ。寝ぼけ眼で布団をはねのけると、レイシアの驚いた顔が目の前にあった。体の後ろにさっと隠される両手。
「お、おはよっ、ゆうたっ! すごいひめいだったねっ。なにがあったんだろっ。はやくモノオキにいかなくちゃ!」
「……お早うレイシア君。だが、まずは背中に隠した手を見せてごらん? そして俺が真っ先に向かうべきは物置でなく、洗面所……違うか?」
「くっ……! きょうのらくがきはしっぱいですっ!」
ダッシュで逃げ出した金髪娘に、俺はため息をつくと洗面所に向かった。
「……BOSSになってやがる」
口元にパイプが描かれていた!
顔を洗いさっぱりしたところでマモルの元へ。
朝日に輝く神殿……いや物置は今日も神々しかった。
「おはよー。どしたんだマモル?」
「ゆ、ゆうた、オヤジが!?」
へたり込むマモルの指さす方を見ると、オヤジさんが三角木馬にまたがり力尽きていた。
……だが、その表情は心なしか幸せそうにも見えた!
「……ババァの仕業か……」
「こんなマッドハウス、恐ろしくておちおち寝てられんのじゃ!?」
古傷さんがガタガタ震えていた。
木馬には『ワシとオヌシの黒王号』と書かれている。……どうやら昨晩はタンデムで遠乗りしたようだ。
「さてと……今日の朝飯はなにかな~」
顔面蒼白のふたりを残し、俺は物置を出た。
素足に芝生ってのは、気持ちいいものだ。
ここレイシア家はもとより緑に囲まれた立地なのだけど、柵によって囲い込まれたこの庭は素晴らしく丁寧に管理されていた。きちんと刈り込まれた芝生。色とりどりの花をつけるプランター。
手入れは主に可憐ちゃんの役目らしい。体も弱く学校も休みがちだった彼女は運動もかねてこの庭を造ったとのこと。
「よおーし。行くぞゆうたー」
庭の中央でマモルも裸足で仁王立ち。手にはアレスの帯を握りしめ、目を閉じる。次第に逆立ってゆくマモルの白髪。そして、
「フ、フオオオオォォォ!」
獣のような雄叫びと共にマモルの体は銀色の光に包まれた。着ていたシャツがはじけ飛び上半身は露わにされる。
マモルはしばし庭中をのしのし歩き回り、空へ向かってパンチやケリを繰り出した。
「フウ、フウ……!」
ひとしきり暴れた後マモルは俺にアレスの帯を手渡した。途端、マモルの体から発する光は消え失せる。
「いやー、やっぱダメだなー」
「なー。ダメだよなー」
俺は千切れ飛んだシャツの破片を拾い集めながら言った。
さきほどから俺とマモルで何回も試していたのだが結果は全て失敗だ。流石にこれ以上の着替え消耗は避けたい。
「なにがダメなのっ?」
「おお、レイシア」
居間の網戸をあけたレイシアがそのまま縁側に座り込んだ。後ろにはトレイを持った可憐ちゃんが続く。
「マモルさん、ゆうたさん。お飲み物をどうぞ」
「おお、ありがとー。いただきます」
にっこり笑ったマッチョガールは俺達に麦茶を手渡してくれた。
俺は半分ほどを一気に飲み干すと、レイシアに向かった。
「いや、今さ。アレスの帯で実験してたんだけど」
「じっけん?」
「うむ。その結果、わかったことがふたつある。ひとつ目は――」
自分とマモルを交互に指さす。俺達の上半身は裸だった。
「何故か服が吹っ飛ぶ。それも上だけ」
庭の隅に集められた、かつてTシャツだったモノたち。
「あ~、なんか、わかるきがするっ」
顎に手をあてて考えていたレイシアが言った。
「このしまに古くからつたわる『アルテミスの弓』ってゆうのがあってね、ソレもつとなんか布きれ一まいになっておっぱいまるだしになるのっ」
「……ホウ……そんな魅力的なアイテムが?」
「しかも、へんしんすると髪がかわくからおフロでてからつかうといいのっ」
「意味わからんぞソレ?」
レイシアは人差し指を立てた。
「たぶんね、そのアレスの帯もアルテミスの弓も、かみさまのちからがやどってるアイテムだから、つかうとそのかみさまとおなじすがたになっちゃうんだろうねっ」
確かに昔のギリシャ神を描いた絵画や彫刻では裸同然の姿を思い浮かべるが……あれは芸術性を追求した後世の創作では……?
「……髪が乾く必要性は?」
「めがみさまの髪はいつでもサラサラにきまってるしねっ。おかげでほらっ」
レイシアは立ち上がるとその場でくるっと回ってみせた。長い金髪が強い日差しでさらにきらめく。ふわりと舞った髪先が俺の鼻をかすめて、それはとてもいい匂いがした。
「とってもしなやか、エダゲシラズなのですっ!」
「わぁ。だからレイシアちゃんの髪、いつも綺麗だったのですね。今度私にも使わせて下さいな」
「いつか女神さんのバチが当たると思うぞ?」
年頃少女コンビは俺のツッコミなど聞いちゃいないようだった。仕方なく俺は咳払いしてから話題を戻す。
「そんでもうひとつなんだが……」
「うんうんっ」
「変身するときに何故か? 声が出ちゃう?」
腕組みをしたマモルはうんうん頷く。
「こう、何てゆうの? 自分の意志に反して出てしまう声? こりゃあ男にとっては屈辱なワケですよ」
正座で俺達の話を聞いていた可憐ちゃんは優しく笑う。
「うふふ、まるで同人誌で無理矢理○×されちゃう女の子のようですね」
「おーっ。あれはゴツゴウシュギもいいとこだよねっ」
俺は麦茶を吹いた。
「オ、オシ! マモル! アレスの帯よこせ! も、もっかい行くゼ!」
「オ、オウ! ゆうた! こ、今度は負けんなヨ!」
とにかくこの場はスルー&ゴーのスピリットが重要だと思われる。世の中を渡って行くには細かいことにこだわってはやっていけないのだ。
俺はアレスの帯を腰に付けると精神を集中する。
今日も含めて何度かこの力を使ったが、発動にはさして時間もかからないし、難しいコツもいらないようだ。ただ力を求めるだけで、強くなりたいと願うだけで良い。
「……ウ、クッ……」
自分の体が輝き出す。俺の中からではないどこからかより荒ぶる力が流れ込み、体を震わす。俺の四肢は伸びきり喉を野獣の咆哮が通り抜けようとする。
……ここ、だ。俺は堅く歯を噛みしめ抗う!
「ム、ムホッ!? ムホホホホホホホ!?」
「あーやっぱダメかー」
マモルの後ろでレイシアが笑い転げていた。可憐ちゃんも上品に口を隠して笑っている。 ちょっと恥ずかしかった。
「……さて。せっかくスーパー☆YOUTAになったことだし、このまま出来る遊びでも考えてみるかな」
「――なら、わたしと遊んでみない?」
庭の柵をまたいで入ってきたのは、なつめだった。
首にタオルをかけて手には弓と木剣を持っている。きっとどこかで鍛錬してきてその帰りなのだろう。
「『遊んでみない?』って。オマエはどっかの立ちんぼかそれとも80年代の不良か?」
「う、うっさいわね! 勝負しなさいよって言ってるのよ!」
なつめはノースリーブのシャツに陸上選手の穿くようなショートパンツ姿。むき出しの手足には戦化粧がところせましと書き込まれていて、せっかくの長くてきれいな脚が台無しな気もする。カモシカのようにすらりと伸びた白い脚……。
「ってゆうかカモシカ見たことねえのにカモシカの様、って表現はどうなんだろう」
「わたしも見たことないけど、たしかにたとえるならカモシカのようってかんじだよね。なつめちゃんの脚はっ」
「……レイシア? 言葉の端からひとの思考を読み取るのはやめなさい。よしんば、せめてその心の中に仕舞っておきなさい」
「いたたたっ!」
俺はレイシアの頭にウメボシをお見舞いした後、なつめに向き直った。
「っつーか、なつめ。1回俺に負けてるじゃん。既に身も心も俺のモノじゃん」
「誰がアンタのモノになったッ!?」
「ぶッ!?」
もはや予定調和となったケリが俺の顔にめり込む。
……この強気なトコがまた男の征服心とか嗜虐心とか色々こう? 煽る感じ?。
「うん、わかるわかるっ。プライドたかくてナミダひとつみせないコが屈したしゅんかんてグッとくるよねっ」
「ヘイ、レイシア! アイアンクローって知ってるかい?」
「い、いたたたっ! ゆうた! けっこうキクよっ!」
なつめは付き合ってられないとでもいうようにため息をひとつ付くと可憐ちゃんから麦茶を受け取った。一息に飲み干した後、レイシアを見た。
「レイシア。あの時コイツの体に描いてあった落書き。あれ、戦化粧だったんでしょ」
「あ……まさか」
おでこから煙を噴いているレイシアを解放する。あの時とは……祭りの夜の事、だ。
「でもないとあの手枷外せるワケないし。それにその後のコイツの動きも常人離れしてたしね」
「さあねえ~」
レイシアはそっぽを向いていたが、なるほど、確かにそれなら納得がいく。
鉄で出来た手枷や鎖を引き千切る怪力。武術の心得は皆無、ケンカの経験もそんなにない俺が、このなつめを出し抜きババァを倒せた力。
「おっと! あの時のゆうたの竿さばきは正に阿手内流壱本釣り竿術のもの! 忘れてもらっちゃ困るぜ」
「……どれもこれもカッコ悪いな」
誇らしげに胸を張れるマモルが羨ましい。
空になったコップを縁側に置いたなつめは木剣をくるくる回しながら庭の中央に進み出た。大きく伸びをするとビッと木剣を俺に向ける。
「油断してたのはこっちの責任だし、不覚をとった言い訳じゃないんだけど、ね。さあ、勝負するの? しないの? ちょっとそのアレスの帯とやらの力、見てみたいのよ」
「……わかったよ。しょうがねえな」
俺はマモルから釣り竿を受け取り、なつめと対峙した。
なつめは満足そうに頷くと木剣を構える。
「よし! ……あ、言っておくけど、この間みたいに私を動揺させて隙を作る、なんて手はもう通用しないからね」
……ふむ。
「……この間? なんか言ったっけ?」
「い、言ったじゃない!」
「んん~? そだっけ?」
「そ、その……わ、私の……その、おしりが? ……おっきい? とか?」
ひどく動揺してるようだ!
「なんだ。なつめのケツはでっかいのか?」
「で、でかくないわよ!? 標準……よりいくらか上なだけよ! この年頃の女の子にありがちな感じなのよ!」
縁側でレイシアと可憐ちゃんが自分のお尻を押さえていた!
「ハイハーイ。決して大きくないおしりのなつめさんイキマスヨー?」
「こ、こ、ここ殺してやる!」
言うが早いかなつめは俺に木剣を叩き付けた。とっさに竿で受けるも俺は弾き飛ばされる。
「ぐっ!?」
しまった……煽りすぎて羞恥を飛び越し憤怒の領域に達してしまったようだ!
紅蓮の炎と見まがうなつめの瞳はまさに修羅のそれ。間髪入れずに追い打ちしてきたなつめと鍔迫り合いに入る……!
「ふふふ……殺しちゃえばいいんだわ。王さま、とか? いなくなっちゃえばいいんだわ」
「じょ、条約違反ですッ!?」
アレスの帯の力で何とか押し切るも、息もつかせぬ怒濤の連続攻撃が俺を襲う。スーパー☆YOUTAとなった俺の体にちょっとやそっとの打撃は効かないものの、気圧された俺は後ろに大きく飛び退いた。が、なつめはすぐに距離を詰め襲いかかってくる。
「たぁあ!」
「くっ!」
戦化粧による力とアレスの帯の力を比べるならば、圧倒的に後者が上回る。
レイシアに書かれた落書き紋様の時と比べて、アレスの帯は段違いのパワーを供給してくれる。腕力もスピードも、目の前の少女を軽々と凌ぐだろう。
だが……彼女はそれを補って余りある剣の技術をもっていた。
日々鍛練を積み、実戦で鍛えられた技。
彼女は舞いでも踊るかのように剣を振るう。空を切り裂く軌跡は自由自在に飛び回る燕のようだ。無駄のない洗練された技というのは極限まで突き詰められた芸術と何ら変わることはないのだ。
それに比べて俺はてんで素人だ。運転免許も持ってない子供がフォーミュラーカーに乗ったところで扱いこなせるわけがない。
「……もったいない」
何度目かの鍔迫り合いのさなか、彼女は低く声を出した。
「アンタ、全然その力を使いこなせて無いじゃない」
「大きな、お世話……だッ!」
木剣を掴もうと手を伸ばすが、なつめは軽く飛び退く。
「それに、なんで打ち込んでこないのよ。こないだもそうだったけど、まさかアンタ女には手を出さないとか言い出すわけ?」
「……さあね」
……あたりまえだ。女の子を殴れるわけねーだろ。
多分、この美しい女剣士には、俺がいくら拳を突き出したって剣を振るったって届くことはないだろう。でも、そんな事は問題じゃなくて。女の子に手を上げようとする行為自体、男としてありえないわけで。
「おとめのおでこにアイアンクローはありえるのかっ!」
「ヘイ、レイシア! コブラツイストって知ってるかい?」
「ぶ、ぶれいくっ! ぶれいくーっ!?」
金髪妖怪サトリを芝生に沈めた。
「アンタね、人をバカにすんのもいい加減にしなさいよね。私たちはこの島で育ったアマゾニスなのよ。物心付いたときから剣は握ってるのよ。アンタの独りよがりな物差しで量ってんじゃないわよ!」
なつめの目は、冷たくなっていた。
――――落胆と悔しさを滲ませて。
彼女の構えた剣がゆっくりと下がるのを見たとき、俺の胸には柄にもなく熱いモノがこみあげてしまった。
「なんだよそれ! こんなド田舎のルールなんか知るかよ! こっちだって物心付いたときから女の子には優しくなさい、って母ちゃんに言われてんだよ! オマエこそ独りよがりな物差しで俺を量ってんじゃねえよ!」
「な、なによ……! ご、郷に入れば郷に従えって言うでしょ!?」
「おれは王さまなんだろ! 俺の郷に従えよ!」
なつめは唇を噛むと再び木刀を俺に向けた。
「ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う……。そんなへらず口二度と聞けないようにしてやるわ!」
「――ッ!?」
気付いたときには遅かった。身構える暇もなく、なつめは俺の懐に飛び込み木剣をアレスの帯に絡ませ振り上げる……!?
空中高く舞い上がったアレスの帯は、なつめの手に吸い込まれた。
途端、重くなる自分の体に堪えられず俺は膝をつく。アレスの帯を失った俺に蓄積した疲労と痛みが襲いかかったのだ。
なつめは不敵に笑うと俺の鼻先にアレスの帯をぶら下げ左右に振って見せた。
「勝負、ありかな?」
「く……ま、まだ……!?」
どっと溢れ出す脂汗。混乱した頭で策を探す……!
「ふん。このアイテム、使いこなせないアンタが持つよりわたしが使った方がいいんじゃないかしら? 元々強いあたしが使えばさらにもっと強く……ってあれ?」
アレスの帯が鈍い光を放ち始めみるみるうちになつめを包んでいく。
「な、なにこれ? なんかスゴイ力が……体の中に入ってきちゃ……!?」
なつめの膝はがくがくと震え始めた。唇を噛みしめ懸命に堪えているようだが、もはや時間の問題、だった。
「イ、イヤ……ん、くっ、や、す、スゴイのきちゃうのあああぁぁぁはああんん!!!」
絶叫と共に、なつめは達した。
いや、なんか、その? 戦士としての高みとかに達する? みたいなだと思う。
「……はっ!」
我に返ったなつめが今さら口元を押さえても、もう遅かった。
マモルの目を後ろから隠す可憐ちゃん。
ケータイを構えているレイシア。
俺は自分の顔にぶら下がった布きれをつまむと、なつめに渡した。
「……エエト、その? とりあえず、ほら。これ返すよ」
それがついさっきまで自分の身につけていたブラジャーの残骸だということに、そして俺に向かって裸体を晒していることに気付くには、さして時間はいらなかった。
「ひ!?」
胸を押さえて後ずさるなつめ。
「い、い、い、いいいいい!?」
「エエト……ホラ! その髪、シド・ヴィシャスみたいでカッコいいゼ? なつめ!」
「も、もうイヤぁぁぁあああーーーッ!!!」
なつめは脱兎のごとく駆け出すと木立に飛び込む。
絶叫と木々を薙ぎ倒す音は、やがて遠ざかり、消えていった。
頭上にはじりじりと照りつける太陽。
無数の蝉の声は潮騒と混じり合い、音のシャワーとなってふりそそぐ。
「……なつめちゃん……アナタはもう――」
レイシアは小さな声でつぶやく。
その目には、涙が浮かんでいた。
「――ヨゴレけっていだねっ……」
「この島にまともなヒロインはいないのか?」
この日、なつめは帰ってこなかった。




