2,少女の記憶
人間族の軍人たちが追ってくる。近くに住む魔族の仲間たちと共に、少女はひたすら逃げた。
小さな村にあった少女たちの平穏な生活は、あの忌々しい「解放宣言」によって唐突に破られた。
木々が生い茂る小高い丘を、少女は必死で駆け上がる。
「大丈夫っ、大丈夫っ……」
誰かが、言った。自分に言い聞かせているのか、或いは他の誰かを安心させるために言っているのか。
「……ああっ!」
先頭を走っていた男が、急に立ち止まった。あまりにも急だったので、少女は前の人にぶつかってしまった。
「どうしたんだよッ!?」
集団の後ろの方から、怒鳴り声が上がった。後方には、掃討軍が迫っている。
「だ、めだ……」
その問いには答えず、先頭の男は言った。前方にも、軍が立ちふさがっているのである。
男の絶望感は、すぐに集団全体に伝染した。
「どけえェッ!」
1人がパニックを起こして人間たちに向かって突っ込んでいく。その男は水の魔法を使い、軍人たちを押し流そうとした。
軍人たちはその水流に多少は押されたものの、ほとんど動じなかった。彼らが剣を振るうと、その大量の水は弾けるようにして消えたからだ。
「あ……!?」
「無駄な抵抗はよせ」
軍人の1人が言った。そして男に斬りかかった。
「うわあああっ!」
男は自分の周りに水流を起こし、身を守ろうとした。……が、その軍人の剣はそれを一撃で消し飛ばすと、次の一撃で男の左肩に食い込んだ。
「あァァッ……!」
男の呻きと血飛沫が同時に上がり、直後、男は倒れた。
少女の周りからは、悲鳴すら起こらない。皆、恐怖の表情のまま、ただ、倒れた男を見つめている。
軍人たちが一歩、また一歩と近づいてくる。少女の周りの人々は、相変わらず凍り付いたままだ。しかし、少女は違った。彼女の思考は止まっていなかった。止まってくれなかった。
(私も、あの人みたいに斬られて死ぬんだ……!)
そして、そのイメージがリアルに浮かび上がってくる。
「あ……あっ……!」
パニックに陥る寸前であった。しかし、その時。
彼女の手を、誰かが握った。温かいその手で握ってくれたのは、彼女の母親だった。そしてもう1人……彼女の父親は娘の頭をそっとなでると、言った。
「落ち着きなさい。大丈夫だから」
それで少女は、一旦冷静さを取り戻した。しかし。
2人の手が離れる。両親が人間に連れていかれる。
「あっ!待っ……」
後ろから別の人間に腕を掴まれる。
「離してっ」
「止めなさいっ!」
振りほどこうと動いた瞬間、怒鳴られた。
彼女の父親であった。少女は驚いた表情のまま、彼を見つめる。
「大丈夫。いつか必ず、お前を助けてくれる人が来る」
少女は黙って聞いている。しかし、溢れ出した涙は止まらない。
「……だから、お前はお前を見失ってはいけない。分かるな?」
少女は小さく頷いてみせた。
「そのくらいにしていただけませんかね?」
1人の人間がイライラした様子で言う。
父親ははい、と答えて、その人間に従った。少女は、もう暴れたりしなかった。……ただ、涙を流しながら、自分を冷酷な目で見下している人間族の軍人に従って歩いた。
―――――――――
少女は目を覚ました。……いつの間にか眠っていたようだ。
(5年は経ったと思うけど……それでも鮮明に思い出せるもんだなぁ……)
そんなふうに思えるくらいに、彼女は冷静になっていた。
(お昼は食べたけど、夕飯はまだ出てないから……夕方くらいかな……?)
窓のない牢獄の中で、少女はそう推測する。
(もう5年……。まだ、私を助けてくれる人は来ないよ、お父さん)
少女は、おそらくもう会えないであろう父親に心の中でそう報告する。