1,異動
人間族が魔族による支配からの脱却を宣言した「解放宣言」から早10年。魔族掃討軍第0309小隊は解放宣言のあったカルトロの首都、アクネの東部を拠点に活動している。「活動している」と言っても、北原信冶がこの小隊に入ってからの数年間戦闘はほとんどなく、事務的な仕事がほとんどだった。現在も掃討作戦を頻繁に行っているのは地方の小隊ぐらいだろう。
「魔族、大分減ったなあ……」
拠点、というには少々狭すぎる「部屋」。決して座り心地が良いとは言えない座イスにひょろ長い身体を落ち着けながら信冶が今見ているのは、10年前に掃討作戦が始まってからの魔族の数の推移だ。
「これまでの掃討作戦で3分の1くらいになってるもんね」
信冶の独り言に反応したのは、数少ない女性の小隊長である栗林奏だ。隊長になるだけあってその剣術もトップクラスの彼女は、後ろで1つに束ねた長い髪を揺らしながらせかせかと事務仕事に立ち回っている。
「まだ3分の1とも言えるけどな」
奏の言葉に、副隊長の矢野将太がだるそうに、黒が混ざった茶髪を掻きながらそう言った。
信冶、奏、将太の3人は幼馴染である。幼いころから掃討軍に入ることを夢見ていた3人は、近所の道場で剣の技術を学び、その後の訓練生活も共にしてきた。そのため、小隊に入ってからも今のように自然と集まって話をすることがよくあった。
「魔族がいなくなるのも、時間の問題だよ」
信冶は将太に言う。
そう。いずれ悪魔たちは全て葬られ、この国は平和になる。この時信冶はそう信じていた。この時までは―――。
ある晴れた朝のこと、0309小隊のところへ本部から1人の軍人がやってきた。
「どのようなご用件でしょうか……?」
奏が少し緊張した面持ちで、しかし落ち着いた声音で尋ねた。
「人事異動を言い渡しに来た」
男はあくまで事務的に告げる。
「人事……異動」
奏はそのままを口の中で繰り返した。
「北原信冶はいるな?」
「あっ、はいっ!」
自分の名が呼ばれ、少々どぎまぎした様子で信冶は返事した。
「お前にはイオリアの魔族収容所へ行ってもらう」
「しゅ、収容所?」
「詳細はここに記してある」
信冶の反応を気にも止めず、男は書類を奏に渡す。
「以上だ」
それだけ言うと、男はすぐに出ていった。
「なんか感じ悪いなあ……」
男が出ていった扉に向かって言う奏に将太が
「それよりその書類」
と促す。
「あ、うん。……ええと、」
奏はそれに目を通す。
「……えっと、要は、信冶の働きが良かったから、イオリア……アクネの東隣だね……にある第5収容所で看守として働いてくれってことみたい」
「とりあえず悪報ではないわけか。よかったぁ……」
信冶がほっと息をつく。
「当たり前じゃん。看守だよ?魔族収容所の看守は、上の人たちに認められなきゃなれないんだから!」
奏は半分呆れた様子で言う。もう半分は仲間が認められたことに対する喜びだ。
「じゃあ、今夜は送別会でもしようか」
奏は笑顔でそう宣言した。
送別会は信治と親しい数人だけでしめやかに行われた。その会の中でも、やはり多くを彼と語りあったのは奏と将太だった。何しろ3人はこれまで「奇跡的」と言えるほど一緒にいたのである。そんな2人との別れは信治にとって人生の大きなターニングポイントと言えるのだ。3人は日付が変わる頃まで思い出を語りあった。
送別会の翌日の昼過ぎ、信冶は仕事場にある私物をまとめていた。家の荷物は既に片づけてある。新しい環境に移る時が来たようである。
「これでよし……と」
「いよいよ出発、だね」
奏が見送りに出てきた。小隊のメンバーも、それに続く。
「頑張れよ」
将太は、それだけだった。らしいと言えばらしいが。
「うん、ありがとう」
信冶も、それだけ返した。
「たまには、戻ってきてもいいんだからね……?」
奏は、彼女にできる精一杯の正直な言葉を口にした。
「うん。……それじゃあ、お世話になりました!」
信冶は頭を下げてから、ゆっくりと新しい仕事場へと1歩を踏み出した。