2,アクネへ
「……へえ」
エトニアの診療所。その、休憩室にいた医師の誠は小さく声を上げる。
すぐに部屋を出て、1週間ほど前にここに来た患者の元へ向かう。
「あ、飯田さん!」
誠の姿を認めると、梓はすぐに彼に駆け寄る。
「飯田さん飯田さん!瑞紀がもう大丈夫とか言ってベッドから出ようとするんですよ!?ホントに大丈夫なんですかっ!?」
「それくらいなら全く問題ありませんよ。まだ完治したわけじゃありませんけど」
「そっかあ……、よかったあ」
梓はその場にへたり込む。
「すいません。そいつすぐ騒ぐもんで」
啓太が謝る。
「いや……、もう慣れましたし」
瑞紀がここに運ばれてきてから今日まで、梓はほぼ毎日そんなことを繰り返していたのだ。
「もう……、大袈裟なんだよ、梓は」
瑞紀が呆れ顔で言う。
「だってぇ……!」
梓は今にも泣き出しそうな顔をする。
「……しかし、行ったと思ったらすぐ帰ってきましたね」
誠も少々呆れた様子で言った。
「すいません」
今度は信冶が苦笑しながら謝る。
「……ああ、そうだ」
と誠はそこで自分がこの部屋に来た本来の目的を思い出した。
「あなたたちは、軍と何かしら関わっているんでしょう?」
「えーと……、まあ」
信冶は曖昧に答える。
「なら、来てください。ちょっとすごいことになってますよ」
「?」
信冶たちは怪訝に思いながら、誠の後に続く。
「あっ、待って!」
梓が叫ぶ。
「瑞紀はベッドから出てもいいんでしたっけ!?」
「いい加減にせいっ」
啓太と瑞紀が同時につっこんだ。
誠は進治たちを連れて、休憩室に入った。
「ほら、これ。さっきからずっと放送されてますよ」
誠はテレビを指し示す。
「あー、そういえば最近テレビ見てな……」
信冶は途中で言葉を切った。視線は完全にテレビに釘付けになる。
「……反乱!?」
「上層部の人間の抹殺って……!」
瑞紀も息を呑む。
「……奏……将太……」
信冶は携帯を取り出す。……が、その姿勢のまま固まる。彼らが、今の自分に口を利いてくれるはずないではないか。
(……それなら、)
信冶は、別の番号に電話をかける。
『……はいっ、……』
相手はすぐに出た。
『北原さん……?』
電話帳に登録されていたので、信冶がかけてきたことは分かったのだろう。
「丹波さんだよね?」
『はい……』
美奈はかなり動揺しているようだった。無理もない、と信冶は思う。彼は現在、軍を裏切った反逆者の身なのだ。
「テレビ見たんだけど……、軍の現状を知りたいんだ」
『……何で隊長に訊かないんですか?』
おそらく美奈は、その理由を分かっている。分かっていて、訊いている。信冶はそう思った。
「奏とは……、今喧嘩してるから、ね……」
信冶はなるべく軽い感じで答える。
『ふざけないでくださいッ!』
しかしその言い方はかえって彼女の癇に障ったらしい。
『何ですか、「喧嘩」って!隊長は今、そのせいで独りなんですよッ!?』
「独り……?」
その言葉が、引っかかった。
「将太は……、どうしたの……?」
『あの人もいなくなりましたッ!』
吐き捨てるように美奈は言う。
「将太も……?」
彼も、この世界に疑問を持ったということだろうか。
『美奈?どうしたの?』
遠くで奏の声が聞こえる。
『いえ、なんでもありません!』
美奈はそう返事をしてから、
『隊長をこれ以上悲しませないでください……!』
声は抑えているが強い口調で言った。
「……」
信冶は、何も答えられない。
そうこうしている間に、通話は切られた。
「……信冶?」
梓が心配そうに声をかける。
「え、……ああ、うん……」
信冶は半ば放心した状態で答えた。
……と、不意に携帯の着信音が鳴った。
「!」
美奈からのメールだった。それには、軍が内部分裂した経緯について簡潔にまとめられている。
『ありがとう』
短い礼のメールを返信してから、信冶はそのメールに目を通す。
「え、何、誰から?」
梓が問う。
「……本部に行こう」
信冶は、携帯の画面を見つめたまま言う。
「は……?」
瑞紀が怪訝な顔をする。
「本部って」
「アクネにある、掃討軍総本部だよ」
「おい、ちょっと待てよ」
啓太も、多少動揺した様子を見せた。
「これから戦場になるって言われてる場所に行くのか!?」
「国を変えられるチャンスが来たんだ」
「それって反乱軍に加わるってことか!?」
「正式に加わるってわけじゃないけどね」
「……」
啓太は少し思案するように顔を俯かせる。
「それにこの戦い……、政府軍が勝ったら俺たちにとっても問題なんだ」
「どういうこと?」
瑞紀が怪訝そうに問う。そこで信冶は、美奈から受け取ったメールの内容を彼女たちに話した。
「……そんな」
瑞紀は動揺を隠せない。
「それなら確かに、行かなきゃなんねえな」
啓太は納得したように頷く。
「もちろん、強要はしない……」
言いかけた信冶を啓太は手で制す。
「何度も言わせんなよ、リーダー」
「ああ……、ごめん」
信冶は苦笑する。
「……また、危ないとこ行く気ですね?」
誠が腕を組んで言う。
「怪我したらまた来てもいいですか?」
瑞紀が珍しく少しおどけて訊いた。
「いや、」
誠は首を横に振る。
「私も行きますよ」
「え!?」
瑞紀たちは驚いて声を上げた。
「国が変わる瞬間を見逃す手はないですからね」
誠はすまして言う。
「でも……、危ないですよ?」
梓が言う。
「別に最前線まで出ていこうって気はないですよ。……まあ、安全な位置で医療班の手伝いでもしてます」
「……この人、言ってもきかねえだろ」
啓太が信冶に言う。
「そうだね」
信冶はまた苦笑しながら言う。
「行こう、アクネへ」