2,思惑
「……えっ、連絡ないの?」
奏は携帯を片手に、部屋を出る。右はまだ痛むので、左手に持っている。
彼女はまだ、正史の家に残っていた。右腕の治療を受けるため、というのは表向きの理由である。心を落ち着かせたかったというのが実際のところだ。
信冶がとった手段……、それは奏の覚悟を踏みにじる行為であり、彼女は腹が立った。しかし信冶がそのような行動をとった理由は、敵となっても、友人である奏を殺したくはなかったからである。決して彼女の気持ちを傷つけるためではないことくらい、奏も分かっている。だが、だからこそ彼女は怒ることができず、むしろ胸が痛む思いをしていた。
『そうなんです。こちらからかけても出ないですし……』
電話の相手は、現在0309小隊を取り仕切っている美奈である。
「分かった。私からも一応連絡してみるね」
『お願いします』
「それじゃあ、またね。明日明後日くらいにはそっちに戻るよ」
『はい!』
さっきよりも明るい調子の返事。隊長も副隊長も不在という状況の中、不安だったのだろう。ほっとしたような、そんな気持ちが伝わってきた。
「……ごめんね」
『えっ?』
「いや……、それじゃあ、またね」
『はいっ』
奏は通話を切り、リビングに入る。
リビングでは、正史がコーヒーを飲んでいた。
「師、」
奏は呼びかける。
「何だ」
正史は相変わらず無愛想に返事する。
「将太、連絡つかないみたいなんです」
「ああ……、あいつは時々、ひどく不安定になる時があるからな……」
正史は頬杖をつきながら呟く。
「はあ……。あの、とにかく、将太も帰ってないから、小隊これ以上放っておくわけにもいかないので、私帰ります」
奏は、正史の言葉をどうとってよいか分からずに、とりあえず自分の考えを話す。
「そうか。……もう、落ち着いたか?」
正史は心持ち顔を上げて、言った。
「……正直、まだふらふらしてますよ。信冶を追いかけたいとも思ってる。……でも、あれが1つの決着だったんだって、だから私はもう、『隊長』に戻らなきゃって思えるくらいにはなりました」
奏は部屋の片隅に立てかけてある信冶の剣を手にし、その柄にハンカチを巻き付けた。
「私は人間の幸せを守ります。それだけは、もう絶対に揺らがない」
◆ ◆ ◆
「人間が、ここに?」
上級魔族の1人が声をあげる。
突然入ってきたこの情報に、議会は再招集されていた。
「数は?」
「3人です」
守衛についていた魔族が答える。
「3人……!?」
「はい。それから、魔族が1人」
「その魔族が、人間をここに導いたというわけか。……しかし、3人とは……」
その議員は、呆れたように呟く。
「何が目的だ……?」
議会がざわめく。
「多分、俺に用があるんだと思います」
修が言った。
「何?」
議員の魔族は、怪訝そうな様子を見せる。
「その人間たちは、俺に用があって来たのだと思われます。したがって、議会や、他の魔族に対して何かしてくるということはないと思います」
修は努めて、静かな口調で話す。
「なぜ分かる」
「入ってきた情報が正しければ、俺は1度、その人間たちと戦っています。そのリベンジといったところでしょう」
「リベンジ!?……まったく、お前はどうしてまた、そんな火種を作ってくるんだ……」
別の魔族が溜息混じりに言う。
「その人間たちが背後に軍を控えさせていたらどうする……」
「いえ。その心配はないかと」
修は怒りを押さえ込みながら、そう返す。
「なぜだ」
「彼らは掃討軍を裏切った……言ってみれば人間のはぐれ者です。軍がついているはずがない」
「……だが、お前の言うことを100%信じることはできん」
「まずは俺を行かせてください。俺が彼らに目的を直接聞きましょう。俺に用があるのならば、あなた方はこの件に関して一切口出ししないでいただきたい。……しかし、もしも彼らの目的が別の所にあったならば、その後のことに関して、俺は一切口出ししません」
修は「一切」を強調して言う。
「あなた方にとっても悪くない話であるはずだ。たとえ彼らの後ろに軍が控えていたとしても、俺は捨てゴマだ。時間稼ぎのために使えばいい」
「ふうむ……、どう思う」
議長が誰にともなく尋ねる。周りの魔族たちはしばらくざわついていたが、反論するものは出なかった。
「……よし、分かった。鏑之宮修。お前の案を採用しよう」
「ありがとうございます」
修は半分棒読みの礼を言うと、議会を出ていった。
「……向こうには、連絡ついたのか?」
議会が解散され、部屋に戻った中年の男は、留守を預かっていた魔族に尋ねる。
「ええ。喜んでいましたよ」
「だろうな。やつはアレをそうとう欲しがっていたからな。……ところで、向こうの状況はどうなってる」
男は椅子に深く腰掛ける。
「はい、向こう側は既に声をかけ始めているそうです」
「そうか。……まあ、向こうは組織が大分ばらけてるからな。こっちの場合、議会の連中を言いくるめるのは難しくないし、急ぐこともないだろう。問題はアレを奪うタイミングだったが……、それも今日解決したしな」
男は上機嫌で椅子にもたれ掛かる。
「今夜は、祝い酒だな……」