1,焦燥感
信冶たちは、オルガより北の地、アクネの北西に位置する小さな町エトニアの診療所にいた。
「……まだ出ていくには早すぎると思いますが?」
この診療所の医師は、ベッドから起き上がって窓の外を見る信冶に言う。
「まだ何も言ってませんけど……」
信冶は苦笑しながら返す。
「『まだ』でしょう?」
「……」
信冶はあちらこちらに包帯の巻かれた自分の身体を見る。
「自覚はしてますよ」
「してたら、出ていこうとはしないと思いますよ」
「いや、ホントに分かってます。分かってますけど……、もう1週間ですよ?俺、あんまり時間ないんで」
「……何か訳がありそうですね」
「まあ……。そうだ、あなただって俺みたいな訳アリの患者をいつまでも置いときたくないはずだ」
「……訳アリ、か。まあ、そうでしょうね。刀持ったボロボロの人ってなると、軍人だろうけど、軍服着ないで戦いに出ていくっていうのはおかしいし、軍にも医療班がいるだろうにわざわざこんな田舎の小さな診療所に来るなんて……、訳アリだと思わない方がどうかしてる」
医師は顎に手を当てて髭を擦りながら、推理するようにそう話した。年の頃は20代後半か、いっても30代前半といったところだろう。ところどころ撥ねた髪や剃り残した顎髭、そして白衣の下に着ている少々派手なシャツは、彼から「医者らしさ」を幾分か奪ってしまっているが、不思議と不快な印象を信冶は受けなかった。
「……そこまで怪しいと思ってるなら、俺を止める理由はないでしょう?」
「……分かりました。どうぞ、行ってください」
信冶の真っ直ぐな目を見て、医師は頭を掻きながら投げやりに言った。
「ありがとうございます」
信冶は礼を言って、身支度を始める。
「ただ、誤解してほしくない」
医師が少々機嫌悪そうに言う。
「訳アリであろうが魔族であろうが、私にとっては、『患者』は『患者』だ」
「魔族……あー、」
……と、その時、買い出しに出ていた瑞紀たちが診療所に戻ってきた。
「ただいまーっ」
色眼鏡をかけた梓は、全く目立たないようにしようという気がないらしい。開けっぴろげにした彼女の様子からは、逆に怪しさが感じられなかった。
「……もしかして、気づいてます?」
信冶は、少し居心地悪そうな様子で問う。
「ええ、まあ」
医師は事も無げに言う。
「今更、だからどうだってこともありませんが」
「……ハハ」
信冶は思わず笑みをこぼす。
(いるんだ……)
祐介は言った。今や国全体が魔族の掃討を支持している、と。信冶の中にはその言葉が残っていて、由実香と収容所を出てからも、この国の人間全てが敵であるように思っていた。何も信じられなかった。
しかし、信冶は出会った。魔族である梓と強い絆を持ち、彼女を救うために戦っていた啓太や瑞紀。信冶を支持するわけではないにしろ、軍と戦っていく道もあるということを認めてくれた正史。そして、魔族をつれて突然現れた信冶を無条件で信じてくれた目の前の医師。
その数は、とても少ないのかもしれない。しかし、ゼロではないのだ。
「名前、訊いてもいいですか?俺は北原信冶っていいます」
診療所を出る時に、信冶は医師に言う。
「飯田誠です」
誠は煙草を吸おうとするような仕草を見せたが、そんな自分に気がついたようでそれを誤魔化すように頭を掻いた。つくづく医者らしくない医者だと信冶は苦笑しつつ、
「ありがとうございました」
と礼を言って診療所を後にした。
「いよいよリベンジか?」
啓太が訊く。
「うん。梓、このまま北へ向かえばいいんだよね?」
「そだよ」
梓は自信ありげに答える。
「上級魔族のほとんどは『議会』の側に住んでるもん。そしてその議会はエトニアの北部にあるんだ」
「OK。んじゃ行くぞ」
啓太はアクセルを踏み込む。
◆ ◆ ◆
「だからっ、やられる前にやろうって言ってんですよっ!」
エトニア北部、上級魔族の集まる議会。そこで修は訴える。
「しかし、そんなこと言ってもな……」
初老の上級魔族が言った。
「このままでは、魔族は人間に滅ぼされます!そうならないためにも、こちらも戦力を集めて敵の本部を叩くべきです!」
修は何度も繰り返す。
「いや、ここは焦らずにもう少し様子を見るべきだろう」
また別の魔族が言う。
「そうだ。……だいたい、入ってきたばかりのくせに出しゃばるな、小僧」
さらに他の魔族が、修を睨む。
「……」
修は、大人しく引き下がるしかなかった。
「くそっ!あんのクソジジイども……!」
部屋に戻って早々、修は悪態をつく。
「あいつら、動く気ねえな。自分たちさえよけりゃ、それでいいと思ってやがる……!」
部屋の窓際に寄りかかって外を見ていた魔族は、そんな彼の様子を少し寂しそうな笑みを浮かべながら見つめる。
「……そんな顔すんなよ」
修に言われて、由実香はいまいちピンとこない、というように小首を傾げる。
「私、そんな変な顔してた……?」
「変なっつーか、何つーか……、あの人間たちといた方が良かったのか?」
「それは……」
由実香は、窓の外を見る。
「それは……、分かんない。でもあの時は、こうすることが1番だって思ったの」
「はっきりしねえな……」
修は少し落胆した様子を見せる。
「ごめん。……でもね、はっきり言えることもあるよ」
由実香は修を振り返る。
「修が迎えに来てくれた時、吃驚したけど、すごく嬉しかった」
彼女は少し恥ずかしそうに笑った。
修は苦笑して、由実香から目を逸らす。結局どっちが良いのかは口にしない、中途半端な答え。しかし今の彼には、それで十分だった。