1,由実香の話
信冶と由実香は、アクネに入った。信冶の実家に行くためだ。
信冶はともかく、由実香は布に首と手が出せるように穴を開けただけの囚人服を着ている上に、風呂にも入っていないために髪もボサボサで、とても外を歩ける状態ではなかった。その問題を解決するために信冶が提案したのだ。
(2人とも出掛けてりゃあ、いいんだけど……)
いくら家族とはいえ、今の信冶は反逆者である。そんな息子を2人が受け入れてくれるか、彼には自信がなかった。
幸いなことに、両親は出掛けており、家には誰もいなかった。
「よし。そしたら、風呂入って、母さんの服適当に出して着替えちゃって」
「はい」
「まあ、気に入らないかもしれないけど、この後買いに行くまでの間だけだから」
由実香はおかしそうに笑った。
「今着てるのに比べたら、どんな服でも素敵に見えますよ!」
サイズは多少大きいようだったが、由実香は楽しそうに服を選び、風呂場に入った。信冶はなんだか落ち着かず、テレビの電源を入れる。
ニュースが放送されている。信冶は由実香が風呂からあがってくるまでの間見ていたが、収容所のニュースは報道されなかった。ほっと息をつくが、考えてみれば、民間には知らせたくないニュースだろうと思った。何しろ軍人が事件を起こし、逃亡したのだ。そんなニュースが流れれば、民間の不安を煽るばかりでなく、軍人が動きにくくなってしまうはずだ。
「収容所のこと、流れてますか……?」
由実香が不安そうに尋ねる。風呂に入って綺麗になった彼女の黒髪が、肩から胸の辺りに流れ落ちる。
「いや、まだ流れてない。大丈夫だよ」
とは言ってみたものの、軍の中ではすでに情報が広がり始めていると信冶は踏んでいた。
「俺も風呂入ってくるよ。そしたら、服買いに行こう」
信冶の予想は、当たっていた。まさにその頃、各地の軍人たちは収容所の事件の話を聞いていたのだ。
「うそ……!」
たった今受け取ったばかりの書類に書かれている名前に、奏は信じられない、といった様子で呟いた。
「第5収容所にいた魔族を全員解放……。けが人が2人か」
将太は冷静にそこに書かれているものを読んだ。
「信冶がこういうことするとは、思わなかったな……」
「……私が、捕まえる」
奏は強く拳を握りしめる。
「こんなことして……絶対に許さない……!」
◆ ◆ ◆
信冶と由実香は家を出て、その近くにあるデパートで買い物をしていた。
「すごいですね、人間族の町のお店って」
由実香は洋服売場の中を、あちこち見てまわっている。思わず信冶は辺りを見回したが、近くには誰もおらず、ほっと息を吐きながら、彼女に尋ねる。
「魔族の世界には、こういう店ないの?」
「ありますよ、服売ってるところは。でも、こんなに可愛い服とか、ないですもん」
「ふうん」
由実香は、不意に笑った。
「なんか、こんな時だけど……、すごく楽しいです」
由実香は本当に幸せそうだった。
「そっか。それは良かった」
信冶もつられて笑った。
ひととおりの買い物が済んだ頃には、空が赤く染まっていた。
「今のうちに、旅館とかで休んでおこう。俺、いいところ知ってるんだ」
信冶の提案で2人は、街の外れにある、小さな旅館に泊まることにした。見た目は少々古ぼけた感じだが、静かで落ち着いた雰囲気を醸し出しているその旅館は信冶のお気に入りで、彼は何度もここに来ている。
「静かでいいですね」
由実香もその雰囲気が気に入ったようだった。
部屋に入って夕食を済ませた信冶は、由実香に話しかけた。
「あのさ……何から訊けばいいのか分からないんだけど……君たちの歴史を聞かせて」
「分かりました」
由実香は頷いて、話し始めた。
「……そもそも私たちの歴史は、始まりが違います」
「始まり?」
由実香はまた頷く。
「人間族の方では、自分たちに都合のいいところだけを切り取って伝えてるみたいですね。確かに魔族が人間を支配してたのは事実ですけど、その前に人間が魔族にしてきたことを伝えないのはずるいと思います」
「魔族による人間支配時代の、前か……確かに俺らは知らないな」
「まあ、その時はまだ、今の『魔族』ではなかったから、人間は無視してるのかもしれませんね」
由実香は苦笑する。
「でもそれが原点だと私は思うんですけどね」
「何、どういうこと……?」
「つまり、その時人間に仲間はずれにされた人間が、今の魔族だってことです」
「えっ!?」
「これ、知ってますよね?」
由実香は自分の目を指す。彼女の瞳には、2つの亅を組み合わせたような、不思議な模様が浮かんでいる。
「うん。魔族の目には、必ずその模様があるんだよね?」
「そうです。でも、正確には、『魔族だからこれがある』んじゃなくて、『これがあるから魔族』なんです」
「?」
「最初はちょっとした変種みたいなもんだったんですけど……まあ、怖かったんでしょうね。その人間たちは『魔族』とか言われて差別されてたそうです」
「……」
信冶は拳を握りしめた。幼い頃から教えられてきたからとはいえ、魔族が悪魔だと本気で信じていた今までの自分に腹が立った。由実香はそんな信冶を悲しそうに見ていたが、話を続けた。
「差別を受けた『魔族』たちは、人間たちとは別のコミュニティーを作りました。そうしてその変種の血が濃くなっていった結果、彼らは『魔法』を手に入れたんです」
「魔族を誕生させたのは、人間……」
「魔法を手に入れた魔族は、自分たちを蔑んだ人間たちに復讐しました。……しかし、やりすぎたんです。その結果、魔族が逆に人間を蔑み、支配している社会ができあがった……。ここから先は、信冶さんも知っての通りです」
「人間は……魔族と同じことを繰り返そうとしてるんだな……、いや、それ以上か。今度は魔族を殲滅しようとしてるんだから……」
「『憎しみの連鎖』ってやつですね。そしてそれは繰り返す度に強くなっていく……。もしまた形勢が逆転するようなことがあれば、魔族も人間を滅ぼそうとするかもしれませんね……」
「ここで終わりにしなきゃ……!」
信冶はさらに強く、拳を握りしめる。
「そうですね。終わりにしましょう」
由実香も信冶の言葉に大きく頷いた。