8,決意
「ここを出よう」
中央収容所の看守が来た、その翌日のことである。少女は驚いて信冶を見上げた。
「次に中央の看守が来たら、君は連れていかれる。その前に、逃げるんだ」
信冶は努めて、声を潜めて話した。しかし焦りは隠せず、早口になった。
少女は呆然として、信冶を見上げている。それを見て、信冶は、自分があまりにも唐突に、無茶苦茶なことを言っていることに気づいた。
「……ごめん」
「……いえ、ちょっと吃驚しましたけど」
少女はようやく冷静さを取り戻したようだった。
「危ない賭だってことは分かってるんだけど……」
「行きます」
「えっ?」
今度は信冶が驚いた。
「行きます。私、こういう形で外に出ることになる可能性も考えてましたから、覚悟はできてます」
「…………」
あまりにも落ち着いた彼女の返答に、提案した信冶の方が動揺してしまった。
「いつ、外に出られるんですか?」
「あ、ああ……」
信冶は気持ちを落ち着けながら、
「明後日の朝食を配る時に、俺が牢の鍵を持ってくるよ」
と答えた。
本当は、もっと急ぎたかったが、明日は休日であった。さらに、安全に脱獄する、という点においても、明後日は良くなかった。朝食を配る時間が、勤務の交代時間ギリギリの7時なのである。次の時間に勤務する看守たちと鉢合わせする可能性が高く、そういう意味で、危険だった。しかし信冶は、それを避けるために決行をもう1日遅らせることが怖かったのだ。
「分かりました」
少女は頷いた。
「でも、あなたこそ、いいんですか?」
「え?」
「魔族の脱獄に手を貸したってなったら、あなたもただじゃ済まないでしょう?」
「うん、まあね……」
信冶は苦笑する。
「でも……でも、俺はもう、ここにいるのが辛いんだよ。それに君には悪いんだけど、これは、俺が行動を起こすのにも良い機会なんだ。俺、こういう機会でもなきゃ、動けない人間だからさ」
「そうですか。それならいいんですけど……」
休日の間に、信冶は1つの結論に辿り着いた。「看守に選ばれる条件」についてである。奏は「優秀だから」と言っていたが、おそらくそれは、表向きのものでしかない。実際は、軍にとって扱いやすい人間が、看守に選ばれるのだ。
(今回俺を選んだのは失敗だったけどな)
と信冶は思う。
(俺はこのまま黙って軍の言いなりになるのは嫌だ)
彼は自分の気持ちをはっきりさせた。そうしなければ、途中で自分の気持ちが揺らいでしまいそうな気がした。
◆ ◆ ◆
そして、その日はやってきた。信冶は努めて、いつも通りにしていた。祐介も、特に怪しむような様子は見せなかった。
やがて、朝食を配る時間がやってきた。
「時間だ。とっとと済ませちまおうぜ」
「はい」
祐介は先にモニタールームを出ていった。信冶は、彼女とその近くの囚人たちの牢の鍵を取って軍服のポケットに入れ、祐介の後を追った。
信冶は牢獄に入ると、すぐに少女の牢の前で鍵を取りだした。
「今開ける」
「はいっ」
さすがの彼女も、少し緊張気味だ。
「大丈夫。きっと上手くいく」
言いつつ彼女の牢を開け、隣の牢に他のいくつかの鍵を投げ込む。
「悪いけど、あとは自分たちでやってくれ」
「誰も頼んじゃいないがな」
その牢の中にいた男は言ったが、その鍵を手に取った。
「よし、行こう」
信冶は少女に囁いた。少女は黙って頷く。
「どこへ行くんだ?」
信冶ははっとして声の聞こえた方を見た。祐介が腕を組んで牢獄の出入り口に立ちふさがっている。
「……どいてください」
信冶は平静を装って、静かに言った。
「そんなことしたって無駄だ。やめろ」
祐介も静かに、だが強い調子で言う。
しかしもう、信冶に退くつもりはなかった。
「どいてください。伊藤さんとは戦いたくない」
「ここを出られたとしても、すぐに他の軍人に捕まって終わりだ」
「やってみなきゃ分かりません」
信冶は声を揺らさないように、はっきりと言う。
「やるまでもないさ。結果は見えてる」
一方の祐介も、一定の調子で話し続ける。
「俺は絶対に負けません」
「お前は国を相手にしようとしてるんだぜ?分かってる?」
「それでも、俺は彼女を助けたい」
「その子のために、国と戦うってえのか?」
祐介は剣を構えた。
「そうです」
信冶も剣を構えた。
「……あ、そう。じゃあ、やってみな」
祐介はそう言って、構えを解いた。
「えっ?」
「そこまで腹が決まってんなら、もう止めやしねえよ」
祐介は苦笑しながら言った。
「ただし、巻き添えはごめんだな。俺はお前に全部の罪押しつけるから」
「……ありがとうございます」
信冶は祐介に向かって頭を下げてから、少女と共に牢獄を出た。
走りながら少女に問う。
「この後はどうしたい?君の住んでた所まで連れていこうか?」
少女はクスッと笑った。
「何言ってるんですか。私もあなたと一緒に戦いますよ」
「えっ!?」
「変えなきゃダメですよ、国を。だから、私も戦います」
信冶はしばらく唖然として少女を見ていたが、やがて少女と同じように笑った。
「そうだな。ここまできたら、国を変えてやるか!」
収容所を出た2人は、軍の寮に向かった。
一方の祐介は、牢の鍵を片っ端から開けていた。
「何やってんだ、お前?」
少女の隣の牢にいた男は、呆れた様子で訊いた。
「てめえらのお守りしてんのが面倒くさくなったんだよ」
祐介は本当に面倒くさそうに言った。
「そんなことしたら、お前も無事じゃ済まなくなるだろう?」
魔族が次々と外へ出ていく中、男は祐介に言う。
「さっきも言ったろ?罪はあいつに持ってってもらう。俺はあいつが放った大勢の魔族に襲われて気絶したんだよ」
「最低だな」
牢獄に残っているのは、もう魔族の男と祐介だけだ。
「賢いって言ってくれ」
祐介は不愉快そうに返した。
「お前もとっとと出ていきな。目障りだ」
男は出ていこうと体の向きを変えたが、すぐに振り返った。
「その剣貸せ」
祐介は黙って腰に携えていたそれを渡す。男は剣を抜くと、祐介の左肩に向かって突き出した。肩に傷を負った祐介は、牢獄の奧の壁に寄り掛かって、そのまま座り込んだ。
「サンキュ」
祐介は少しだけ笑みを浮かべて言った。
「ふん、」
男は剣を放りだした。
「人間に借りはつくりたくないからな。これで貸し借りなしだ、若造」
◆ ◆ ◆
信冶と少女は、ようやく寮に辿り着いた、が。
「何、これからデート?」
雅也だった。邪悪な笑みを浮かべながら、剣を抜く。
「これは、避けられないな」
信冶も剣を抜いた。
「人間斬るのは初めてだなァ!」
雅也が突然走りだし、信冶に向かって剣を勢いよく振り下ろした。信冶はそれを横に逸らし反撃に出ようとするが、雅也の小柄な体は、すぐにまた、攻撃の体勢をつくる。信冶は身を守ることで精一杯だった。
「くそっ……!」
「お前弱いなァ!これなら楽勝……」
しかし突然、雅也の動きが止まった。足が凍らされたのだ。
「しまった、あの魔族かっ……!」
雅也はすぐに人工魔法で氷を打ち砕くが、信冶が反撃に出るには、十分な間だった。
「ぐっ……!」
信冶の剣が雅也の脇腹に入り、雅也は膝をついた。その隙に信冶は寮に停めてあった自分の車に少女を乗せ、自分も乗り込む。
「待てっ……!」
雅也は立ち上がろうとするが、再び足下が氷に包まれる。
「ちっきしょっ……!」
信冶はアクセルを一気に踏み込み、車はタイヤを空転させながら、寮を飛び出した。
「なんだァ?うるせえな」
響が部屋から出てきた。
「北原が魔族の女連れて出てったんだよ……!」
雅也が負傷した脇腹を押さえながら言った。
「なに、お前。北原に負けたの?」
響がからかうように言う。
「うるせえよ。魔族に邪魔されたんだ」
雅也は響を睨んだ。
「まあいいや。収容所に言ってみようぜ」
雅也を心配する様子も見せず、響は収容所へ歩き出した。
響が収容所にやってくる頃には、牢獄にいた魔族たちはすでに全員脱獄していた。
「全部逃がしたのかよ、あいつ……」
牢獄の奧には、1人の看守が壁にもたれ掛かっていた。左肩を負傷している。
「後輩に、まんまとしてやられちゃったわけね、祐介君?」
「ちっ!言い返せねえだけに余計腹立つ」
祐介は悔しそうに響から目を逸らした。心の中では、全く別のことを考えながら。
(さて、どこまでやってくれるのかな……?)
「助かったよ」
車を走らせつつ、信冶は助手席に座る少女に礼を言った。
「いえいえ」
少女は恥ずかしそうに微笑んだ。
「よし、それじゃあ、まだこれからどうするかも分かんねえけど、頑張ろう!……えーと……」
ここで信冶は、自分がまだ、少女の名前を知らないということに気づいた。
「……俺は北原信冶っていうんだ。君の名前は……?」
「千住院由実香です」
由実香は頬を朱色に染めて、笑った。