6,心
少女の言葉の意味を知ることができないまま、2週間ほどの時が経った。そんなある日。信冶はその日も、少女に話しかけた。
「頼むよ。俺ホントに、あの言葉の意味が知りたいんだ」
しかし、少女は何も答えない。信冶は少し腹が立った。
「まだ支配者気取りかよ……」
口をついて出た棘のある言葉は、少女の癇に障ったらしい。彼女が顔をあげて、信冶を睨んだ。
「何勝手なこと言ってるの!?私たちのこと、何も知らないくせにっ」
だが信冶は引き下がらなかった。
「俺らを支配してたのは事実だろ!?」
「それは偏った歴史です!人間から見た、人間にとって都合の良い歴史」
信冶は一瞬、返す言葉を失った。それは認めざるを得ないように思われた。でも、と信冶は思う。
「でも、だったら教えてくれよ!教えてくれなきゃ分からない!俺は知りたいんだ!」
今度は少女が言葉を失った。少し間があいてから、
「……あなたは、」
彼女は言葉を選びながら言った。
「魔族のことを、知りたいんですか?私の話、聞いてくれるんですか?」
彼は少し返事に窮した。なんと答えても、後戻りはきかないような気がしたからだ。
「……うん。俺は、魔族のこと全然知らなくて、ただ、魔族は人間を支配している悪魔だって、それだけ幼い頃から教えられて……何も知らないまま戦ってきた。でも、人間の中にいい人と悪い人がいるように、魔族だって、悪いやつばっかりじゃないんじゃないかって、俺は君に会って思うようになった」
少女は大きく目を見開いた。
(お父さん、やっと、来たよ……!)
「君たちのこと、教えて。人間と魔族の誤解を解くために」
少女は大きく頷き、微笑んだ。その笑顔からは、以前に笑った時のような寂しさは感じられなかった。
「この前言ったこと、あれ、悪い意味じゃないですよ」
「え?」
信冶が首を傾げると、少女は笑って言った。
「あなたが聞きたがってたじゃないですか」
「え?あ、そうだ」
信冶は恥ずかしくなって頭を掻いた。
「『違う』って言ったのは、あなたの雰囲気。他の看守とは違う感じが、あなたからしたんです」
「そうだったのか……」
彼女の心を開けた気がして、それが嬉しくて、信冶にとってそれはもう、どうでもよくなっていた。
「私の感覚、間違ってませんでした!」
少女は嬉しそうに笑い、信冶もそれにつられて笑った。
「おい、騙されんな」
突然、少女の向かいの牢にいる男が言った。
「えっ?」
信冶と少女は驚いてそちらを向いた。
「その男は魔族の重要拠点なんかの情報が欲しいだけだ」
「なっ!?違います!」
信冶が否定する。
「そう考える方が辻褄が合う。有益な情報は、お前の地位を上げるのに役立つ」
「違う!俺はっ……」
「そうじゃないっていう保証がどこにある?」
「それは……」
信冶は、答えられなかった。
「どこにもないだろう?」
「……」
男は信冶を睨み付けた。
「とっとと失せろ!」
その男の声に続いて、周りの魔族たちからも声が上がる。
「そうだ!消えろ!」
「人間なんかと馴れ合う気はねえ!」
ざわめく牢獄で、信冶は黙って拳を握りしめているしかなかった。
「黙れェッ!」
突然の怒鳴り声に、ざわめきはひとまず収束する。声の主は、祐介だった。
「北原、まだ配り終わってねえのか」
「……すいません」
「まあいい。早く配っちまうぞ」
「はい……」
そうだ、早く行けと先ほどの男が言い、それにつられて周りも再び騒ぎだした。……と、祐介が剣を抜き、牢に叩き付けた。金属と金属がぶつかり合う大きな音が、牢獄に響き渡った。牢の通路側に近づいていた男は、目の前でその刃を煌めかせている剣に驚き、奧へと後ずさる。
「黙れっつったのが聞こえなかったのか?」
祐介は冷酷な声の調子で言う。
「魔法が使えない魔族を斬るのは、簡単だ。今すぐ死にてえってんなら、騒げよ」
牢獄は、静まり返った。
「……さっさと済ませるぞ」
祐介は信冶にそれだけ言って、いつも通りの手際のよさで食事を置いていく。信冶は少女を見たが、彼女がこちらを向くことはなかった。
◆ ◆ ◆
「何やってたんだ?」
モニタールームに戻ってきてから、祐介は信冶に訊いた。
「……魔族のことを知ろうと思ったんです」
「やめろ」
しかし信冶は、納得がいかなかった。
「でも、やっぱり変ですよ、今の状態。魔族の支配体制は、とっくに崩壊しました。もういいんじゃないですか!?」
「魔族は人間を苦しめてきた罰を……」
「俺も、それを当たり前のこととして受け入れていました。でも、ここに来て、それは違うんじゃないかって思うようになりました」
「……」
「俺はこの国の歴史を、人間目線でしか知りません。その歴史に登場する魔族は悪魔ですよ、確かに。でも、魔族から見た今の人間も、同じように見えてるんじゃないですか!?」
祐介は苛立たしげにイスに座り、頬杖をついた。そして、信冶には顔を向けずに、口を開いた。
「……それで、お前はどうするんだ?」
「魔族のことをもっと知って……」
「それで?」
「……」
「何も、できゃあしねえんだ」
祐介の怒りは、信冶に向けられたものではないようだった。
「お前みたいに考えてるやつは、他にもいる。だけど、何もできはしない。今や、国全体が魔族の掃討を支持してるんだ。お前がちょっと騒いだぐらいじゃ、何も変わらねえよ。お前が潰されて、それで終わりだ」
「……」
信冶は反論できなかった。そんな信冶の様子を横目で見つつ、祐介は大きく息を吐き出した。
「無駄に騒いで殺されるくらいなら、何も考えずに働いてた方がマシなんだよ」