04❀ ぐちゃぐちゃの傷
❀
五年生に上がると、朱里と私は初めて別々のクラスになった。
クラスが分かれても、一緒に帰るのは変わらなかったが、朱里のいる二組はいつも下校が遅く、私は校門横の鉄棒やタイヤの遊具で遊びながら、彼女が出てくるのを待っていた。
それは六月の、じめじめと気だるい日のことだった。
その日、朱里はなかなか出てこなかった。
私は二組の子たちが下校していくのを見送っては、所在なく遊具の上で待ち続けていた。
夜は雨になるらしい。校庭にいる人影も、まばらだった。
鉄棒にぶら下がって空を見上げていると、額にぽたりと大粒の雨が落ちてきた。
とうとう降り出した。
湿ったコンクリートの匂いが立ち上る。私はランドセルを拾い上げて、下駄箱の方へ向かおうとした。
そのとき、ちょうど朱里が昇降口に現れた。ランドセルの中をごそごそと探っている。
どうやら折り畳み傘を見つけられないでいるようだった。
朱里、私、傘持ってるよ――。
そう声をかけようとして、足を踏み出しかけた、そのときだった。
朱里の背後から、男の子がひょっこり顔を出した。拓海くんだった。
四年の林間学校の夜。部屋の真ん中に布団を寄せて、懐中電灯の光だけでやった「かっこいい人ランキング」と「好きな人ランキング」。
わざと声をひそめながら名前を出し合って、言ったそばから「内緒だよ?」って笑って、みんなすごく盛り上がってた。
私は、正直どっちもよくわからなかった。
変に目立つのも嫌だったし、特別に「好き」な人もいなかった。
だから、空気に合わせて、みんなが言ってる名前に乗った。
拓海くん。
かっこよくて運動もできて、少女漫画に出てくるような子だった。
どちらのランキングでも、一番票を集めていた。
もちろん彼のことを本当に好きな人もいただろうけど――
「その名前にしとけば間違いない」
みんな、たぶん、そんなふうに思ってた。
私も、その一人だった。それだけのこと、だったはずなのに。
拓海くんは朱里に何かをささやき、そのまま彼女を抱きしめた。私は息を呑んだ。
彼は朱里の手を引いて、自分の長傘の中に引き入れ、二人は並んで校庭へと出てきた。
私の方へ向かって歩いてくる。
二人はすぐに私に気づいた。
朱里は私を見て表情を硬くし、拓海くんは朱里を隠すように前に出て、あからさまに睨んできた。
――江口、なにか用?
――久乃ちゃ……
――なんでもない。
朱里が何か言いかけた。
でも私は、なぜかすごく辱められたような気がして、傘も差さずに駆けだした。
――まって、久乃ちゃん!
彼女の声が聞こえた気がした。でも私は、振り返らなかった。
いつのまにか、雨は本降りになっていた。
前髪もTシャツもぐしゃぐしゃに濡れて、肌にべたりと張りつく。
泳いでいるのか走っているのか分からなかった。足元は重く、スニーカーの中にまで水が染みていた。
それでも、私は走った。
自分の泣きそうな顔を誰にも見せたくなかった。
朱里の目も、拓海くんの目も、ついてくるようで怖かった。
家はすぐ近くだったから、全速力で走れば五分もかからなかった。
鍵をランドセルから引き抜いて、玄関を開ける。内側から鍵をかけて、扉にもたれると、喉が熱くなって、ぽろぽろと涙がこぼれた。
なにがこんなに悲しいのかわからなかった。
心だけじゃなくって、頭までもが揺さぶられる感覚があった。
――今思えば、それはきっと嫉妬だった。
拓海くんに特別扱いされる朱里が羨ましくて、拓海くんに嫌な顔を向けられたのが悔しくて。
幼い心に芽生え始めた自意識が、私に「あなたは選ばれなかった」と突きつけてきた。
でも、それだけじゃなかった。
なんで、拓海くんの手を振り払って、私のところまで来てくれなかったの?
私のことなんて、もうどうでもよくなっちゃったの?
こんなに好きなのに。こんなに一緒に過ごしたのに。
ちょっとかっこいい、っていうだけで。それが異性だっていうだけで。
ぐちゃぐちゃの心の中で、私を最も傷つけたのは、ある残酷な予感だった。
――私の一番の友達は、きっと私を、一番のままにはしてくれない。
それから、朱里から何度か連絡があったが、受験勉強が本格化することを言い訳に、私は朱里との接触を避けるようになった。
できるだけ同じクラスの子と一緒に過ごして、廊下で会っても、
「塾があるから」「今日は遊べない」――言い訳ばかりを重ねた。
一緒に下校もしなくなって、しばらく経ったころ。
クラスの席替えで、沙理ちゃんという子と席が前後になった。
たまたま近くの席になって、たまたま話すようになって、それだけのことだった。
けれど、彼女も私と同じ中学を目指していて、気づけば、放課後は沙理ちゃんと過ごす時間が増えていた。
「勉強に集中するため」なんて、朱里に対する言い訳にすぎなかったのに、その言い訳が、いつのまにか現実になっていた。
沙理ちゃんはいい子だった。
真面目で、話していて楽しくて、一緒にいて何も困ることはなかった。
でも――全然、朱里ほどじゃなかった。
話しているあいだじゅう、どこかで心が白けていた。
それなのに私は、彼女とずっと前からの親友みたいに笑って、わざと朱里がいるところで、「沙理!」と名前を呼んだ。
『朱里』と『沙理』の響きはとても似ていた。
私は沙理ちゃんの名前を呼びながら、朱里をなぞっていた。
あなたなんかいなくても平気なんだと、知らせたかった。
でも本当は、私のことで、傷ついていてほしかった。
私は、朱里を傷つけることで、自分が「傷ついた」と感じることから逃げ続けていた。




