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12✿ あの子のもとへ

サラが用意してくれた部屋に入るのは、思ってたよりずっと簡単だった。


都内にアクセスしやすい中都市の、駅から歩いて十分くらいの場所にある、クリーム色のマンション。

エントランスには管理人もいなくて、ポストの暗証番号を入れたら、封筒に入った鍵がすぐに出てきた。

 

なんだ、こんなもんなんだ……って、拍子抜けした。


でも、そのぶん、少しだけさみしかった。

「ようこそ」って言ってくれる人も、「なにか困ったら言ってね」って言ってくれる人も、いない。

 

鍵を差し込み、回す。静かに「カチャ」って音がして、鍵が開いた。小さな音だったけど、わたしにはすごく大きく聞こえた。

中は、新しくて、白くて、きれいだった。

シンクの上には何も置かれてなくて、洗面所の鏡もぴかぴかだった。

 

どこにも人の気配がしなかった。家具はあるのに、暮らしの匂いがない。

 

「ただいま」を言うために帰国したのに、言えなかった。

ここはわたしの家じゃないし、誰も待ってない。

 

テーブルの上に、入居案内と契約書の控えが置かれていた。そこには、“契約期間:三か月”と書いてあった。

たぶん、それは、わたしが十八歳になるまでの時間をカバーするものだった。成人すれば、自分で部屋を借りられるから――そういうことなんだと思う。

 

サラは何も言わなかったけど、ちゃんとそこまで考えてくれてたんだな、って思った。

わたしは、部屋の写真を何枚か撮って、サラにメッセージを送った。


『無事入れました。サラが用意してくれたマンション、すごくきれい』

 

このメッセージだけで、わたしがお母さんに会えなかったって、きっとバレちゃう。

でも、「会えなかった」とか、「いなかった」なんて、どうしても書けなかった。まして「捨てられた」なんて、口が裂けても言いたくなかった。

 

ソファに座って、荷ほどきもせずに、ぼんやりと慣れない天井を見上げた。

もう、何も考えたくなくなった。


そのとき、スマホが震え、反射的に画面を開く。

お母さんかもしれない。もしかしたら、サラかもしれない。


でも、そのどちらでもなかった。

そこに表示されたのは、ニュースアプリの通知だった。

『五人組アイドルグループⅠ+NEアイネ シュリ「アフロディーテの呪い」発症 活動休止へ』

 

あ、と思った。無期限の活動停止じゃない。活動休止なんだ。


でも、それすらもう、どうでもよかった。間違ってるとか、伝わってないとか、そういう感情すら、今のわたしには浮かばなかった。ただ、どこか、少しだけ遠くの世界の話みたいだった。


もう、スタッフからの連絡は一通もなかった。メンバーとのグループチャットも止まったまま。サラがメンバーに、復帰前提で話しをしたから、結局チャットから退会はしなかった。でもたぶん、新しいグループチャットを作ったんだろうな。

かつてひっきりなしに通知があったスマホは、今はすごく静かだった。


ときおりポン、ポンと通知が来る。 

けれど望む人からではなくて、そのほとんどが、顔もよく覚えてない男の子たちからだった。連絡先を交換したのも、仕事上仕方なくで、プライベートで特別仲良かったわけじゃない。

撮影でちょっと会っただけとか、関係者の紹介とか、そういう子たち。

 

あのニュースを見たからか、いつのまに交換したか覚えてないような人たちから、「久しぶり」「元気?」みたいな連絡が何件も来ていた。

返信する気になれなかった。通知だけが、何度も画面に現れては、消えていった。


スマホを伏せようとしたとき、ひとつだけ、ちがう名前が目に入った。

 

多田。小三のとき、同じクラスだった女の子。少しだけ話したことはあったけど、特別仲良かったわけじゃない。

でも、十三歳でデビューしたばかりのころに、急にDMが来たのを覚えてる。


『朱里ちゃん、本人だよね? テレビで見てびっくりした!』って。

 

最初は無視していたけど、何度も送られてくるうちに、なんとなく開いた。


『昔から可愛かったよね』

『地元では有名だったよ』

 

結局送られてきてるのはそういう言葉たちで、返す気にはならなかった。

だけど、あるとき、ある言葉にだけ、どうしても反応してしまった。


『久乃ちゃんとはまだ仲いいの? あの子、いまどうしてるの?』

 

指が勝手に動いて、返していた。久乃ちゃんの名前を見ただけで、胸の奥が熱くなった。

多田ちゃんは、たぶん気づいたんだと思う。わたしが久乃ちゃんの話題だけには反応するって。

それから、定期的に久乃ちゃんの話をしてくるようになった。


『久乃ちゃんって、元気そうだったよ』

『ちょっと前に駅で見かけたかもって子がいてね』

『でも前よりずいぶん雰囲気変わったって』

 

わたしは何度か返事をしたけど、ある時期からやめた。

多田ちゃんがどういうつもりで言ってるのか、わからなくなってきたから。なんだかスパイをしてるみたいで、久乃ちゃんに申し訳なかった。


それから、何年も連絡は取ってなかったのに――今日、また突然、DMが届いた。


『ねえ、朱里ちゃん。ニュース見た。大丈夫?』

 

メッセージは間をおかず続いた。


『実はさ、久乃ちゃん、いま学校行ってないらしいんだよ』

『わたしの知り合いの子と同じ学校なんだけど、ずっと休んでるって』

『たぶんだけど、アフロディーテの呪いっぽい』

 

――息が詰まりそうになった。

久乃ちゃんも? 同じ……? 


胸の奥に火がついたようだった。驚き、戸惑い、それから……助けたいって思った。

 

あのとき私が悲しませた久乃ちゃん。傷つけたまま、置いてきた。

でも、いまなら。いまの私なら、きっともっと上手にできる。可愛さも、言葉も、ぜんぶ使って――あの子を、もう一度、笑わせてあげられる。

 

いまの私は知ってる。誰かの「特別」になるやり方。ちゃんと惹きつけて、離さないでいられる方法。一緒にいれるなら、どんなことでもする。彼女の求めるわたしになってみせる。

だってわたしにはその才能がある。


『教えてくれてありがとう』

 

多田ちゃんにはそれだけ返して、DMを閉じた。

これは運命だ。

行こう。あの子のところへ。


わたしが、帰りたかった本当の場所へ。

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