表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/13

11✿ 回らない鍵

羽田に着いたのは、お昼をちょっと過ぎたころだった。

外の空気は、思ってたより暖かくて、でも風だけは冷たかった。

飛行機を降りてからも、何も食べずに、まっすぐリムジンバスに乗った。お腹が空いてるような気もしたけど、食べたいものは思い浮かばなかった。


ひとつだけ持ってきたキャリー。

六年間の暮らしを詰め込んだはずなのに、手元は軽い。持ち帰れるものはあんまりなくて、ぜんぶ事務所のものだったんだなって思った。

 

駅前でリムジンバスを降りると、わたしは気合を入れた。

これから歩いて、家に帰るんだ。ただいまって言って、お母さんの顔を見て、「大きくなったね」って言ってもらうんだ。


家への道のりは、記憶よりも短かった。あのころは、この町が無限に広がっているように感じてたのに。

でも、ちょっとずつ道を間違えたり、角を通りすぎたりして、やっぱり時間はかかった。

 

町並みはけっこう変わっていた。地図を見ながら進むと、「あ、あの学習塾つぶれたんだ」とか「パン屋さんできたんだ」とか、そういう小さな発見がいくつもあった。六年って、ほんとうにすごい。変わるんだなあって思う。町も、自分も。

でも、変わらないものもあった。通学路の、八重桜。花びらが道路に絨毯みたいに広がっていた。それを見た瞬間、久乃ちゃんの顔がすぐに浮かぶ。

 

今まで、ほんとに色々あったのに、わたし、こんなにすぐに久乃ちゃん思い出しちゃうんだ。ちょっと胸が痛くなって、でも、ちゃんと咲いててよかった、って思った。


懐かしい道を通って、わたしはマンションの前まで来た。

昔は、白くてすっきりした中型のマンションだった。ガラス張りのエントランスがちょっとだけ高級そうで、子どものころはその感じがうれしかった。

でも、久しぶりに見ると、外壁がすこしだけ黒ずんでいて、マンション全体がどことなくよそよそしく感じられた。

 

オートロックの鍵穴に、自分の持っていた鍵を差し込む。ちょっと緊張しながら、くるりと回すと、カチッと音がして、ドアが開いた。

中に入ると、空気が少しひんやりしていた。それが、なんだか懐かしかった。

コンクリートの匂いと、静かな音。何度も通ったはずの空間に、胸が膨らみ、ちゃんと帰ってきたという感じがした。

エレベーターで二階へ。二〇二号室。わたしのおうち。ドアの前まで来て、わたしは思わず立ち止まった。

 

なにか、変だった。

表札がなくなっている。前は、『斉木』って書いてあったのに。

 

玄関の前に、子ども用の傘が立てかけられていて、その隣には、小さな鉢植えが三つ並んでいた。どれも元気そうな葉っぱで、プラスチックの鉢はちょっとだけ日焼けしてた。


わたしの記憶の中にある“わたしたち”の暮らしとは、ぜんぜんちがってた。

 

鍵を取り出す。ドアの前に立って、深呼吸してから、鍵を差し込む。

でも――途中で止まった。いつもみたいに、奥まで入っていかない。少し力を入れてみたけど、かすかに金属が擦れる音がしただけで、回らなかった。自分の呼吸の音だけ大きく聞こえる。


そのとき、背後から足音がして、誰かがエレベーターを降りてきた。

わたしは振り返らなかったけど、視線が突き刺さっているのがわかる。気まずくなって、鍵を引き抜き、キャリーを引き寄せて体を横にずらした。


「……すみません」

 

声が、うまく出たかどうかわからない。

その人は何も言わずに通り過ぎた。冷たい空気が、そのまま心にも入ってきた気がした。

 

わたしはそっとその場を離れて、エレベーターに乗り直した。

そのまま急ぎ足でポストに向かい、自分の記憶を頼りに二〇二を探す。


……あった。そこには、知らない人の苗字のシールがきれいに貼られていた。フォントがかっちりしていて、あっさりしていて、なんだかすごく他人だった。

 

頭の中が、すーっと冷たくなった。


わたし、間違えた? それとも……もう……。

……なにこれ。うそ。うそでしょ。ほんとに?

 

足元がぐらっとして、ポストの前からすぐに動けなかった。

外に出よう、と思った。早くどこかに行かないと、泣きそうだった。


駅までの道が、さっきよりずっと長く感じた。歩道の段差につまずきそうになって、キャリーがガラガラとうるさく鳴った。


気づいたら、駅前のベンチに座っていた。腰を下ろした瞬間、足がじんと重くなった。

喉が渇いていた。けど、自販機に行く気になれなかった。

 

スーツケースの持ち手が、手のひらにくっきり赤く跡をつけていた。


……ほんとに、いないの? 信じてたのに。ちゃんと立派になって帰れば、絶対、会えると思ってたのに。

心の中にしまい込んだわたしが、わたしのことをあざ笑った。


当たり前だよ、お母さんから、返信なんてなかったじゃない。

――でも、いつも既読になってた。誕生日はメッセージだって。

 

電話も取ってくれなかったでしょ? 

――でも電話番号は変わってなかった。呼び出し音もちゃんと鳴ったよ。

 

でも、でも、あれ?

もう言い訳はでなくて、わたしをあざ笑ったわたしが『ほんとうにばかだね』って言って消えた。

 

サラ、知ってたんだ。きっとあのとき、もう全部わかってた。

 

だからああして引き留めてくれたの? 

だから飴のかわりに、部屋をくれたの?


サラはちゃんと、大人だった。サラの言うことが、正しかったんだ。


でもわたしは、それをまだ認められなくて、わたしはサラじゃなくて、お母さんにメッセージを送った。


『お母さん、わたし、帰ってきたよ。今どこにいるの?』


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ