第9話 案内される招待客
アドルフが先頭に立って、ヘリポートから離れていく。研究所へと向かう道は、左右を海に挟まれている。
4tトラックが通れそうな幅の通路に、小さな波が左右から打ち寄せる。アスファルトに海水が掛かり、端の方が濡れている。
特に柵は用意されておらず、転落の危険があるのではないかと彰人は思った。他の招待客も、殆ど似たようなリアクションだ。
その様子を察したアドルフが、通路の左側にある海面を軽く手で叩いた。暫くすると、3匹のイルカが顔を出した。
「こうして彼らと触れ合う為に、柵をつけていないのですよ」
アドルフが自慢そうにイルカ達を示す。一番に反応したのはイギリスの海洋学者、メイジーだった。
彼女はイルカが特に好きで、昔は彰人へ良く語っていた。笑顔を浮かべたメイジーが、イルカ達に近づく。
「触っても?」
「ええ、構いませんよ」
アドルフから許可を貰ったメイジーが、イルカの鼻先を撫でる。人間に慣れているのか、嬉しそうにしている。
イルカの知能は、人間の5歳児に匹敵すると分かっている。非常に高い知能を有する海洋性哺乳類だ。
彰人もその微笑ましい光景に惹かれて、イルカ達に近づく。彼がイルカと触れ合うのは久し振りだった。
「おお、良い子だ」
彰人が触れても、イルカは大人しくしている。暴れる事もなく、鳴き声を上げながら撫でられている。
そうしている間に、アドルフが通路の右側へ向かう。再び海面を叩くと、今度はアザラシが海中から顔を出した。
5匹のアザラシが通路に上がって来た。続々と後ろから、アザラシ達が姿を現す。非常に可愛らしい光景だ。
動物行動学者のソフィアが、アザラシ達に近づいて行く。彼女は動物全般に詳しく、アザラシの行動も良く知っている。
「教え込んだの? 確かにアザラシは、犬や猫と同等の知能を持っているけど」
「ええ。この玄関前プールは、野生ではなく人の手で色々と教えた生物を飼育しています」
アドルフがアザラシを撫でているソフィアの質問に答える。外界とはフェンスで遮り、天然のプールで飼っている。
野生と飼育下の生物達の違いを、より詳しく調べる為の措置だった。飼育下でも、新しい発見が見つかる事はある。
同じ海で暮す野生の生物と、アクアノートのプールで飼われている生物。比較する事で色々な事が判明している。
水族館よりも広く、海水を入れ替える必要もない環境では、ストレスや病気が減る。海中に施設を作ったメリットだ。
またイルカやシャチは、野生の同族と会話をしている事も確認されている。様々な研究結果が出ている。
「なるほどねぇ。資金があると色々出来て便利ね」
ソフィアは羨ましそうに呟く。決して嫌味のつもりで発した言葉ではない。研究にはお金が掛かるというだけだ。
もちろんアドルフはそれぐらい察している。これぐらいのやり取りで、機嫌を損ねる事はない。
「アクアノートで働く価値を、良く理解していただけたのでは?」
「ええ。到着する前よりも、興味が湧いて来たわ」
ソフィアとアドルフが話している間、彰人はメイジーと久しぶりの会話をしている。
可愛らしいイルカ達と触れ合う事で、お互いの気まずさが少し緩和していた。昔を思い出したというのもある。
「相変わらず君は、イルカが好きだね」
「そうよ。貴方も相変わらずなんでしょ?」
苦笑しながら彰人はそうだと答えた。サメと結婚しろと言われる程に、今も熱心に研究を続けている。
お互い関係は色々と変化したが、根本的な部分は変わっていない。その事を確認し合う事が出来た。
付き合っていた頃と全く同じではないが、旧知の仲として、少し温かな空気が流れている。
彰人達学者組と違って、ルーカスは海洋生物にさほど興味はない。それは投資家のトミーも同様だった。
「あ~、その。先に進まないか?」
話し込み始めた4人に向けて、ルーカスが気を遣いながら案内の続きを促す。あくまで空気を悪くしない程度に。
それもそうだとアドルフが、アザラシ達をプールに戻していく。彰人達もイルカから手を離して立ち上がる。
まだアクアノートのエントランスにすら入っていない。玄関の前で、少々時間を使い過ぎていた。
アドルフが再び先頭を歩き、遂にアクアノートの入り口の前へ移動。重厚な強化ガラス製の扉に、小さなパネルが設置されている。
カードキーを取り出したアドルフが、スリットに滑らせる。ロックが外れて扉がスライドしていく。
「これが、アクアノート……」
思わずといった様子の彰人が、感動の声を上げる。強化ガラスの向こうから見えていた、真っ白なエントランス。
様々な花があちこちに飾られており、壁際には熱帯魚の入った大きな水槽が並んでいる。
清潔感に溢れる正面玄関は、彰人達を歓迎してくれているようだ。アクアノートのロゴが、受付にでかでかと描かれている。
「ようこそ皆さん、我々のアクアノートへ」
アドルフがにこやかに両手を広げる。世界最大級の海洋研究所へ、ルーカス達は足を踏み入れた。
本当の案内はこれからだと、アドルフが得意げに笑っている。彼が自信を持つのも理解出来る空気が、エントランスには漂っていた。




