小さな幽霊の遺願……
その夜、筱月は悪夢を見た。
自分の意思とは関係なく、身体が小さな少女のあとを追っていく。
見知らぬ男が少女の腕を掴み、人里離れた森の奥、朽ちかけた木造の廃屋へと連れていく光景だった。
少女は必死に抵抗し、助けを求めて声を上げる。
けれど、その力は大人には到底及ばない。
やがて少女は木屋の中へ引きずり込まれ、そこで——
残酷な最期を迎えた。
もがき苦しむ少女の姿を、筱月はただ見ていることしかできなかった。
胸が締め付けられ、耐え難い痛みが込み上げる。
やがて窒息するような苦しさが消え、
少女の亡骸は縄で固く縛られたまま、木屋の中に放置された。
筱月は夢の中で叫び声を上げた。
けれど、何ひとつ止めることはできない。
これまでに感じたことのない無力感と怒りに襲われ、
気づけば涙が頬を伝っていた。
筱月は勢いよく目を覚ました。
全身は汗で濡れ、心臓は激しく鼓動している。
目の前には、小さな幽霊が静かに漂っていた。
あまりにも現実味のある夢に、筱月はまだ震えが止まらない。
「……どういうことなの?
あんな夢、今でも手が震えてる……」
拳を強く握りしめる筱月の表情には、隠しきれない動揺が浮かんでいた。
「ごめんなさい……怖がらせるつもりじゃなかったの。」
小幽霊は俯き、申し訳なさそうに小さく声を落とす。
「……あれは、私が生きていた頃に遭ったこと。
今でも思い出すと、怖くて……」
ゆっくりと顔を上げたその瞳には、深い悲しみが宿っていた。
「私の身体……まだ、あそこにあるの。
お姉ちゃんが車で私を見かけた、あの辺り。
ずっと見つからないままで……みんな、私はただの行方不明の子だと思ってる。」
「伝えたかったの。でも……どうしても、誰にも届かなかった。」
その言葉を聞いた瞬間、筱月の身体が強張った。
先ほどの悪夢が脳裏によみがえり、背筋を冷たいものが走る。
こんなにも無邪気な小幽霊が、
そんな悲惨な過去を背負っていたなんて——。
筱月はそっと手を伸ばし、慰めようとする。
しかし、その指はやはり虚しく空を切った。
深く息を吐き、筱月は強く言い切る。
「……必ず、あなたの遺願を叶える。
今から、あの木屋へ行く。
あなたの身体を、きちんと見つけて、ちゃんと弔う。」
その瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。
立ち去ろうとした筱月は、ふと足を止め、振り返る。
「……あそこで味わった苦しみ、本当に悔しくて、悲しい。
でも、私ができることは全部する。
あなたが、ちゃんと安らげるように。」
心からの言葉だった。
小幽霊はその言葉を聞くと、ぱっと笑顔になった。
「もう、痛くないよ。
……たぶん、私の身体、すごくひどいと思うけど。
お姉ちゃん、びっくりしないでね?」
筱月は小さく微笑む。
「……できるだけ、頑張るわ。」
夢で見た場所を頼りに、筱月は人里離れた廃屋へ向かった。
近づくにつれ、胸の奥に不安が広がっていく。
心の準備はしていた。
それでも、目を背けたくなるような光景を想像してしまう。
——それでも。
小幽霊の遺願を果たすため、筱月は歯を食いしばり、足を止めなかった。
やがて、目的の木屋に辿り着く。
一度、大きく深呼吸し、意を決して扉を押し開けた。
鼻を突く腐臭。
荒れ果てた室内。
そして——
縄で縛られ、無残な姿で宙に吊るされた小さな身体。
首元には、はっきりと残る痕跡があった。
強烈な吐き気に襲われながらも、筱月は必死に耐え、
震える視線で少女の遺体を確認する。
涙が、止まらなかった。
——どうして、こんなにも優しそうな子が。
——どうして、こんな運命を。
筱月は震える手で警察に電話をかけた。
発見の経緯と現場の状況を、できるだけ冷静に説明する。
「……私の名前は筱月です。
森を通りかかったとき、この木屋が気になって……中を確認したら……」
疑われないよう、言葉を慎重に選びながら、
自分は通りすがりであること、異変に気づいて通報したことを伝えた。
ほどなくして警察が到着し、
パトカーの赤色灯が夜の森を照らし、サイレンが静寂を切り裂く。
現場は封鎖され、捜査が始まった。
先頭に立つ警官が、筱月に向き直る。
「通報、ありがとうございました。
後ほど、詳しくお話を伺いますので、ご協力ください。」
筱月は静かに頷いた。
これは、専門家に委ねるべき重大な事件だ。
その後、警察署で事情聴取を受け、
筱月は覚えている限りのことを、正確に語った。
警官たちは真剣な表情で記録を取り、最後にこう告げる。
「ご協力、ありがとうございました。
本日のところはお帰りください。
進展があり次第、こちらからご連絡します。」
筱月は頭を下げ、警察署を後にした。
夜風が、ひどく冷たく感じられた。




