008話 素材を活かす
昼食を済ませると、セドリックさんは食器を下げながら、
「長旅でお疲れでしょうから、本日はごゆっくりお休みください。夕食はメイド達に運ばせます」
と一礼して部屋を後にした。
結局、その日はそれ以上目新しいことは起きず、私は久しぶりに何もない時間を過ごした。
翌朝。
私は目が覚めるなり、神に向かって祈りを捧げていた。
どうかもう一度私に奇跡を。
しかし願いは届かず、手のひらに集まった光の粒子はあっという間に消え去ってしまった。
……もしかして、このままずっと魔法を制御できないんだろうか。
ため息をつきながら身支度を済ませると、ドアがノックされた。
「奥様、朝食の準備が整っております」
セドリックさんの声だ。
私は鏡を見て全身を点検してから、「はーい」と返事をしてドアを開けた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「おかげさまで良い夜を過ごせました」
嘘だった。
実のところ、昨晩は殆ど眠れなかった。
慣れない環境、突然の契約結婚、そしてユリウス伯爵のあの冷徹な表情。
考えることが多すぎて、寝返りばかり打っていたのだ。
私はあくびを噛み殺しながら廊下を進み、大広間へと向かった。
「おはようございます、ユリウス伯爵」
「ああ」
気のない返事。
覚悟はしていたが、これで夫婦としてやっていけるのかな、と不安がよぎる。
ちなみに朝食はとても美味しく頂けた。
「今日の予定についてだが」
ナプキンで口元を拭っていると、ユリウス伯爵が会話を切り出した。
「まずは身なりを整えてもらう」
「身なり……ですか?」
「今のままでは、とても伯爵の妻には見えない。俺は構わないが、国内外の要人をもてなすには、不便が生じる」
「で、ですよね。私、みすぼらしいですもんね」
「素材は悪くない」
「え?」
「悪いのは着ているものだ。そこだけ改めるといい」
……いや、私は素材も地味だと思うんですけど……。
「メイド達に話は通しておいた。衣装選びを手伝ってもらうといい」
それだけ言うと、ユリウス伯爵は足早に執務室へと向かっていった。
相変わらず何を考えているのかわかりにくいお方だ。
「ではセラ様。衣装室へとご案内いたします」
「あ、はい」
セドリックさんに連れられ、私も大広間を後にする。
廊下を進み、今まで足を踏み入れたことのない南側の棟へ入ると、大勢のメイドさんが私を待ち構えていた。
「さあ奥様、覚悟を決めていただきますよ」
メイドさんの一人が、手をわきわきさせながら歩み出てくる。
「そのブカブカした聖衣、ずっと気になってたんですよ。絶対、もっと似合う服があるのにって」
「え」
その迫力に気圧されて、思わず後ずさる。
「逃がしませんよ、セラ様」
「せっかくユリウス様が『最高のドレスを用意しろ』とおっしゃったんです」
「私達の腕の見せ所ですから!」
次々と詰め寄ってくるメイド集団。
これは、まずい。
私は咄嗟に後ろを振り返るが――
「頑張ってください、セラ様」
セドリックさんは、すでに扉を閉めようとしている。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「女性の聖域に、男は立ち入れないのです。では」
バタン。
——こうして、私の長い長い一日が始まった。
「さあ、まずはそのダボダボした布切れを脱いじゃいましょうね」
「こ、これは一応、ルミナリアの聖職者には人気のあるデザインでして」
「奥様には似合ってないので却下です」
有無を言わさず聖衣をひん剥かれ、採寸が行われる。
「まあ、思ってたとおりすごく細い! 華奢な女性は衣装で化けますよ。腕が鳴りますねえ」
「私は何に変化させられるんでしょうか……?」
「そりゃあもちろん、ユリウス様に並んでも見劣りしない、素敵な伯爵夫人にですよ」
ユリウス伯爵の完璧に整った容姿を思い出す。
私のどこをどう加工しても、あの人に釣り合う見た目になるとは思えない。
「みっともない悪あがきにしかならない気がします……」
「みっともない? とんでもない!」
メイドさんの一人が声を張り上げる。
「セラ様、ご自分の体型をわかっていらっしゃらないようですね」
「え?」
「まずこの首のライン。すらりと長くて優雅です。ネックレスが映えますよ」
「そ、そうですか……?」
褒められ慣れていない私は、どう反応していいかわからない。
「それからこの鎖骨! 美しい! オフショルダーが絶対似合います!」
「肩幅も華奢で完璧。ああ、パフスリーブを着せたい……」
「ウエストも細い! これは絶対にコルセットでキュッと締めないと損ですよ!」
メイドさん達が次々と私の体を品定め――いや、鑑定し始めた。
「あの……痩せすぎて貧相だって、ずっと言われてきたんですけど」
「誰がそんなことを⁉︎」
「知り合いの王族ですが……」
「その方はわかってらっしゃらないようですね。ファッションは足りないものを足す分には簡単ですが、余っているものを削るのは大変なんですよ。奥様はとても伸び代のある体つきをしてらっしゃいます」
なるほど、そういう考え方もあるのかと感心する。
物は言いようというやつだ。
「……確かに、本来の体型より太く大きく見せるのは詰め物やヒールで何とかなりそうですが、細く小さく見せるのって難しそうですもんね」
「おわかり頂けましたか!」
ちなみにこうして会話している間にも採寸が行なわれ、見たことのない豪勢な下着を着せられていたりする。
ボリュームが必要な場所には素早く布が詰め込まれ、人生で一度も経験したことがない女性的なシルエットが形作られていく。
メイドさん達は誰もが目をらんらんと輝かせていて、どうもこの作業に生きがいを感じているらしかった。
巨大な着せ替え人形でも手に入れた気分なのかもしれない。
「ドレスの色は……これが良さそうですね。ユリウス様の目の色に合わせましょう」
そう言いながらメイドさんは、水色のドレスを手に取った。
淡い空色で、光に当たるとほんのり銀色に輝くのがわかる。
「私に着こなせるでしょうか」
「色白だから、よく似合うと思いますよ。さあ、着てみましょう」
ドレスに袖を通すと、ふわりと軽い生地が体を包み込んだ。
体の線を強調しつつも、隠すべきところはきちんと隠れているので、下品な印象は与えない。
きっと腕のいい職人の手によるものなのだろう。
「せっかくだから、お化粧もしてみましょうか」
「……お任せします」
もうここまでくると、好きにしてくださいという感じだった。
私はやたら生き生きするメイドさんに身を委ね、目を閉じる。
肌の上をパフが躍り、口に紅を引かれていくのを感じる。
女に生まれておきながら、ずっと着飾ることとは無縁の人生だったので、なんだか落ち着かない。
そういうのはリディア王女のような美人がすることで、私とは無縁だと考えていた。
「あの……私、今どんな風になってます?」
「素材の味を最大限に活かした調理をしております」
「私は食べ物なのですか」
「ユリウス様はさっぱりした味付けがお好みですから、そのテイストで仕上げておりますよ。ご安心ください」
そして三十分後。
「もういいですよ」
と言われたので目を開けると、鏡に映る私は別人のように垢抜けていた。
どこかが大きく変わったわけではないのに、野暮ったい印象がなくなっているのだ。
「これ……私?」
メイドさんが満足そうに微笑む。
「ええ。これが本当の奥様ですよ」
でも、ユリウス伯爵は気に入ってくださるだろうか。
不意にそんな考えが浮かび、慌てて首を振った。
愛のない契約結婚なのだから、彼の好みなど気にする必要はないはずなのに。




