005話 ユリウス辺境伯
ユリウス伯爵の城まではまだ距離があるとのことで、私は黒髪の騎士の馬に乗せてもらうこととなった。
「さあ、どうぞ。俺の手を掴んで」
なお、彼の名前はレオンというらしい。
国境警備隊の隊長で、二十一歳。趣味は天体観測、独身、と聞いてもいないことをペラペラ教えてくれる。
この人よく喋るなーと感心していうちに馬の上に引き上げられ、二人乗りの体勢になった。
「揺れは平気ですか?」
「は、はい」
私を前に乗せ、後ろから彼に支えられるような体制での移動だ。
若い男性と密着した経験が殆どない私は、緊張しながら手綱を握る。
……相手がただの男の人なら、ここまで気を遣わないのだけど。
「俺の顔に何か?」
「……いえ、なんでもありません」
というのもこのレオンさん、とてつもなく端正な顔立ちをしているのだ。
しかも彼一人ならともかく、よく見ると他の騎士も全員、目鼻立ちが整っている。
聞けば彼らは実力と容姿の両方で厳しい選別を受けた、精鋭部隊なんだとか。
どうして顔も審査する必要があるんだろうと思ったけど、何か式典があるたびに最前列に出席するのが理由らしい。
なるほど、だから見栄えも求められるんだ。
これが近衛兵となるとさらに優れた外見を求められるようで、ユリウス伯爵の周囲は美男子で固められているそうだ。
「……そんなところに私が行ったら、浮いてしまうんじゃ……」
「そうかな? セラさんも可愛いと思いますよ」
「お世辞でもありがとうございます」
「いやいや、世辞じゃないですってば」
レオンさんはすっかり打ち解けた様子で話しかけてくる。
初対面の外国人にここまで気安い態度でいいんだろうか、と他人事ながら心配になってくる。
「優しいんですね。私が聞いていたシュネーブルク人と違ってて、びっくりします」
「ルミナリアではどんな風に言われてるんです? 俺達」
「……ええと……狼と鬼が混じったような感じしょうか……」
「そりゃあ傑作だ!」
言葉を濁す私に、背後から豪快な笑い声を浴びせかけてくる。
周りの騎士達も声を上げて笑っていて、和やかな空気が流れていた。
私は出会って間もない彼らのことが、既に好きになり始めていた。
この時間がずっと続けばいいのにと思ったのに、シュネーブルクの軍馬は俊足だった。
会話が弾んで時間を忘れていたのもあるだろうが、私達は風の速さで目的地に着いていた。
「あそこです」
レオンさんが指差す方向に、真っ白な城が見える。
城門は広く開け放たれ、堀には跳ね橋が下りていた。
「お迎えの準備はバッチリみたいだ」
心の準備ができあがっていないうちに、私はユリウス伯爵の居城へと吸い込まれていく。
「ここから先は徒歩でお願いします」
レオンさんは先に馬を降りると、私の手を取って降りるのを手伝ってくれた。
「ここが、ユリウス伯爵のお住まい……」
思わず息を呑む。
石造りの壁に囲まれた厳めしい城なのに、窓辺には花が飾られている。
強い軍事色と余裕のある暮らしぶり。
住人の人となりを言葉よりもずっと雄弁に語っていた。
「緊張していますか?」
「はい……失礼のないようにしなきゃと思って」
「大丈夫。あの人は、礼儀より本心を見るタイプですよ。セラさんなら多分、気に入られるんじゃないかと」
騎士達に案内され、城門をくぐり抜ける。
(ルミナリアとは文化が全然違う)
まず目に入ったのは、城内のあちこちに飾られた甲冑だった。それらはどれも傷だらけで、中には穴が空いているものである。おそらく美術品ではなく、実際に戦場で使われたものなのだろう。
「わぁ……」
母国とは全く違う、質実剛健な調度品に目を奪われながらも、廊下を進み続ける。
「こちらが客室となっております」
何度目かの角を曲がったところで、重い扉が開かれる。
奥の椅子には、一人の男の姿があった。
遠目にもわかる威圧感と威厳。間違いない、彼がその人だ。
「——既に報告は上がっている。国境付近を、一人で歩き回っていたそうだな」
重々しい口調で城主が語り始めると、一気に場内の空気が引き締まるのを感じた。
私は騎士に促され、椅子に腰かける。
するとタイミングを見計らっていたかのように、彼は口を開いた。
「俺の名はユリウス・ヴァレンシュタイン。この辺境の管理を任されているものだ」
「お初にお目にかかります。セラ・アッシュタールと申します。生まれは——」
「堅苦しい挨拶はいい。そもそも、隣国の有名人だ。素性は概ね把握している」
彼の声は低く、どこか氷の刃を連想させる。
いや、声だけでない。その佇まいも容姿さえも、透き通った氷を思わせる人物だった。
(綺麗な人)
さっきまで抱いていた恐怖が吹き飛び、素直にそう思わせるだけの存在感がユリウス伯爵にはある。
言葉を失って、呆然とその整いすぎた顔を眺めていると、不思議そうな表情をされた。
「どうした。俺の顔に何かついているのか」
「あ! いえ、そういうわけではないのですが……」
レオンさんもかなりの美形だったが、目の前のユリウス伯爵とは比べ物にならないだろう。
氷雪を思わせるシルバーブロンドの髪に、冬の空を思わせるアイスブルーの瞳。
鼻梁は高く通り、形のよい唇が凛々しく引き結ばれている。
鋭さの中に甘さの混じった顔立ちで、これまで見てきたどんな人間よりも整っている、壮絶なまでの美男子だ。
……前評判から怖そうな風貌で想像していたので、どう反応すればいいのかわからなくなってくる。
「なら、いい」
ユリウス伯爵はそれ以上追及もせず、ゆるやかに視線を外した。
動作の一つ一つに無駄がなく、どんな姿勢を取っても落ち着きがある。
彼の周りだけ気温が低いのではないか、という錯覚すらあった。
「隣国の聖女が、我が国に何の用だ」
「ええとですね」
どこから話したものか、と言葉を探していると、鋭い一瞥を向けられた。
「返答次第では、首が飛ぶと思え」
……ちょっとレオンさん、この人、やっぱ怖いだけの人じゃないですか。
実は魔法が上手く使えなくなって追放されちゃったんです、なんて白状した日には、どうなることやら。
「そんな役立たずなど要らん!」とこの場で処刑されちゃうんじゃないだろうか。
一体どうやって誤魔化そうかと冷や汗をかいていると、
「俺に嘘や誤魔化しは通用しない。全て正直に話せ」
やばいやばいやばい。
私の本心が見抜かれてる。
きっと戦いで鍛え上げた直感とかで人の心を読んでくるタイプだ、これ。
こうなったらもう、何もかも打ち明けるしかない。
「……私、追放されたんです。魔力が——上手く使えなくなってしまって」
その言葉を放った瞬間、ユリウス伯爵のまぶたがわずかに動いた。
けれど表情は氷のように変わらない。
「聖女が、魔力を失った? 理由は」
「わかりません。ただ、女王陛下の前で力を示せと言われた時、まったく光らなかったんです。それで……」
自嘲を込めて笑ってみせるが、声は震えていた。
レオンさん達の前では平気なふりをしていたけれど、本当は怖くて仕方がない。自分の存在価値そのものを否定されたようで。
沈黙が落ちる。やっぱり軽蔑されたかな、と胸が痛んだその時——
「続けろ。全て、話せ」
鋭いはずの声が、ほんの少しだけ柔らいで聞こえた気がした。




