049話 背中
討伐から戻って数日が過ぎた。
城下町は再び穏やかな日常を取り戻し、雪に覆われた通りには子どもたちの笑い声が戻ってきている。けれど私の胸の奥では、あの峠で見た光景がまだ生々しく残っていた。
剣のぶつかる音。
血の匂い。
倒れた人の重さ。
そして——それらすべての前に立ちはだかるように剣を振るう、ユリウス伯爵の背中。
あの背中を思い出すたび、胸が締めつけられるような、誇らしいような、不思議な気持ちになる。
「セラ様、今日は診療室の視察ですよね?」
フェルンが書類を抱えて部屋に入ってくる。
「ええ。新しく増設した治療棟の様子を見に行く予定です」
討伐のあと、負傷者が増えたことを受けて、城下に新しい治療棟が作られた。私の治癒魔法を前提とした施設で、重症者にも対応できるようになっている。
「ユリウス伯爵も同行されるそうですよ」
その言葉に、胸が少しだけ跳ねた。
「……そうなの?」
「はい。セドリックさんが言ってました」
フェルンはにこにこと笑う。
「最近ほんとに忙しそうなのに、ちゃんと時間作ってくれるんですね」
「そ、そんな……」
頬が熱くなるのを感じながら、コートを羽織る。
中庭に出ると、すでにユリウス伯爵が待っていた。
黒い外套に身を包み、雪の中に立つその姿は、まるで城の守護者のようだった。
「お待たせしました」
「いや、今来たところだ」
そう言って、私に視線を向ける。
「寒くないか」
「大丈夫です」
けれど次の瞬間、ユリウス伯爵は自分の外套を外し、私の肩にかけた。
「……え?」
「風が強い。無理をするな」
近くで見ると、伯爵の顔がほんのり赤い。
「ありがとうございます」
胸が温かくなって、言葉が少し震えた。
城下町への道を並んで歩く。
すれ違う人々が、私たちを見ると深々と頭を下げる。
「聖女様だ」
「伯爵様も……」
その視線に、少しだけ居心地の悪さを覚える。
「皆さん、私のことを買いかぶりすぎです」
「事実だ」
ユリウス伯爵は淡々と言い切る。
「君がいなければ、多くの命は失われていた」
「……でも」
「謙遜は美徳だが、自分の価値を否定する必要はない」
その言葉に、思わず立ち止まる。
「……ユリウス伯爵は、私をどう見ているんですか?」
風に乗って雪が舞う。
少しだけ、沈黙。
ユリウス伯爵は私を見つめ、静かに口を開いた。
「この国に必要な存在だ」
「それだけですか」
思ったより強い声が出てしまった。
伯爵は一瞬目を見開き、それから小さく息を吐いた。
「……それ以上に」
視線が真っ直ぐに絡む。
「俺にとって、大切な人だ」
胸が大きく跳ねる。
言葉が出てこない。
雪の降る音だけが、二人の間を満たしていた。
「……すみません、変なことを言いました」
慌てて視線を逸らす。
「いいや」
ユリウス伯爵は私の歩調に合わせて歩き出す。
「だが、君には自分がどれだけ大切にされているか、自覚してほしい」
その横顔は真剣で、揺るぎがなかった。
治療棟に着くと、すでに多くの患者が並んでいた。
戦の傷だけでなく、冬の寒さで体調を崩した人も多い。
「聖女様、お願いします」
「この子を助けてください」
私は一人ひとりの手を取り、治癒魔法を施していく。
ユリウス伯爵はその様子を少し離れたところから見守っていた。
誰かが倒れそうになると支え、騒ぎが起きれば静かに収める。
その姿は、戦場にいる時と変わらず頼もしい。
治療が一段落したころ、外が騒がしくなった。
「伯爵様! 南門で揉め事が!」
騎士が駆け込んでくる。
「何があった」
「物資の配給に不満を持った者たちが、役人に詰め寄って……」
ユリウス伯爵は即座に立ち上がった。
「案内しろ」
私も後を追う。
南門の広場では、十数人の男たちが怒鳴り声を上げていた。
「なんで俺たちの分が減ってるんだ!」
「戦争が終わったんじゃないのか!」
役人たちは怯え、後ずさっている。
ユリウス伯爵が一歩前に出た。
「ここで騒げば、状況が良くなると思っているのか」
低く響く声。
男たちは一瞬たじろいだが、すぐに食ってかかる。
「伯爵様だって、城で贅沢してるくせに!」
「俺たちは凍えながら働いてるんだ!」
私は胸が痛くなった。
確かに、皆苦しいのだ。
私は前に出る。
「皆さんの不安は分かります。でも、物資は不足しています。だからこそ、分け合わなければ――」
「黙れ、聖女!」
男の一人が怒鳴った。
「綺麗事ばかり言いやがって!」
その瞬間、ユリウス伯爵が私の前に立った。
「彼女に声を荒げるな」
剣には手をかけていない。
けれど、その威圧感は凄まじかった。
「不満があるなら、正式な場で訴えろ。暴力で解決するつもりなら、俺が相手になる」
男たちは言葉を失い、次第に視線を逸らしていく。
やがて、一人が膝をついた。
「……すみません」
他の者たちも、頭を下げる。
「……もういい」
ユリウス伯爵はそう言って、役人に指示を出した。
「配給の見直し案を出せ。現場の声を反映させろ」
混乱が収まると、私は大きく息を吐いた。
「……すごいですね」
「何がだ」
「皆さんの信頼を、一瞬で取り戻してしまうところが」
ユリウス伯爵は少し困ったように視線を逸らす。
「信頼など、簡単に崩れる。だからこそ、守り続けなければならない」
その言葉に、胸が熱くなる。
(この人は、誰よりもこの国を想っている)
帰り道、夕焼けに染まる城を見上げながら、私は思った。
この国は、強い。
剣だけではなく、人の心で支えられている。
そしてその中心に立つのが――ユリウス伯爵なのだ。
「……私も」
小さく呟く。
「この国の一員として、役に立ちたいです」
ユリウス伯爵は立ち止まり、私を見つめた。
「もう、十分すぎるほどだ」
その声は、優しかった。
私は微笑み返す。
雪の城下町に灯りがともり始める。
その一つ一つが、人の営みの証のように輝いていた。
(守りたい)
この景色を。
この人たちを。
そして、ユリウス伯爵とともに歩む未来を。
私の物語は、まだ続いていく。




