045話 魔術師
魔術師の周囲で、黒い魔力が渦を巻いた。
空気が一気に冷え込み、地面に霜が走る。明らかに、ただの魔物使いではない。高度に練られた術式——しかも、複数の属性を強引に束ねている。
「……無茶なことを」
ユリウス伯爵は低く呟き、剣を構え直した。
「レオン、左右を固めろ。術者は俺が押さえる」
「了解!」
騎士たちが即座に動く。魔物の群れを牽制しつつ、魔術師へと至る一本の道を切り開いていく。その動きに一切の淀みはない。何度も死線を越えてきた精鋭たちの連携だった。
だが——
「ははっ、さすがだな。だが、ここまでだ」
魔術師が杖を地面に突き立てる。
次の瞬間、地面が盛り上がり、巨大な魔獣が姿を現した。岩と肉が混じり合ったような異形。結界の残滓を踏み砕きながら、低い咆哮を上げる。
「新手か……!」
騎士の一人が息を呑む。
「怯むな!」
ユリウス伯爵の声が、戦場に響いた。
「君たちは、これまで何を守ってきた!」
その一言で、騎士たちの目が変わる。
「城だ!」
「民だ!」
「そして——聖女様だ!」
「ならば十分だ」
ユリウス伯爵は剣を高く掲げた。
「この地は、俺たちのものだ。踏み荒らさせはしない!」
一斉に、騎士たちが突撃する。
魔獣の巨腕が振り下ろされるが、盾兵が受け止め、衝撃を分散させる。その隙を逃さず、槍兵が脚部を狙い、動きを鈍らせた。
「今だ!」
ユリウス伯爵が踏み込む。
一瞬で距離を詰め、剣を振り抜く。鋼に込められた闘気が、魔獣の外皮を切り裂いた。
だが、浅い。
「……っ」
反撃の尾が、地面を薙ぐ。
「伯爵様!」
レオンが叫ぶ。
ユリウス伯爵は身を翻し、紙一重でかわす。
「焦るな。核がある」
視線は、魔獣の胸元——不自然に脈打つ魔力の集中点を捉えていた。
「レオン、俺が隙を作る。君は後方の魔物を抑えろ」
「了解!」
ユリウス伯爵は深く息を吸い、剣を両手で握り直す。
「来い」
魔獣が応じるように吼え、突進してきた。
正面から受けるのは自殺行為。それでも、ユリウス伯爵は退かない。
衝突の瞬間——彼は踏み込み、剣を地面に突き立てた。
「……!」
刃を通じて、地面に魔力が流れ込む。
次の瞬間、地面が凍りつき、魔獣の脚を拘束した。
「なっ……!」
魔術師が目を見開く。
「氷結陣……!?」
「君は、俺を甘く見すぎた」
ユリウス伯爵は一気に距離を詰め、跳躍する。
剣が、魔獣の胸元へと突き立てられた。
核が砕け、魔獣は悲鳴を上げながら崩れ落ちる。
「——ばかな……!」
魔術師が後退る。
その瞬間、背後から矢が放たれた。
「逃がすか!」
騎士の矢が、魔術師の肩を射抜く。
「ぐっ……!」
魔術師は呻きながらも、なお詠唱を始めた。
「セラ様!」
フェルンの声。
私は、前へ出ていた。
「——もう、やめてください!」
魔力を、抑えない。
治癒ではない。浄化の祈り。
胸の奥の温かさを、そのまま外へ解き放つ。
柔らかな光が、戦場を包んだ。
魔物たちが、一斉に悲鳴を上げ、霧散していく。
「……この、光は……!」
魔術師の動きが止まる。
「聖女……本物、か……」
ユリウス伯爵が、私の前に立った。
「君、これ以上は——」
「大丈夫です」
確かに、魔力は減っている。けれど、不思議と怖くなかった。
「私は、あなたたちを信じています」
その言葉に、ユリウス伯爵の表情が一瞬、柔らいだ。
「……無茶をする」
「あなたほどじゃありません」
小さく笑うと、彼は短く息を吐いた。
「まったく……」
魔術師は、膝をついた。
「ルミナリアは……まだ、諦めていない……」
「だろうな」
ユリウス伯爵は剣を下ろさない。
「だが、次はない。伝えろ。君を力で奪うことはできないと」
魔術師は、悔しそうに笑った。
「……ああ。よく、わかったよ」
拘束され、連行されていくその背を、私は静かに見送った。
戦いが終わり、森には静寂が戻る。
負傷者はいるが、命を落とした者はいない。
それは、奇跡に近い結果だった。
「セラ様!」
騎士たちが、次々と頭を下げる。
「ありがとうございました!」
「あなたのおかげで……!」
「違います」
私は首を振った。
「皆さんが、守ってくれたからです」
その様子を見て、ユリウス伯爵は小さく頷いた。
「城へ戻ろう」
彼は私に手を差し出す。
「君は、よくやった」
その一言が、胸に深く沁みた。
夜明け前の空は、淡く白み始めている。
新しい一日が、また始まろうとしていた。
——この地で。
この人たちと共に。




