043話 決意
難民の受け入れから十日が過ぎた。
城下では、少しずつだが確かな変化が起きていた。空き倉庫だった建物は仮住まいとして整えられ、騎士団の管理のもとで炊き出しが行われている。畑仕事を手伝える者は農家へ、手工業の経験がある者は工房へと振り分けられ、領民との接点も増え始めていた。
軋轢がまったくないわけではない。それでも、大きな衝突が起きていないのは、騎士たちの目配りと——何より、ユリウス伯爵の明確な姿勢のおかげだった。
その日、私は城門近くの詰所を訪れていた。
「セラ様、こちらへどうぞ」
レオンさんに案内され、簡素な会議室に入る。中には数名の騎士と、ユリウス伯爵の姿があった。
「君も来たか」
伯爵は椅子から立ち上がり、私に視線を向ける。
「何か、ありましたか?」
「ああ。街道沿いの警備報告だ」
地図の上に、小さな石が置かれている。
「この三日で、不審な斥候らしき影が二度確認された」
「ルミナリア、ですか」
「断定はできない。ただ——」
伯爵は一瞬、言葉を切った。
「魔物の動きが、また不自然だ」
胸が、ひやりとする。
「森の奥ですか?」
「いや、今回は街道寄りだ。まるで、人の動きを探るような動き方をしている」
レオンさんが続ける。
「数は少数ですが、明らかに野生とは違います」
「……操られている、可能性が」
「ああ」
会議室の空気が、静かに張りつめる。
ユリウス伯爵は、私の方を見た。
「君に、頼みがある」
「はい」
迷いはなかった。
「直接、前線に出すつもりはない。ただ——」
「結界、ですね」
伯爵の目が、わずかに見開かれる。
「……話が早い」
「この城と、城下を守るためのものなら、私にできることです」
私は地図に視線を落とす。
「恒久的なものは難しいですが、魔物の侵入を鈍らせる結界なら、数日は保てます」
「君の負担は」
「……正直に言えば、軽くはありません」
それでも、と言いかけた私の言葉を、伯爵が制した。
「無理はするな」
「でも」
「それは命令だ」
低い声だったが、そこに込められたのは威圧ではなく、明確な心配だった。
「君が倒れたら、本末転倒だ」
「……わかりました」
私は一度、深く息を吸う。
「では、範囲を絞ります。城下と主要街道のみ」
「それでいい」
決定は即座だった。
その日の夕刻、私は城壁の上に立っていた。
冷たい風が吹き抜ける。遠くには、薄暗く沈む森の影。
背後には、数名の騎士と、ユリウス伯爵。
「準備はいいか」
「はい」
私は杖を持たない。必要なのは、祈りと集中だけだ。
ゆっくりと目を閉じ、胸の奥に意識を沈める。
魔力は、無理に引き出すものではない。
流れを感じ、形を与えるだけ。
光が、淡く広がる。
城壁を起点に、波紋のように結界が展開していくのがわかる。
「……」
誰も、声を出さない。
やがて、胸の奥に確かな手応えが生まれた。
「……終わりました」
そう告げた瞬間、膝が揺らぐ。
次の瞬間、しっかりとした腕が支えた。
「君」
ユリウス伯爵だった。
「言っただろう。無理をするなと」
「……すみません」
視界が、少し霞む。
「部屋へ戻ろう」
伯爵は、私を抱き上げた。
騎士たちが、慌てて視線を逸らす。
「伯爵様……歩けます」
「今は、黙っていろ」
有無を言わせぬ声だったが、その腕は驚くほど慎重だった。
自室まで運ばれ、ベッドに横になる。
「少し、休め」
「……はい」
伯爵は、しばらくその場に立っていたが、やがて静かに口を開いた。
「君は、自分を後回しにしすぎる」
「……でも」
「君が倒れたら、誰が希望になる」
その言葉に、何も返せなかった。
伯爵は、私の額にそっと手を置く。
「俺は、君を守ると決めた」
「……私も、あなたを支えたいんです」
視線が、重なる。
「なら、互いに無茶はするな」
「……はい」
彼は、満足そうに小さく頷いた。
夜が更け、私は眠りに落ちた。
その間にも、騎士たちは交代で警備に立ち、街道を巡回していた。
レオンさん率いる部隊は、森の縁で不審な魔物の群れを牽制し、深追いはせず、確実に押し留める戦いを続けている。
「この動き……」
「まるで、こちらの反応を試しているみたいですね」
焚き火のそばで、騎士たちが小声で言葉を交わす。
「だが、結界がある」
「ええ。聖女様のおかげで、無理はしてこない」
その頃、城の高台では、ユリウス伯爵が一人、夜空を見上げていた。
「……来るなら、正面から来い」
低く呟く。
守るべきものは、増えた。
背負うものも、重くなった。
だが、それを重荷とは思っていない。
城の灯りの一つに、セラの部屋がある。
その光を見つめながら、伯爵は静かに決意を新たにした。
この地を。
この人を。
何があっても、守り抜くと。




