041話 変革
その夜、城内は異様な緊張に包まれていた。
夕食後、私はユリウス伯爵に呼ばれ、再び執務室を訪れていた。部屋には、昼間とは別の騎士たちが集まっている。いずれも精鋭と呼ばれる顔ぶれで、鎧の擦れる音さえ控えめだった。
「状況を共有する」
ユリウス伯爵は立ったまま、机の地図を指した。
「今日の襲撃は陽動だ。敵は撤退したように見せかけて、別の場所を狙っている」
「別の場所……」
「北の関所だ」
騎士の一人が続ける。
「物資の要です。ここを落とされれば、冬越しが厳しくなる」
私は思わず息を呑んだ。食糧も、医療用の資材も、すべてそこを通って城と周辺の村へ届けられている。
「敵は、確実に弱らせに来ている」
ユリウス伯爵の声は冷静だったが、その瞳は鋭い。
「そこで、今夜のうちに打って出る」
「夜襲、ですか」
「ああ」
彼は私を見た。
「君は城に残る。これは命令だ」
「……分かりました」
本音を言えば同行したかった。けれど、この場で反論すれば、騎士たちの覚悟を揺るがしかねない。
「セラ様」
レオンさんが一歩前に出る。
「必ず、関所を守り抜きます」
他の騎士たちも、無言で頷いた。
「行くぞ」
ユリウス伯爵の号令で、騎士団は静かに動き出した。
私は城門の上から、その背中を見送った。雪はいつの間にか止み、澄んだ夜空に星が瞬いている。
(どうか……無事で)
祈ることしかできない自分が、もどかしかった。
その数時間後。
城の警鐘が、短く、鋭く鳴り響いた。
「敵襲……!?」
私は外套を羽織り、廊下へ飛び出した。
しかし、城内に混乱はない。代わりに聞こえてきたのは、遠くから響く金属音と、低く抑えた怒号だった。
「関所方面だ……」
私は胸に手を当て、魔力の流れを確かめる。
——まだ、大丈夫。
夜明け前。
重い扉が開き、ユリウス伯爵たちが帰還した。
鎧には傷があり、疲労の色は隠せない。だが、その表情には、確かな達成感があった。
「ユリウス伯爵……!」
駆け寄る私に、彼は小さく頷く。
「関所は守った」
「怪我は……」
「軽傷だ。心配するほどではない」
騎士たちが次々と報告する。
「敵部隊を壊滅させました」
「指揮官格を捕縛しています」
その言葉に、城内がざわめいた。
「捕虜は?」
ユリウス伯爵の問いに、騎士が答える。
「ルミナリアの紋章を持っていました。正規軍ではありませんが……」
「やはりな」
伯爵は短く息を吐いた。
「これで、向こうの言い逃れは難しくなる」
私は、ようやく肩の力を抜いた。
「……よかった」
「君が無事だったから、だ」
ユリウス伯爵は、私の前で立ち止まる。
「君を残して出るのは、正直言って不安だった」
「それは……」
「だが、騎士たちは応えてくれた」
彼は振り返り、騎士たちを見渡した。
「誇りに思う」
一瞬、場の空気が和らぐ。
レオンさんが、照れたように咳払いをした。
「当然の務めです」
捕虜の尋問は、すぐに始まった。
私は立ち会うことは許されなかったが、後で聞いた話では、驚くほどあっさりと口を割ったらしい。
「聖女を孤立させ、心を折る」
「それが目的、ですか」
「ああ」
ユリウス伯爵の声は、冷えていた。
「だが、失敗した」
彼は私を見る。
「君が、この国に根を下ろしたからだ」
「……私一人の力ではありません」
「それでも、中心は君だ」
私は言葉を失った。
「セラ」
「はい」
「これから先、もっと露骨になるだろう」
「それでも……」
「それでも、君はここにいるか?」
真剣な問いだった。
私は、はっきりと頷いた。
「はい。ここで生きます」
ユリウス伯爵は、ゆっくりと微笑んだ。
「なら、全力で守ろう」
その言葉に、胸の奥が熱くなる。
数日後、捕虜の存在が外交問題として表に出た。
ルミナリア王国は沈黙し、代わりに周辺諸国から使者が訪れるようになった。
「シュネーブルクは、侮れない」
「聖女と騎士団の結束が、ここまでとは」
城は、静かに、しかし確実に評価を高めていく。
ある日の夕暮れ。
城壁の上で、ユリウス伯爵と並んで景色を眺めていた。
「君は、後悔していないか」
「何を、ですか」
「穏やかな生活を捨てたことを」
私は首を振る。
「ここに来てから、毎日が大変です。でも……」
「でも?」
「自分が、誰かの役に立っていると感じられます」
ユリウス伯爵は、静かに聞いていた。
「それに」
私は彼を見上げる。
「一人じゃないと、分かりました」
彼は少し驚いたように目を見開き、やがて柔らかく微笑んだ。
「君は、強いな」
「あなたが、そうしてくれました」
沈黙が落ちる。
遠くで、騎士たちの訓練の声が響いている。
「セラ」
「はい」
「この国は、これから変わる」
「ええ」
「その中心に、君がいる」
私は、ゆっくりと息を吸った。
「……責任重大ですね」
「だからこそ、俺が隣にいる」
その言葉が、何より心強かった。
夜空に、再び雪が舞い始める。
私は、そっと思った。
戦いはまだ終わらない。
けれど——
この城と、この人と、この騎士たちと共になら。
私は、どんな未来にも立ち向かえる。




