004話 シュネーブルク
ガタン、と車輪が跳ねる音が響く。
鉄の輪が地面を叩くたび、胸の奥まで震えが伝わってくる。
「……寒い」
あれから五日間、私はずっと馬車に揺られていた。
窓の外は、変わり映えのしない景色がひたすら続いている。
とにかく木、木、木の連続なのだ。
冬の森って本当に何にもない!
こんなものを毎日眺めていたら、刺激が欲しくなった熊が市街地に出てくるのもわからなもないかな……。
などと猛獣に感情移入していると、徐々に馬車が速度を緩めていった。
何事だろうと思って窓から身を乗り出すと、前方に巨大な川が迫っている。
あれは天然の国境線で、橋を渡ればそこはもうシュネーブルク——ユリウス伯爵の領地だ。
「悪いがここから先は一人で行ってくれ」
御者に急かされ、慌ただしく馬車から降りる。
「……もう、どうにでもなれだよね」
十一月の朝である。
空は鉛色の雲が垂れ込め、吐く息は白く曇る。
寒いし外国だしひとりぼっちだし、ほとんど遭難と言っていい状況だけど、いい方向に考えれば海外旅行だ。
そうやって自分に言い聞かせながら、私はふらふらと歩き続けた。
やがて一時間ほど進んだところで、前方から蹄の音が聞こえてきた。
目をこらすと、軍馬に乗った騎士達が近付いてくるのが見える。
「止まれ! この先はユリウス伯爵の領地だ!」
先頭の男が叫ぶ。
私は慌てて両手を上げた。
「あ、怪しい者ではございません!」
咄嗟に言い訳したが、自分が不審者だという自覚はある。
聖衣をまとった女が、国境をあてもなくウロウロしているのだ。
今の私は初対面の人間に、どんな風に見えてるだろう?
良くて浮浪者、悪くてスパイ、間を取って宗教の勧誘? 実際に宗教関係者なので言い訳できない……。
「何者だ!」
鋭い声が胸を刺す。
騎士達はもう、すぐそばまで迫っていた。
「せ、セラ・アッシュタールと申します」
「アッシュタール? ……待て。今アッシュタールと言ったか?」
彼らの間に緊張が走る。
もしかして家名で外国人だとバレた? ハラハラしていると、予想外の質問が飛んできた。
「……あの、天才聖女のセラ・アッシュタールか?」
やっぱりそうだ! あの聖女セラだ! と騎士達がざわつき始める。
て、天才?
何この反応?
きょとんとしていると、一人の騎士がひらりと馬を降りた。
黒髪で緑色の目をした、整った顔立ちの青年だ。
「握手して頂けますか」
「へ……?」
思わず間の抜けた声を出してしまった。
何が起きているのか理解できないまま手を差し出すと、力強く握り締められた。
それを皮切りに、他の騎士たちも次々に馬を降り、私の前に列を作り始める。
「まさか本当にお会いできるとは……!」
「あなたの慈愛に、心から敬意を!」
ざわめきと共に、彼らは口々に称賛の言葉を投げかけてくる。
私はぽかんと口を開けたまま、握手を繰り返すしかなかった。
「えっと……その、どういうことでしょうか」
問い返すと、若い騎士が目を輝かせながら答えた。
「あなたのご活躍は、シュネーブルクでは知らない者などおりません」
目の前の騎士が何を言っているのか、理解するのに時間がかかった。
なぜなら母国における私の扱いは、
『たまたま高い魔力を持って生まれただけ。リディア王女の的確な指示がなければ何もできない人。あと顔が地味』
というものだったからだ。
最後のは余計だが、ほんとにこういう扱いだったのだから仕方ない。
それなのに隣国の人間から、突然ちやほやされ出したのだから思考停止してしまったのだ。
「あの……何がなんだかさっぱりなのですが」
私は一番最初に話しかけてきた、黒髪の騎士に尋ねてみた。
青年は気軽な態度で答える。
「我々からすれば、ルミナリア王国は仮想敵国ですからね。念入りに調べております。そしたら医療でも魔物退治でも、大活躍してる聖女がいるんですから、もうびっくりですよ。なんだあの女の子は? って、ちょっとした騒ぎになってて」
うんうんと騎士達が頷き合う。
わ、私ってば隣国じゃそういう風に思われてたの?
「一日に何十人も治癒できるくらい魔力があるみたいですけど、これって歴代の聖女でもトップクラスだし」
「そうなんですか? 私、外国に行ったことがないから基準がよくわからなくて」
「自覚がないんですか! 一日に五人も癒せれば一人前の聖女ですよ!」
彼の横に立っていた金髪の騎士が、
「っていうか回復しかできない人も多いよな。魔物を倒せるくらい攻撃魔法も使えるなら、歴史書に載るレベルだぞ」
と口を挟んでくる。
……もしかして私、シュネーブルクに生まれてたら教科書に載ってたんだろうか。
「私、普段は診察と熊避けの結界作りばっかやってて、自分では活躍してるだなんて思ったことないんです」
「熊避け……? いや、本人が来たから言うけど、実はセラさんが張った結界に何度かうちの国の人間が侵入を試みてるんですよ。でも毎回弾き返されるんで、これじゃドラゴンでも通れないって話題になってましたよ」
「たまに結界にほころびがあるから、飢えたヒグマが暴れてるのかなーと思ってたんですが、シュネーブルク人の仕業だったんですね……」
衝撃の事実である。
「まあ熊みたいにタフなのは認めますけど。なんていうか、俺らからしたら不思議で仕方ないですよ。どうしてルミナリアは、あなたの功績をちゃんと評価しないんですか?」
「……私が何をやっても、リディア王女の手柄と思われちゃうみたいで」
「あのわがまま王女の? とんでもない! どっかおかしいんじゃないか、ルミナリアは。いや失礼、あなたの母国でしたね」
自国と他国の評価のギャップに、愕然となった。
胸の奥が温かくなると同時に、一抹の不安が湧いてくる。
この人達が評価しているのは、かつての魔法が使えた頃の私であって、今の燃え尽きた私ではないのでは……?
「あの……私、実はもう魔法がほとんど使えなくなっちゃったんです」
隠しておいた方がいいのかもしれないが、それでも言わずにはいられなかった。
この人達ならどう反応するんだろうと気になったのだ。
「へ」
彼らは一瞬だけきょとんとすると、互いに顔を見合わせる。
黒髪の騎士は少しだけ考え込むような仕草をした後、私に視線を戻して言った。
「力を使い切るまで、頑張ったんですよね? 凄いじゃないですか」
他の騎士達も、「うんうん」と頷いている。
……なんだろう、おかしいな。
満足に魔法を使えなくなった聖女なんて、冷遇されてもおかしくないのに、一体どうなってるんだろう?
シュネーブルク人の価値観はよくわからない。
これが文化の違いってやつなんだろうか?
「ところでセラさん。有名人が国境を越えてきたからには、ユリウス様のところに連れて行かなきゃならないんだ」
「構いません」
「いいんですか? 助かります!」
ユリウス伯爵は怖そうな評判ばかり伝わってくるけど、この人達の上司なら大丈夫そうな気がするのだ。
「よかったー、断られたら力づくで連れてこいって命じられてたんですよ」
「え」
「縛ってでも持ってこいって言ってましたね。ははは! うちのボスは過激でねえ」
「え」
あれー?
大丈夫じゃない気がしてきた、これ……。
「あ、あの」
「なんだい?」
「ユリウス伯爵ってどんな人ですか?」
一人で悶々していても仕方ないので、思い切って聞いてみる。
「冷徹で冷酷、敵対した人間には容赦しないって評判が広まってて。それですごく怖くて、大丈夫なのかなーと思いまして」
「ああ、その噂は全部事実です」
「……全部⁉︎」
「むしろ、噂話にしては物足りないなって思いますね。実物はもっと怖いですし」
「噂が力負けしてるケースなんて想定外なんですけど……」
震え上がる私に、騎士達は意味深な笑顔を向ける。
「ご安心を。ただ恐ろしいだけの方ではありません。ちゃんと忠誠を誓うに値する人物です。……まあ、会ってみればわかりますよ」




