037話 王都
王都へ向かう馬車は、静かに雪解けの街道を進んでいた。
揺れに身を任せながら、私は膝の上で手を組む。窓の外を流れる景色は穏やかで、これから向かう場所が孕む緊張とは、ひどく不釣り合いだった。
「緊張しているか」
向かいに座るユリウス伯爵が、静かに声をかけてくる。
「……少しだけ」
「正直でいい」
伯爵はそう言ってから、少しだけ声を落とした。
「だが、君が思っているほど、一方的な場にはならない。俺もいる」
「はい……ありがとうございます」
その言葉だけで、胸の奥に芯が通る。
王都の聖堂は、変わらず荘厳だった。高い天井、白い石柱、そして祈りの残滓が染みついた空気。
案内された広間には、すでに教会側の人間が揃っていた。大司教、枢機卿、王家の使節——その中に、見覚えのある顔がある。
(……あの人)
かつて、私を「無能」と切り捨てた神官だった。
彼は私を見て、一瞬だけ視線を逸らす。
「シュネーブルク辺境伯、並びに聖女セラ・アッシュタール殿」
形式的な挨拶が交わされ、会談が始まった。
「本日は、聖女の現状確認と、今後の在り方について話し合いたく——」
「結論から言おう」
ユリウス伯爵が、低く遮った。
「セラは、ここへ戻る意思はない」
「ですが——」
大司教が口を開く前に、私は一歩前に出た。
「私から、話させてください」
空気が張りつめる。
伯爵は一瞬だけ私を見たが、何も言わなかった。
「私は、セラ・アッシュタールです」
自分の名を名乗ると、不思議と落ち着いた。
「かつて、ルミナリア王国の聖女でした。結界の維持、治癒、祈祷……与えられた務めは、全て果たしてきたつもりです」
誰も口を挟まない。
「ですが、私は人でした。疲れもすれば、傷つきもする。それを伝えることは、許されなかった」
視線を上げ、大司教を見る。
「魔力が衰えたとき、私は切り捨てられました。説明もなく、理解もなく。ただ『役に立たない』と」
ざわ、と小さく空気が揺れた。
「シュネーブルクで、私は初めて、人として扱われました。力ではなく、意思を尊重されました」
ユリウス伯爵の存在を、背中に感じる。
「だから、戻りません。ここにいるのは、私自身が選んだ結果です」
沈黙。
やがて、大司教が重く口を開いた。
「……君は、聖女だ。その力は、民のために——」
「力は、私の一部です」
私は、はっきりと言った。
「ですが、私そのものではありません。私の人生は、私のものです」
長い沈黙の後、王家の使節が咳払いをした。
「意思は確認しました。ただし——」
「条件がある、ですね」
ユリウス伯爵が言う。
「ええ。今後、セラ殿が他国で聖女として活動する場合——」
「それも、私が決めます」
再び、私が遮った。
「求められ、納得したときにだけ」
伯爵の口元が、わずかに緩む。
最終的に、合意はこうだった。
私はルミナリアに戻らない。
教会はそれを公式に認める。
ただし、緊急時に限り、私が「協力を検討する余地」を残す。
曖昧で、政治的な妥協だ。
それでも——
馬車で王都を離れるとき、私は深く息を吐いた。
「……終わりましたね」
「ああ」
伯爵は、珍しく疲れたように目を閉じた。
「よくやった、セラ」
「ユリウス伯爵のおかげです」
「違う」
彼は目を開け、私を見る。
「君が、自分で立った」
その言葉が、何より嬉しかった。
城に戻ると、フェルンと騎士たちが待っていた。
「おかえりなさい、セラ様!」
「無事でよかったです!」
次々にかけられる声に、胸が温かくなる。
その夜、部屋に戻ると、花瓶の花が静かに揺れていた。
もう、戻らなくていい。
そう思うと、ようやく——
本当に、ここに根を下ろせた気がした。
窓の外では、春の気配を含んだ風が、城を包んでいた。




