表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
燃え尽き聖女の幸せな休息  作者: 高橋弘


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/50

036話 束の間の休息

 それから数日、城には穏やかな時間が流れていた。


 会談の予定は一段落し、治療棟も落ち着いている。私は朝の巡回を終え、回廊の窓辺で足を止めていた。外では雪解けが進み、白と灰色の世界に、かすかな緑が混じり始めている。


(春が来るんだ……)


 そう思った瞬間、背後から聞き慣れた足音がした。


「ここにいたか、セラ」


 ユリウス伯爵だ。


「はい。少し、外を見ていました」

「……顔色がいい」


 それは、以前も言われた言葉だった。


「この城に来てから、よく言われます」

「それだけ、無理をしていないということだ」


 伯爵は私の隣に立ち、同じ景色を見る。


「今日は、このあと時間はあるか」

「ええ、特に予定はありませんが」

「なら、城下へ行こう」

「城下、ですか?」


 少し驚いて問い返すと、伯爵は淡々と頷いた。


「視察だ。……君にも、見ておいてほしい」

「私も、ですか」

「君は、この地の一員だ」


 その言葉に、胸が静かに鳴った。


 馬車で城下へ降りると、通りには人が増えていた。露店が並び、子どもたちの声が響いている。


「ユリウス様!」

「辺境伯様!」


 人々が気づき、次々に声をかけてくる。


「お元気そうで何よりです」

「この前はありがとうございました!」


 礼を言われるたび、伯爵は短く頷き、私の方を見る。


「セラ、君のおかげだ」

「……私一人の力ではありません」


 そう答えると、彼は否定しなかった。


 市場の奥で、足を止める。


 小さな花屋だった。まだ早い季節だというのに、温室で育てたらしい花が並んでいる。


「綺麗……」

「好きか」

「はい。見るのは」


 そう言うと、伯爵は店主に声をかけた。


「これを」

「え?」


 差し出されたのは、淡い色の花束。


「……私に?」

「他に誰がいる」


 戸惑いながら受け取ると、ほのかに甘い香りがした。


「ありがとうございます。でも、どうして……」

「理由が必要か?」

「……いえ」


 必要ないのだと、わかってしまった。


 城に戻ったのは、昼を少し過ぎた頃だった。


 馬車を降りたところで、セドリックさんが待っていた。


「ユリウス様、少しよろしいでしょうか」

「何だ」

「王都から、新たな書状が」


 伯爵の表情が引き締まる。


「内容は」

「教会と、王家の連名です」

「……そうか」


 私を見る。


「セラ、部屋で待っていてほしい」

「……私も聞くべきでは?」

「まだ、君を巻き込む段階ではない」


 その言い方に、少しだけ胸がざわついた。


「……わかりました」


 部屋に戻っても、落ち着かない。


 花束を花瓶に活けながら、考えてしまう。


(巻き込まれる、か)


 それは、私が守られる側に戻ることを意味しているのだろうか。


 ノックの音がした。


「セラ、入ってもいいか」


 ユリウス伯爵の声。


「はい」


 入ってきた伯爵は、いつもより表情が硬かった。


「……やはり、隠しきれませんね」

「君は、察しがいい」


 彼は椅子に腰を下ろし、私を見る。


「教会が、正式に君の召喚を要求してきた」

「……やはり」

「王家も同調している。名目は“確認”だ」


 私は深く息を吸った。


「拒否、できますか」

「できる。だが、代償はある」

「どんな」

「圧力だ。交易、宗教、政治……あらゆる方面から来る」


 それを聞いても、恐怖は湧かなかった。


「……ユリウス伯爵」

「何だ」


「先日、言ってくださいましたよね。協力者として、共に守ってほしいと」

「ああ」


「でしたら、これは私の問題でもあります」


 伯爵は、じっと私を見つめた。


「君は、行きたいのか」

「いいえ」

「なら、拒否するか」

「……その前に」


 私は言葉を選ぶ。


「私が直接、返答することはできますか」

「直接?」

「はい。教会に、私の意思を」


 伯爵の目が、わずかに見開かれた。


「それは……」

「危険なのはわかっています。でも、これからもずっと、誰かの判断に委ねられるのは嫌なんです」


 沈黙が落ちる。


 やがて、伯爵は静かに立ち上がり、私の前に立った。


「……君は、本当に変わらないな」

「戻っただけです」


 彼は、小さく息を吐いた。


「いいだろう。ただし、条件がある」

「条件?」

「俺も同席する」

「当然です」


 その言葉に、伯爵はわずかに笑った。


「なら、準備をしよう」


 夜、窓辺に立ち、月を見上げる。


 怖くないと言えば、嘘になる。


 それでも、逃げたいとは思わなかった。


(選ぶのは、私)


 その覚悟が、胸の奥で確かに根を張っていた。


 遠くで、城の鐘が鳴る。


 それは、警告ではなく——


 新しい一歩の、合図のように聞こえた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ