035話 安定
翌日から、城は慌ただしさを増していった。
近隣領主との会談が立て続けに予定され、使者の出入りも絶えない。私はユリウス伯爵の隣に立ち、必要な場では口を開き、不要な場では静かに聞き役に徹した。
不思議なことに、以前のような緊張はなかった。
(私は、ここにいていい)
そう思えるだけで、心は驚くほど落ち着いている。
とある会談の最中、年配の伯爵が私をじっと見つめ、口を開いた。
「失礼ながら……聖女殿。貴女は、本当にこの地に留まるおつもりなのですかな?」
場の空気が一瞬、張り詰める。
私は一歩前に出て、穏やかに答えた。
「はい。私自身が望んで、ここにおります」
「しかし、教会や王都は――」
「承知しています」
言葉を遮るのは失礼かと思ったが、あえて続けた。
「ですが、私の力は“どこに属するか”で決められるものではありません。誰を助けたいかで、使う場所を選びたいのです」
伯爵は目を瞬かせ、やがて小さく息を吐いた。
「……なるほど。噂以上ですな」
その言葉に、ユリウス伯爵が静かに口を開く。
「彼女は、ここシュネーブルクの一員だ。敬意をもって接してもらいたい」
低く、揺るぎない声。
私はその横顔を見て、胸が少しだけ熱くなった。
会談が終わり、部屋を出たあと、伯爵は私に向き直る。
「無理はしていないか」
「いいえ。むしろ……楽しかったです」
「楽しい、か」
少し意外そうに眉を上げる。
「自分の言葉で話せるのが、嬉しくて」
伯爵は小さく頷いた。
「それなら、いい」
その日の夕方、治療棟から緊急の呼び出しがあった。
「セラ様、子どもが……!」
駆けつけると、城下町から運ばれてきた少年が高熱にうなされていた。
「魔力の暴走です」
「……抑えきれなかったのですね」
私はすぐに治癒魔法を展開する。
慎重に、けれど確実に。
胸の奥の温かさが、静かに広がる。
「……落ち着いてきました」
「よかった」
額の汗を拭い、息を整える。
その様子を、ユリウス伯爵が黙って見ていた。
「君の魔力は、以前より安定している」
「はい。無理に絞り出していないからだと思います」
「必要な分だけ、使っている」
「ええ」
彼は腕を組み、考え込むような表情になる。
「……それが、本来の使い方なのだろうな」
「そう思います」
少年が目を覚まし、母親が涙ながらに礼を言う。
私は何度も首を振った。
「当然のことをしただけです」
治療棟を出た頃には、空は茜色に染まっていた。
「セラ」
「はい」
「今夜は、少し話がしたい」
「……はい」
私たちは執務室ではなく、小さな応接室に入った。
暖炉の火が、柔らかく揺れている。
「最近、君を見ていて思うことがある」
「なんでしょう」
伯爵はしばらく言葉を選ぶように沈黙し、やがて静かに言った。
「君は、誰かに守られるためにここにいるわけではない」
「……はい」
「それでも、俺は守りたいと思っている」
真っ直ぐな視線。
逃げ場はないけれど、不思議と怖くない。
「それは……重荷になりますか?」
「いいえ」
私は、少し考えてから答えた。
「守られること自体が、ではありません。ただ……一方的なのは嫌です」
「一方的?」
「はい。私も、ユリウス伯爵を守りたい」
言葉にした瞬間、胸がどきりとした。
「……君は、本当に」
「変ですか?」
「いや」
彼は小さく笑った。
「強いな」
暖炉の火が、ぱちりと音を立てる。
「これから先、厄介なことは増える」
「承知しています」
「それでも、隣に立つ覚悟は」
「あります」
即答だった。
伯爵は立ち上がり、私の前に立つ。
「なら、正式に頼みたい」
片膝をつくことはしない。
けれど、その声は何より真剣だった。
「俺と共に、この地を守ってほしい。婚約者としてだけでなく、一人の協力者として」
私は、深く息を吸った。
「喜んで」
そう答えると、伯爵は私の手を取る。
「……ありがとう、セラ」
「こちらこそ」
その手は、温かくて、力強かった。
外では、雪解け水が静かに流れている。
冬は終わりに近づいている。
そして、私の人生も――
奪われるだけのものから、選び取るものへと、確かに変わっていく。
この城で、この人と共に。
私はもう、迷わない。




