034話 未来
王都から戻った翌朝、城はいつもより静かだった。
旅の疲れが残っているはずなのに、私は早くに目が覚め、窓辺に立って雪解けの庭を眺めていた。季節は確実に進んでいる。王都で感じた重苦しさとは違い、ここシュネーブルクの空気は澄んでいて、肺の奥まで冷たさが届く。
(……帰ってきた)
その事実に、胸がほっと緩む。
ノックの音がして、扉が静かに開いた。
「起きていたか、セラ」
ユリウス伯爵だった。外套も着けておらず、執務に入る前なのだろう。
「はい。おはようございます」
「よく眠れたか」
「ええ……不思議なくらい」
伯爵は小さく頷き、私の隣に立って同じ景色を見る。
「王都では、気を張らせてしまったな」
「いいえ。必要なことでした」
私はそう答えてから、少し迷って言葉を続ける。
「……連れて行ってくださって、ありがとうございました」
「礼を言われるようなことはしていない」
いつもの淡々とした口調。けれど、視線は優しかった。
「君がどう振る舞うか、見たかった」
「試された、ということですか?」
「違う」
きっぱりと否定される。
「君が自分で選んだ言葉を、どう使うのかを見たかっただけだ」
胸の奥が、じんと温かくなる。
「……私、以前なら、きっと黙っていました」
「そうだろうな」
「でも、今回は言えました。自分の立場も、気持ちも」
伯爵は、ほんのわずかに口元を緩めた。
「それでいい」
その一言が、何よりの評価だった。
朝食の席では、セドリックさんが既に待っていた。
「お帰りなさいませ。王都からの使者が、すでに二通ほど訪れております」
「早いな」
「ええ。内容は……予想通りかと」
私はスプーンを置く。
「教会、ですか」
「はい。『聖女の力の所在を明確にせよ』とのことです」
伯爵は眉一つ動かさない。
「無視でいい」
「よろしいのですか?」
「あれは要請ではなく、牽制だ」
セドリックさんは頷き、視線を私に向ける。
「セラ様、ご心労は」
「ありません」
はっきり答えると、二人ともわずかに目を見開いた。
「……本当です」
「そうか」
伯爵は短く言ってから、私を見る。
「君が揺らがないなら、それでいい」
その日、私は久しぶりに治療棟を訪れた。
王都滞在中も報告は受けていたが、直接顔を見るのは久しぶりだ。
「セラ様!」
「おかえりなさい!」
騎士や侍女たちの声が重なり、胸が熱くなる。
「留守の間、大変でしたか?」
「いえ。セラ様に教わった通りにやっています」
「結界の補助も、安定しています」
私は一つ一つ確認し、必要な箇所だけ手を入れていく。
(……できてる)
以前なら、すべてを自分で背負い込んでいた。
けれど今は、任せることができる。
「セラ様、無理はなさらないでください」
「ええ。今日は調整だけにします」
それを聞いて、皆がほっとした顔をする。
夕方、執務室に呼ばれた。
「座ってくれ」
「はい」
机の上には、地図と書類。
「近隣領主との会談がある」
「私も、同席した方がいいですか」
「……君が望むなら」
その言い方に、私は少し笑ってしまった。
「もう、遠慮はしません」
「それは助かる」
伯爵はそう言いながらも、真剣な表情になる。
「王都での件以降、君を『象徴』として見る動きが強まっている」
「聖女として、ですか」
「それだけではない。辺境伯の婚約者として、だ」
私は息を整える。
「覚悟は、できています」
「……君は、本当に変わった」
その言葉に、私は首を振った。
「変わったんじゃありません。戻ったんです」
「戻った?」
「本来の自分に」
沈黙。
やがて、伯爵が静かに言った。
「君は、強い」
「一人では、ありませんでした」
私たちは、視線を交わす。
「これからも、並んで立つ」
「はい」
夜、部屋に戻ってから、私はふと気づいた。
王都の悪夢も、追放の記憶も、今日は思い出さなかったことに。
(上書き、されていくんだ)
恐怖ではなく、選択で。
私は窓を開け、冷たい風を吸い込む。
遠くで、城の鐘が鳴った。
ここが、私の居場所。
そして、ここから先は——
守られるだけではない。
共に立ち、共に決め、共に進む。
その未来が、もうはっきりと見えていた。




