033話 変わる季節
季節が、わずかに傾き始めていた。
城の庭園では、夏の名残を留めた花々の色が少しずつ落ち着き、風の匂いも変わってきている。
私は回廊を歩きながら、そんな小さな変化に目を向けていた。
(……忙しくなった)
以前なら、こんな余裕はなかったはずだ。
それは決して暇になったという意味ではない。
考える力が、少しずつ自分の中に根づいてきたのだと思う。
「セラ」
背後から呼ばれ、振り返る。
ユリウス伯爵が、珍しく執務室ではなく庭園側に立っていた。
「どうかしましたか」
「少し、歩けるか」
その誘いに、私は頷く。
並んで歩き出すと、自然と歩調が揃う。
「王都から、書簡が届いた」
「……内容は」
「君も聞いておいた方がいい」
そう前置きしてから、彼は言った。
「正式な招待状だ」
「招待、ですか」
「名目は、婚約者の披露と親睦」
「……実際は」
「値踏みだろう」
やはり、という思いと、わずかな緊張が胸をよぎる。
王都。
かつて、私が聖女として縛られていた場所。
(逃げたわけじゃない。でも……)
「無理にとは言わない」
ユリウス伯爵は、私の表情を見て言った。
「君が行きたくないなら、断る」
「……行きます」
自分でも驚くほど、はっきりとした声だった。
「理由は?」
「逃げたと思われたくありません」
「それだけか」
私は、一瞬言葉を探す。
「……隣に立つと、言ったからです」
彼は足を止め、私を見る。
「後悔はしないか」
「怖くないとは言いません」
けれど、と続ける。
「でも、今の私は、一人じゃありません」
ユリウス伯爵は、しばらく黙ってから、小さく頷いた。
「なら、共に行こう」
準備は、想像以上に慌ただしかった。
衣装、作法の最終確認、同行者の選定。
私は、そのすべてに関わった。
与えられるのではなく、決める側として。
「この配色は、どう思いますか」
仕立て屋が広げた布を見て、私は少し考える。
「華美すぎます。王都では目立つでしょう」
「では、こちらは」
「ええ、それなら」
ユリウス伯爵は、そのやり取りを静かに見守っていた。
「随分、判断が早くなったな」
「必要に迫られて、です」
「それでも、だ」
出発前夜。
私は、書きかけの手紙を前に、しばらくペンを止めていた。
(……送る必要、あるのかな)
宛先は、かつての知人。
聖女だった頃の、数少ない理解者。
結局、封をせずに引き出しへ戻す。
(今は、前を見る)
旅路は、静かだった。
馬車の中で、地図を広げながら打ち合わせをする。
「王都では、誰が主導権を握っていると思いますか」
「表向きは宰相だが……」
「裏は、教会ですね」
「君の言う通りだ」
視線が交わる。
「君は、あの場所をよく知っている」
「知っているからこそ、わかります」
王都が近づくにつれ、胸の奥がざわつく。
けれど、不思議と足は止まらなかった。
到着の日。
王城の門は、相変わらず高く、冷たい。
(変わってない……)
歓迎の儀式は形式的で、どこか探るような視線が多い。
「聖女様」
そう呼ばれた瞬間、私は立ち止まりそうになった。
だが。
「今は、その呼び方は適切ではありません」
私自身が、そう言った。
「私は、辺境伯ユリウス・ヴァレンシュタインの婚約者、セラです」
一瞬、空気が凍る。
けれど、ユリウス伯爵は何も言わず、ただ私の隣に立っていた。
夜の晩餐会。
注目は、否応なくこちらに集まる。
「辺境での生活は、いかがですか」
「学ぶことが多いです」
「聖女の務めから離れて、不安は?」
「ありません」
私は、微笑んで答える。
「今の役割に、誇りを持っています」
ざわめき。
中には、露骨に不満そうな顔もあった。
だが。
(私は、私だ)
帰りの馬車。
ようやく一息つくと、ユリウス伯爵が言った。
「見事だった」
「……震えていました」
「それでも、言葉を選び、立っていた」
彼は、ほんの少しだけ声を落とす。
「君を連れてきて、良かった」
「私も……来て、良かったです」
王都の灯りが、遠ざかっていく。
あの場所は、もう私を縛らない。
私は、選んだ道を歩いている。
ユリウス伯爵の隣で。
そしてこれからも――
誰かに与えられた役ではなく、
自分で選んだ役割を、生きていく。




