030話 謝罪文
それから数日、城は不思議な緊張感に包まれていた。
表向きは平穏だ。
ルミナリア王国からの軍事的な動きはなく、王都も落ち着いている。
けれど、水面下では確実に何かが動いている。
それは、城に出入りする使者の数や、ユリウス伯爵の執務時間の長さが物語っていた。
私は自室で、窓辺に置かれた刺繍枠を眺めながら、ため息をつく。
(……落ち着かない)
手を動かしていても、どうしても意識が別のところへ行ってしまう。
――ルミナリアの謝罪文。
――外交顧問という名の、都合のいい立場。
――そして、私を巡る各国の思惑。
聖女だった頃より、むしろ今の方が、ずっと多くの視線に晒されている気がした。
ノックの音がして、顔を上げる。
「セラ、少し時間はいいか」
ユリウス伯爵の声。
「はい、どうぞ」
彼は部屋に入り、扉を閉めると、私の表情を一目見て小さく息を吐いた。
「……考え込んでいる顔だ」
「わかりますか」
「ああ。君は、そういう時すぐ顔に出る」
苦笑してしまう。
「隠しているつもりなんですけど」
「無理だな」
そう言いながら、彼は私の向かいに腰を下ろした。
「今日、君に伝えておくべきことがある」
「何でしょう」
自然と背筋が伸びる。
「ルミナリア王国の件だ」
「……やっぱり」
「正式な回答を送った」
「内容は……?」
ユリウス伯爵は、迷いなく言った。
「謝罪は受け取る。
だが、セラを外交顧問として派遣する提案は拒否する、と」
胸の奥が、ほっと緩む。
「代わりに、こちらから条件を出した」
「条件?」
「国交を維持したいなら、今後一切、君に関する権利主張を行わないこと。
そして、過去の扱いについて、公式に非を認めること」
思わず目を見開いた。
「そんな……かなり強気ですね」
「当然だ」
彼の声は低く、揺るぎない。
「君は物ではない。
必要になったから取り戻す、などという発想そのものが間違っている」
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
「……怒って、くれているんですね」
「当たり前だ」
彼は、真っ直ぐ私を見る。
「君がどんな思いであの国を去ったか、俺は知っている」
言葉を失う。
詳しく語った覚えはない。
けれど、彼は察していたのだろう。
「……ありがとうございます」
「礼はいらない」
少し沈黙が落ちる。
私は、意を決して口を開いた。
「ユリウス伯爵」
「なんだ」
「……もし、ルミナリアが条件を呑まなかったら?」
「その時は、その時だ」
淡々とした口調。
「こちらが譲る理由はない」
「それで、国同士の関係が悪化したら……」
「君が気にすることじゃない」
きっぱりと言い切られる。
「政治の責任は、俺が負う」
その言葉に、胸が熱くなった。
(この人は……)
どこまでも、私を前に立たせない。
すべてを背負う覚悟で、隣に立ってくれている。
「……でも」
「まだ何かあるか」
私は、少しだけ視線を落とす。
「皆さんに、迷惑をかけている気がして」
「迷惑?」
「私がここにいるせいで、問題が増えているなら……」
言い終わる前に、彼の手が私の手を包んだ。
「セラ」
「……はい」
「君は、迷惑ではない」
はっきりとした声。
「君がここにいることで、城は変わった。
人の表情も、空気も、すべてだ」
彼は、少しだけ柔らかく微笑む。
「問題が起きているのは事実だ。
だがそれは、君が価値のある存在だからだ」
胸が、じんと熱くなる。
「……価値なんて」
「ある」
迷いのない即答。
「俺が保証する」
その言葉に、視界が滲んだ。
「……ずるいです」
「何がだ」
「そんなふうに言われたら……もう、引けなくなるじゃないですか」
彼は、ほんの一瞬だけ目を細めた。
「引く必要はない」
「……」
「君は、ここにいていい。
いや、いてほしい」
その夜、私は久しぶりに深く眠った。
夢の中で、雪の降る城を歩いていた。
冷たいはずなのに、足元は不思議と温かい。
翌朝。
城に、一通の書簡が届いた。
「ルミナリア王国、条件を受諾――?」
セドリックさんの報告に、私は驚きの声を上げる。
「正式に、過去の対応を謝罪する文書が添えられています」
ユリウス伯爵は、無言で書簡を読み終え、静かに息を吐いた。
「……予想以上に、早いな」
「それだけ、追い詰められていたんでしょうか」
「おそらくな」
彼は私を見る。
「これで、君を巡る争いは一段落する」
「本当に……?」
「ああ」
断言だった。
胸の奥に、じわりと安堵が広がる。
(やっと……)
長かった。
けれど、終わったのだ。
「セラ」
「はい」
「これから、君はどうしたい」
改めて問われる。
聖女でも、外交の道具でもない私として。
私は、少し考えてから答えた。
「……学びたいです」
「学ぶ?」
「政治も、国のことも。
ただ守られるだけじゃなくて、隣に立てるようになりたい」
ユリウス伯爵は、一瞬驚いたような顔をした後、ゆっくりと笑った。
「……君らしい答えだ」
「迷惑ですか?」
「いいや」
彼は、私の頭にそっと手を置く。
「歓迎しよう。
君が望むなら、俺はいくらでも教える」
その仕草は、恋人としてではなく、対等な存在としてのものだった。
私は、静かに頷く。
「お願いします」
こうして、私の新しい日々が始まった。
守られるだけの存在ではなく。
誰かの“都合”ではなく。
自分で選び、学び、立つ人生。
その隣には、いつもユリウス伯爵がいる。
それだけで、私はどこまでも進める気がした。




