表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
燃え尽き聖女の幸せな休息  作者: 高橋弘


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

24/50

024話 前触れ

 翌朝、私は珍しく早く目が覚めた。

 昨日あれだけ魔力を使ったのに、体は不思議と軽い。胸の奥に温かいものが満ちているような感覚があった。


 窓の外では雪が降り始めている。シュネーブルクの冬は厳しいと聞いていたけれど、この白い景色はどこか優しく見えた。


「……この城で迎える、初めての雪か」


 カーテンを開けながら呟くと、扉がノックされた。


「セラ様、朝食の準備が整いました」


 セドリックさんの声だ。


「ありがとうございます。すぐ行きます」


 身支度を整えて大広間へ向かうと、既にユリウス伯爵が席についていた。


「おはようございます」

「……ああ。顔色がいいな」


 伯爵は書類から目を上げ、わずかに目を細めた。それだけで「心配していた」という気持ちが伝わってくる。


「おかげさまで、ぐっすり眠れました」

「そうか」


 短い返事。けれど満足そうな響きがあった。


 朝食を運んできたメイドが、いつもより豪華な料理を並べていく。温かいスープ、焼きたてのパン、色とりどりの果物。


「これは……」


「昨日、無理をさせた。せめて食事くらいは贅沢をさせろ」


 ユリウス伯爵は淡々とそう言うが、その横顔は少し照れているように見えた。

 胸が温かくなる。


(本当に……優しい人)


 食事を始めようとしたその時、執事が慌ただしく入ってきた。


「ユリウス様、緊急の報告です」

「なんだ」

「ルミナリア王国から、正式な国書が届きました」


 その言葉に、場の空気が一変した。

 ユリウス伯爵は静かに立ち上がり、執事から羊皮紙を受け取る。


 封蝋を破り、中身を確認した伯爵の表情が、徐々に険しくなっていく。


「……どういうことだ、これは」


 低く、抑えた怒気を含んだ声。

 私は思わず立ち上がった。


「何が書いてあるんですか?」

「……セラを、正式に返還しろと」

「え……?」

「ルミナリア王国は、セラ・アッシュタールが国外に不当に連れ去られたと主張している。即刻返還しなければ、国交断絶も辞さないと」


 血の気が引いた。


「そんな……私は自分の意思でここにいるのに……!」

「わかっている」


 ユリウス伯爵は国書を机に叩きつけた。


「だが、向こうは『魔法が使えなくなった聖女を騙して連れ去った』という筋書きを作り上げている」

「騙してなんか……!」

「セラ」


 伯爵が私の肩に手を置く。


「落ち着け。これは政治的な駆け引きだ。お前が悪いわけではない」


 その声に、少しだけ気持ちが落ち着く。


「でも、どうして今更……」

「結界の修復だ」


 セドリックさんが静かに口を挟んだ。


「セラ様がルミナリアで結界を修復したことで、王国内での評価が一変したようです。『天才聖女を手放したのは失策だった』という声が高まり、王室が焦っているのでしょう」

「だから、強引に取り戻そうと……」

「ああ」


 ユリウス伯爵は冷たく言い切った。


「都合のいい連中だ」


 私は唇を噛んだ。


 あの国で私は何年も働いた。けれど感謝されることはなく、最後には追放された。


 なのに今更、必要だからと呼び戻そうとする。


「……私は、戻りません」


 自分の声が、思ったより強く響いた。


「絶対に、戻りません」


 ユリウス伯爵が私を見つめる。


「後悔しないか? これは、両国の関係を揺るがす問題になる」

「後悔しません」


 私は真っ直ぐ伯爵を見返した。


「私の居場所は、ここです。ユリウス伯爵の隣です」


 その言葉に、伯爵の瞳が揺れた。

 次の瞬間、彼は私を抱き寄せた。


「……なら、戦う。お前を守るために」


 その腕の温もりに、涙が溢れそうになる。


 私は震える声で答えた。


「……ありがとうございます」

「礼を言われることではない」


 彼は私の髪に顔を埋めた。


「お前は俺の婚約者だ。守るのは当然のことだ」


 胸が高鳴る。

 こんなにも真っ直ぐに守ると言ってくれる人が、今まで私にいただろうか。


 しばらくそうしていると、扉が勢いよく開いた。


「セラ様ー! 大変です!」


 フェルンだ。


「城門に、ルミナリアの軍隊が来てます!」

「なんだと!?」


 ユリウス伯爵が素早く私を離し、剣を掴む。


「セラ、ここにいろ」

「待って、私も行きます!」

「危険だ」

「でも、私のことで揉めてるんですよね? だったら、私が行かないと」


 ユリウス伯爵はしばらく私を見つめていたが、やがて深く息を吐いた。


「……わかった。だが、俺の後ろから離れるな」

「はい」


 私たちは城門へと急いだ。

 そこには、銀色の鎧を身につけた騎士たちが並んでいた。

 その中央に立つのは、見覚えのある顔。


「……リディア王女」


 金髪を風になびかせ、高慢な表情で立つ彼女。

 だが、以前とは何かが違う。

 目の下には隈があり、表情には焦りが滲んでいた。


「セラ……!」


 リディア王女が私を見つけ、声を上げる。


「お願いだから、戻ってきて! あなたがいないと、国が……!」

「断ります」


 即答だった。


「私は、もうルミナリアの聖女ではありません」

「そんな……!」


 王女の顔が歪む。


「あなたを追放したのは間違いだった! 謝るわ! だから……!」

「遅いです」


 私の声は静かだった。


「私を必要としてくれる人が、ここにいます。大切にしてくれる人が、ここにいます」


 ユリウス伯爵の手が、そっと私の肩に触れた。


「だから、もう戻りません」


 リディア王女は唇を震わせた。


「……そう。なら、力づくでも連れ戻すわ」


 騎士たちが一斉に剣を抜く。


 だが、それより早く――


 シュネーブルクの騎士団が、私たちの前に立ちはだかった。


「我らが聖女に、手を出させはしない」


 レオンさんの声が響く。


 その後ろには、昨日私が治療した騎士たちが並んでいた。


「セラ様は、俺たちの命の恩人だ」

「この国の宝だ」


「渡すわけにはいかない」


 次々と声が上がる。


 その光景に、胸が熱くなった。


(私は……こんなにも、守られている)


 ユリウス伯爵が一歩前に出た。


「ルミナリア王国の主張は認められない。セラ・アッシュタールは自らの意思でこの国にいる。それを証明する証人は、この場にいる全員だ」


 その声は低く、しかし揺るぎない威厳に満ちていた。


「これ以上この地に留まるなら、それは侵略行為と見なす。即刻、立ち去れ」


 リディア王女は歯噛みした。


「……覚えてなさい。これで済むと思わないで」


 そう言い残し、踵を返す。


 ルミナリアの軍隊が撤退していく中、私はその場に立ち尽くしていた。


「セラ」


 ユリウス伯爵が私を抱き寄せる。


「もう大丈夫だ。お前は、ここにいていい」


 その言葉に、堰を切ったように涙が溢れた。


「ユリウス伯爵……」

「泣くな」


 優しく髪を撫でる手。


「お前は、俺が守る。何があっても」


 騎士たちも、温かい目で私たちを見守っていた。


 レオンさんは安心したように笑っている。


 フェルンは尻尾を振りながら、にこにこと笑っている。


(ああ、私は……本当にここに来てよかった)


 雪が静かに降り続ける中、私は確信した。


 ここが、私の本当の居場所なのだと。


 そして、この人と一緒なら――


 どんな困難も、乗り越えられる。


「ありがとうございます、ユリウス伯爵」


 そう言うと、伯爵はわずかに眉を寄せた。


「……礼はいらないと言っただろう」


「でも、言わせてください」


 私は彼の胸に顔を埋めた。


「あなたがいてくれて……本当によかった」


 彼の心臓の音が、力強く響いていた。


 その鼓動が、私の新しい人生を祝福しているように思えた。

 ルミナリアの軍隊が撤退してから三日が過ぎた。


 城内は以前にも増して警備が厳重になり、国境の守りも強化された。ユリウス伯爵は連日会議に追われ、私と顔を合わせる時間も少なくなっていた。


「セラ様、お茶をお持ちしました」


 自室で窓の外を眺めていると、フェルンが入ってきた。


「ありがとう、フェルン」


「どうしたんですか? 元気ないですよ」


 フェルンは私の隣に座り、心配そうに顔を覗き込んでくる。


「……ユリウス伯爵、忙しそうで」


「あー、そりゃそうですよ。ルミナリアが引き下がったとはいえ、油断はできませんからね」


 フェルンは尻尾を揺らしながら、にやりと笑った。


「でも、伯爵様、執務室でずっとセラ様のこと心配してましたよ」


「え?」


「『セラは大丈夫か』『無理をしていないか』って、セドリックさんに何度も確認してました」


 顔が熱くなる。


「そ、そんなこと……」


「本当ですってば! もう、見てるこっちが照れますよ」


 フェルンはけらけらと笑う。


 その明るさに、少しだけ気持ちが軽くなった。


「フェルンは、いつも元気だね」


「そりゃあ、セラ様に助けてもらった恩がありますから! 元気じゃなきゃ恩返しできないですし」


 そう言って胸を張るフェルン。


 でも、ふとその表情に影が落ちた。


「……あの」


「ん?」


「実は、セラ様にお話ししたいことがあって」


 フェルンは珍しく真剣な顔をしている。


「夜、私がどこに行ってるか……気になってますよね?」


 図星だった。


 私は小さく頷く。


「無理に聞こうとは思わないけど……何か困ってることがあるなら、力になりたい」


 フェルンはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……実は、森に帰ってるんです」


「森に?」


「はい。私の群れ……家族に、会いに」


 フェルンは窓の外を見つめる。


「人間の姿でいるのって、思ったより疲れるんです。だから夜は狼の姿に戻って、家族と過ごしてます」


「そうだったんだ……」


「でも、セラ様の側を離れるのが不安で。だから毎朝、必ず戻ってきてるんです」


 その言葉に、胸が温かくなった。


「フェルン……」


「あ、でも! 嫌じゃないですよ、人間の姿! セラ様の役に立てるなら、ずっとこの姿でいたいです!」


 慌てて付け加えるフェルンに、私は微笑んだ。


「無理しないで。家族は大切だもの。夜くらい、ゆっくり休んでいいんだよ」


「セラ様……」


 フェルンの目が潤む。


「ありがとうございます。やっぱり、セラ様は優しいです」


「そんなことないよ」


「いえ、本当に! だから――」


 フェルンは立ち上がり、深々と頭を下げた。


「私、セラ様を一生守りますから!」


 その真剣な眼差しに、私も思わず立ち上がった。


「フェルン、顔を上げて」


「はい?」


「私の方こそ、ありがとう。あなたがいてくれて、本当に心強い」


 そう言って抱きしめると、フェルンは驚いたように固まった後、ぽろぽろと涙を流し始めた。


「うわぁぁん! セラ様ー!」


「ちょ、ちょっとフェルン!?」


「だって、だって……! こんなに優しくしてもらったの、初めてで……!」


 泣きじゃくるフェルンを抱きしめながら、私も目頭が熱くなった。


 この城に来てから、本当にたくさんの温かさに触れている。


 それは、ルミナリアでは決して得られなかったものだった。


 扉がノックされたのは、その時だった。


「セラ、入ってもいいか」


 ユリウス伯爵の声だ。


「あ、はい! どうぞ!」


 慌ててフェルンを離すと、扉が開いた。


 ユリウス伯爵が入ってきて、泣いているフェルンを見て眉をひそめる。


「……何かあったのか」


「い、いえ! 嬉し泣きです!」


 フェルンは慌てて涙を拭う。


「じゃ、じゃあ私、下に戻りますね! ごゆっくり!」


 そう言って、フェルンは駆け出していった。


 部屋に残された私とユリウス伯爵。


 少しの沈黙の後、伯爵が口を開いた。


「……最近、話す時間が取れなくて済まない」


「いえ、お忙しいのはわかっていますから」


「それでも、だ」


 伯爵は私の前に立ち、そっと手を伸ばした。


 その手に、私も手を重ねる。


「体調は問題ないか?」


「はい。フェルンも、皆さんも、よくしてくださって」


「そうか」


 伯爵はわずかに表情を緩めた。


「……実は、今夜、お前に見せたいものがある」


「見せたいもの?」


「ああ。夕食の後、中庭に来てくれ」


 そう言って、伯爵は私の手を離した。


「それまで、楽しみにしていてほしい」


 その言葉に、胸が高鳴る。


「はい、わかりました」


 伯爵は満足そうに頷き、部屋を出ていった。


 一体、何を見せてくれるんだろう。


 期待と不安が入り混じった気持ちで、私は夕方を待った。


 夕食を済ませ、コートを羽織って中庭に向かう。


 既にユリウス伯爵が待っていた。


「来たか」


「はい。あの、何を――」


 言いかけて、私は息を呑んだ。


 中庭の木々に、無数の小さな光が灯っていた。


 まるで星が降ってきたような、幻想的な光景。


「これ……」


「魔法の灯りだ。お前が来てから、城が明るくなったと皆が言っている。だから、その感謝の気持ちを形にしたいと思った」


 ユリウス伯爵の声は、いつもより少し優しい。


「綺麗……」


「お前が喜んでくれるなら、それでいい」


 そう言って、伯爵は私の手を取った。


「セラ」


「はい」


「俺は、お前をこの城に迎えて本当によかったと思っている」


 真っ直ぐな眼差し。


「お前がいなければ、この城はただの冷たい石の塊だった。だが今は違う」


 伯爵の手が、私の頬に触れる。


「お前が、ここを温かい場所に変えてくれた」


 胸が熱くなる。


 涙が溢れそうになるのを、必死にこらえる。


「ユリウス伯爵……」


「だから、これからもここにいてほしい。俺の隣に」


 その言葉に、もう涙を堪えられなくなった。


「はい……はい……!」


 伯爵は優しく私を抱き寄せた。


 星のような光に包まれながら、私たちは静かに寄り添っていた。


 ――どれくらいそうしていただろう。


 ふと、城門の方から慌ただしい足音が聞こえてきた。


「ユリウス様! 緊急の報告です!」


 レオンさんの声だ。


 伯爵は私を離し、眉をひそめた。


「何があった」


「森の奥で、大量の魔物が集結しています! このままでは、城下町に被害が……!」


 その言葉に、私たちは顔を見合わせた。


「数は?」


「少なくとも五十体以上。しかも、統率された動きをしています」


「統率?」


 ユリウス伯爵の声が鋭くなる。


「誰かが操っているのか?」


「その可能性が高いです」


 レオンさんは険しい表情で答えた。


「ユリウス伯爵、私も行きます」


 私が言うと、伯爵は即座に首を横に振った。


「危険すぎる」


「でも、怪我人が出るかもしれません。私の治癒魔法が必要です」


「セラ――」


「お願いします」


 私は真っ直ぐ伯爵を見つめた。


「私も、この国を守りたいんです」


 伯爵はしばらく私を見つめていたが、やがて深く息を吐いた。


「……わかった。だが、絶対に俺から離れるな」


「はい」


 私たちは城門へと急いだ。


 騎士団が既に出撃の準備を整えている。


 その中にフェルンの姿もあった。


「セラ様! 私も行きます!」


「フェルン……」


「私の家族も森にいるんです。守らなきゃ」


 その目は、強い決意に満ちていた。


「わかった。でも、無理はしないで」


「はい!」


 ユリウス伯爵が馬に乗り、私を引き上げた。


「掴まっていろ」


「はい」


 彼の背中に腕を回す。


 その瞬間、馬が駆け出した。


 騎士団を率いて、私たちは森へと向かう。


 月明かりの下、魔物の群れが見えてきた。


 異様な光を放つ瞳。


 統率された動き。


 そして、その中心に——


 黒いローブを纏った人影があった。


「あれは……」


「魔術師だ」


 ユリウス伯爵が低く呟く。


「ルミナリアの差し金か……」


 魔物たちが一斉にこちらを向いた。


 戦いが、始まろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ