002話 聖女の日常
疲れた。とにかく疲れた。早くベッドに入ってぐっすり寝たい。
ただそれだけを考えながら、治癒魔法を唱え続ける。
「次の方どうぞ~」
二人目の患者さんを治し終わったところで、声を張り上げる。
あと何人残ってるんだろう。
よせばいいのに部屋の外を覗いてみたら、まだ早朝だというのに、ずらりと並ぶ長蛇の列が見えた。
この分だと今日も診察で午前中が潰れそうだ。またお昼ご飯が食べられないかもしれない。
げんなりしていると、三人目の患者さんが診察室に入ってきた。
「聖女様、喉が痛くてたまらないんですよ」
「では口を開けてくださいねー」
私の名前はセラ・アッシュタール。
ここ、ルミナリア王国の大聖堂に勤める聖女で、花も恥じらう十八歳の乙女だ。
私のお仕事は主に治癒魔法を使い、怪我人や病人を治すこと。
ようするに医療従事者のようなもの……と言えば聞こえはいいけど、その実態はただの便利屋だったりする。
一日の半分は病気のお年寄りの愚痴を聞いているうちに終わるし、残りの半分は畑を荒らす熊対策の結界を張っているうちに終わる。
やってることがほぼ田舎の診療所+猟友会だ。
ロマンがなさすぎる。
聖女ってもっとこう……ねえ? 美形の勇者様と素敵な恋に落ちたり、巨悪を倒したりして、人々に感謝されるものだと思ってたのに。
いや、実はいうとそういう派手なお仕事もないわけではない。
ごく稀に、悪魔祓いや魔物退治といった見栄えのいい依頼が来ることもある。
でもそういう任務の時は必ず我が国の王女、リディア様が同行する決まりになっている。
そしてどういうわけか、私が魔物を倒すと「リディア様の的確な采配のおかげ」ということになってしまうのだ。
世論は完全に王女の味方で、「聖女セラは一人じゃ何もできない脳筋」という風潮らしい。
私の脳に筋肉が詰まってるなら、この偏頭痛は筋肉痛なんだろうか?
寝不足で頭が痛いから早く休ませてほしい、切実に。
「聖女様、喉が痛くてたまらないんですよ」
「おじいちゃん、それさっきも言ったでしょ」
私は半分ボケかけた患者さんの喉に治癒魔法をかけながら、ため息をつく。
患部を見るために手鏡を取り出したところ、見たくもない自分の姿が映ってしまったのだ。
乱れ放題の茶髪、生気のない灰色の瞳。目の下にはクマ。
元々幸の薄い顔をしているのに、寝不足と疲労で余計にみすぼらしいことになっている。
国民が私ではなく見目麗しいリディア様を支持するのも、無理はないのかもしれない。
当然、私に春なんて来ないし来る気配もない。
「聖女様、あんたいつ結婚するんだい? いい人がいないなら、うちの孫を紹介しようか」
「はいはいおじいちゃん。あなたのお孫さんは先週、結婚したでしょ」
そもそも余計なお世話ですからー、と冷たい笑みを浮かべる。
それからも治療は続き、最終的に四十人もの患者を治したところで昼休みとなった。
お昼ご飯を食べる時間を確保できただけ、今日はマシな方だ。
「……寝たい……」
食堂に向かい、死んだ目でパンを頬張る。
カチカチに硬くなった黒パンなので、スープに浸して柔らかくしながらもそもそと齧ることになる。
大聖堂で支給されるご飯は質素なものばかりで、食の喜びなんてあったもんじゃない。
まあここ、お坊さんと尼さんが勤める施設だからね。禁欲って大事。
……などと言いつつ、ここに勤める司祭も聖女も、結婚は許されてたりする。
一人の配偶者を大事にするなら家庭を持ってもオッケー、というのが教会の方針なのだ。
そういうわけでこの大聖堂のトップであるブルーノ大司祭も、しっかり妻子持ちだったりする。
「お肉食べたいな……」
そんなことをボヤいてるうちに昼食を食べ終わり、お腹を休ませてから大聖堂の外に出る。
午後は確か、穢れた湖を浄化する依頼が入ってたはず。
午前中とは打って変わって、まあまあ目立つ仕事だ。
ということは……。
「あらセラ。相変わらず辛気臭い顔してるわね」
あ、やっぱりいた。
我が国の第一王女、リディア様のおでましだ。
「ごきげんよう。本日もお会いできて光栄です」
リディア様は私とは正反対の、妖艶な美女である。
金髪碧眼でくっきりとした顔立ちで、男性なら誰もが振り返る曲線美の持ち主だ。
それだけでも目立つのに、背中がぱっくりと開いたドレスを着込み、デコルテを全力で露出している。
彼女の支持率が高いのは、九割が見た目によるものだと思う。
残りの一割は血筋だ。
なお人格面の方は……不敬罪になりそうなのでノーコメントで。
「今日の浄化作業は、私の指揮の元で執り行うことになったわ」
でしょうね、と内心ため息をつく。
こういう華やかで国民受けのいい仕事の時は、必ず顔を出すのだ、この人は。
「湖が魔物だらけで大変なことになってるらしいじゃないの。国軍も動かしてしっかり護衛に当たらせるから、あなたも気合を入れて働くことね」
「ええと……質問よろしいでしょうか」
「何かしら?」
「浄化作業に充てる時間は、どれくらいを想定していますか?」
「今日中に終わらせるつもりだけど?」
いつも通り、現場の感覚を完全に無視した無茶振りだ。
「恐れながら、今回は国内で三番目に大きな湖の浄化です。この規模を半日で済ませるのは不可能でございます。せめて二日は頂かないと」
「時間が足りないなら寝ないで働けばいいじゃない」
「……私は既に寝不足なのですが……」
「でも、今動けてるでしょ」
とうに元気の前借りをしている状態で、明日の体力を使って今日動いているようなものなのに、これ以上働けと?
大体、湖までの移動時間もかなりあるから、実質的な作業時間は半日に満たないんですけど……。
吐き出しそうになった文句を、ぐっと堪える。
身分の差もさることながら、リディア様は異様に男性受けがいいので、人前で彼女に刃向かったりしたらこっちが悪役になりかねない。
「ねえ、用が済んだならさっさと馬車に乗ってくれる? 早く湖に行きたいのだけれど」
「……仰せのままに」
リディア様が王族用の豪華な馬車に乗り込んだのを確認してから、私はよろよろと聖職者用の馬車に乗り込んだ。
正直もう限界だった。
激務に追われるのも、わがまま王女のご機嫌取りをするのも、うんざりだ。
これ以上何も起きませんように……と祈りを捧げていると、誰かが隣に乗り込んできた。
「やあ。ご一緒させてもらうよ」
ブルーノ大司祭だった。
最悪だ。
「……よろしくお願いします」
私はこの人のことが、ちょっとだけ、いやかなり苦手だった。
世間ではマイホームパパで通っているのだが、どうも女性との距離感がおかしいのだ。
会話中にさりげなく性的な話題を入れてくることが多いし、なんだか目つきもいやらしい気がする。
疲れ切った私にとっては、とどめの一撃といっていい相手だ。
「セラ君と一緒なら、楽しい旅になりそうだね」
「そうですか? 別に私なんて、地味なだけの女ですよ」
「そういうのがいいっていう人も、世の中にはいるからね」
ぞわぞわっ、と背筋に悪寒が走る。
これが素敵なおじさまだったら少しは心が動いたかもしれないけれど、ブルーノ大司祭はのっぺりとした顔のおじさんだ。
彼と一緒に移動するなんて、罰ゲームでしかない。
うんざりしているうちに馬車が動き出し、湖に向かって進み始めた。
……とにかくこの道のりが長い。ものすごく長い。
あまり舗装されていない道をガタゴト揺れながら突き進むので、だんだん気持ち悪くなってきた。
「気分が悪いのかい? 背中をさすってあげようか?」
「け、結構です」
「遠慮しなくていいんだよ、ほら。僕は既婚者だから、安心していいんだからね」
既婚男性からのボディタッチはセーフという謎理論。
いつ聞いても意味がわからない。
そうして、馬車酔いとおじさん酔いの両方で吐き気を催しているうちに二時間が過ぎた。
ようやく目的地に到着すると、私は勢いよく外に飛び出した。
「……気分が優れないので、休んできます!」
一目散に木陰に駆け寄り、四つん這いになって嘔吐する。
胃の中が空っぽになるまで吐いた後、持ってきた水筒の中身で口をすすいだ。
「……帰りたい」
これから一晩中お祈りを捧げて全身の魔力を使って、湖の浄化作業を行わなければならないのだ。
私にどうしろというのだ。
思わず泣きそうになっていると、藪の向こうからガサゴソと物音が聞こえた。
なにやら男女の話し声も聞こえる。
ひょっとしてリディア様とブルーノ大司祭が私を探しにきたんだろうか?
サボってるなんて思われたら面倒だな、と口元を拭きながら振り返ると、信じられないものが視界に飛び込んできた。
「いけませんよ、こんなところで」
「別にいいでしょぉ、セラもどっか行っちゃったし」
なんとリディア様が馴れ馴れしくブルーノ大司祭に抱きつき、首の後ろに手を回しているではないか。
しかもそれだけでなく、二人の唇は重なり、その線は一つとなり……。
(え……うわ……)
既婚の聖職者と、一国の王女の近すぎる距離感。
見てはいけないものを見てしまった、と瞬時に理解した。
リディア様、男の趣味悪すぎない⁉︎
相手は三十すぎのスケベ親父ですよ⁉︎
(うわ、うわぁ……)
口元を手で押さえ、声を押し殺しながら観察を続ける。
リディア様は私に無茶な仕事を押し付けておきながら、陰でこんなことをやっていたのだ。
ブルーノ大司祭に至っては、家庭を持つ身でありながらこの有様。
こんな人達の生活を守るために酷使されてる私って、一体何なんだろう。
なんでこんなに必死に働いてるんだろう?
なんかもう、全部どうでも良くないかな……?
頭の中で、何かが壊れる音がした。それは誇りとか忠義とか呼ばれるものかもしれなかった。
――もう、聖女なんてやりたくない。
胸の奥でふと、そんな言葉が浮かんだ。
聖魔法の力に目覚めて四年、ずっと国のため尽くしてきた私が心に秘めていた本音は、これだったのだ。
「……」
私は試しに、湖に向かって浄化の魔法を唱えてみた。
なんとなくそうじゃないかと思ったが、いつもなら手のひらをかざすだけで集まる魔力が、全く反応しない。
……ああ、やっぱり燃え尽きてたんだ。
私はフラフラと足を動かすと、藪の向こうにいる二人に近づいていった。
「せ、セラ⁉︎」
「セラ君⁉︎」
慌てて身を離すリディア様とブルーノ司祭を冷めた目で見ながら、きっぱりとした口調で告げる。
「私、できません」
リディア様は不思議そうな顔で質問してくる。
「……できないって何が?」
「湖の浄化、できません」
「何? 具合でも悪いの?」
「魔法が使えなくなっちゃったんです」
「……はあ?」
「呪文を唱えてもお祈りを捧げても、全く反応しないんです」
「ちょ、ちょっと、何よそれ」
「聖女の力を使い切ってしまったのかもしれません。今後の任務は私抜きでお願いします」
リディア様は青ざめた顔で言う。
「それじゃあ、私はこれからどうやって功績を作ればいいのよ。……あんた抜きでどうしろって言うのよ!」
そんなの私に聞かれても困ります。




