第四十七話……静かなクーデター
――クーデター騒ぎから、三日前。
帝国作戦部長クライツ上級元帥率いる反乱討伐軍は、巨大な艦列を連ねて帝国首都星ネオ・ベルゼブブへ帰還していた。
首都宙域は平穏そのものだった。
軌道上には防衛艦隊が整然と巡回し、地表では地上部隊が訓練任務を淡々とこなしている。
――あまりにも、平和すぎる。
その光景を背に、クライツは一刻の猶予もなく、摂政ノクターン公爵の私邸へ出頭した。
上級元帥は、決して高潔な人格者ではない。
功績も、地位も、評価も気にする。
だが同時に、彼は友軍を見捨てることを良しとしない軍人でもあった。
だからこそ、グラストヘイム要塞を見殺しにする判断が、今なお喉に刺さった棘のように残っていた。
「公爵閣下」
深く頭を下げ、クライツは切り出す。
「現在、首都星には十分な地上兵力と艦艇が集結しております。艦隊と兵力の一部を割き、グラストヘイム要塞へ派遣することをご検討いただけませんでしょうか」
だが、ノクターン公爵はすぐには答えなかった。
苦いものを噛み潰したような表情で、しばし沈黙する。
「……それは出来ぬ」
そして、静かに――だが決定的な言葉を続けた。
「それよりも先に、首都にいる王族と、その後ろ盾となっている有力貴族を拘束する」
「……なんですと?」
一瞬、クライツは言葉を失った。
「それは……もはやクーデターではありませんか?」
ノクターン公爵は、ゆっくりと頷いた。
否定も、言い訳もない。
帝国の王族や有力貴族の多くは、領地での退屈な田舎暮らしを嫌い、首都星ルシフェルの中枢都市である帝都ネオ・ベルゼブブに居を構えている。
つまり、まとめて拘束するのは、軍の手をもってすれば容易だった。
クライツがその現実的な計算を頭の中で転がしていると、扉が静かに開き、室内の空気が一変した。
銀髪をゆるやかに揺らし、女性宰相ローゼンタールが姿を現す。
その眼差しは冷静で、どこまでも澄んでいた。
「作戦部長殿」
彼女は柔らかな声で、しかし逃げ道を塞ぐように言った。
「ここは、我らの言うとおりになさってください。悪いようにはいたしません。このまま帝位後継者が定まらなければ、帝国は確実に瓦解します」
「……」
クライツは沈黙した。
彼は欲に弱い。
だが同時に、帝室という存在に対しては、子供の頃から刷り込まれた畏敬の念を捨てきれずにいた。
とはいえ、帝位が空位のままでは、軍も、官僚機構も、いずれ制御不能になる。
それは、彼自身が最もよく理解している現実でもあった。
「……急ぎ、高級参謀を集めよ!」
決断した彼は早かった。
「はっ!」
従卒が駆け出す。
クライツはローゼンタールから差し出された分厚い作戦書を受け取った。
そこには、王族拘束、通信遮断、宮殿域制圧、世論統制――
すでに「実行前提」で組まれた計画が記されていた。
やがて集められた高級将校たちを前に、クライツは言葉を発する。
「諸君。この作戦に、帝国の未来がかかっておる」
それは野心か、忠義か。
あるいは、その両方か。
彼は自らの正義を語り、将校たちを説得した。
こうして、帝国史に刻まれるクーデターは――
静かに、しかし確実に動き始めたのであった。
◇◇◇◇◇
それから五日後――。
クーデターは、概ね成功していた。
先帝の外戚にあたる血筋を掲げ、ノクターン公爵は自らの庇護下にあった、わずか二歳の幼子を皇帝として擁立した。
幼帝は金糸をあしらった礼服に包まれ、何が起きているのか理解することもなく、乳母の腕に抱かれている。
そしてその背後で、摂政として、さらに帝国全権を統べる総統として、ノクターン公爵は玉座の横に立った。
反対の声は、すでに存在しない。
異議を唱えた者は投獄され、あるいは「静かな場所」へ送られた。
それが一時的措置なのか、永久の処分なのかを問う者はいない。
やがて帝都では、有力貴族、文官、武官を一堂に集めた盛大な宴が催された。
金色の照明が天井から降り注ぎ、音楽と香の匂いが広間を満たす。
だが、誰の視線も追いかけているのは玉座ではなかった。
視線の先にあるのは、全権を握るノクターン総統。
幼帝は宴の隅で、乳母にあやされながら木製の玩具を握っているだけだ。
「皇帝陛下、万歳!」
「ノクターン総統、万歳!!」
歓呼の声が幾重にも重なり、広間を震わせる。
その中心で、ノクターンの権勢は天を突くかのようにそびえ立っていた。
この光景は、帝国の公共放送を通じて、帝国全土へと流された。
だが――。
「ノクターンの外道から、帝国を取り戻すぞ!」
そう叫んだのは、元第六総管区長、アーヴィング侯爵であった。
彼はすぐさま自らを選帝侯の長たる大公と称し、勢力の正統性を主張する。
さらに、元第五総管区長ハディード侯爵は、国教の最高祭司――すなわち教皇を自称した。
二人は互いの地位を正式に承認し合い、中央政府に対する対抗勢力「ルドミラ同盟」として旗を掲げる。
帝国領は、二極に引き裂かれた。
その外縁にまで、確実に亀裂が走っていた。
祝宴の裏で始まったのは、帝国大内乱の、静かな産声だった。




