第四十一話……設計図の亡命
海賊船「モリガン」は連続跳躍を繰り返し、やがてゴチエ宙域の外縁圏へと滑り込んだ。
跳躍余熱が船体の外殻を淡く光らせ、反射板の亀裂を白く際立たせる。
そこから通常航行に切り替え、二日の巡航の後、小惑星帯に埋もれるように漂う古い宇宙ステーションが視界に入った。
外壁は錆と隕石痕で汚れ、補修パッチが無数に貼られている。
排気口からは薄く冷却蒸気が漏れ、照明は時折ちらつく。
貨物船の往来も乏しく、まるで宇宙の果てに置き去りにされた小さな港町のような光景だ。
「入港の許可をされたし」
「船籍のデータを申告せよ」
「了解」
やり取りのたびに通信波がノイズ混じりに歪み、基地側の旧式回線の貧弱さが露呈する。
「……データ照合完了。第四ゲートへの寄港を許可する」
「感謝する」
数度の確認の後、「モリガン」はガタついた宇宙桟橋に接舫した。
磁気アンカーが噛み合うと同時に、甲板側の警告灯が短く点滅する。
タラップを降りると、薄暗い接続通路の向こうで、事前に買収しておいた星間ギルドの技術主任トロストが出迎えていた。
痩せ細った体格に無精髭、眼の下には深い隈。
栄養不足の研究者に特有の匂いがした。
ツーシームは握手の瞬間、そっと高額のエーテル券を掌に滑り込ませる。
「……どうぞ、こちらになります」
トロストは足取りの危うい酩酊者のようにふらふらしながら先導した。
歩くたびにステーションの床板が軋み、遠くで古い配管の唸りが聞こえた。
「船長、コイツ大丈夫なんですかい?」
レッドベアが低く囁く。
「問題ないよ。ヤツは宇宙阿片のヘビーユーザーなだけさ」
その返答にレッドベアは肩をすくめ、何も言えなくなった。
通路を抜けると小さな展望窓があり、ゴチエ鉱区の古びた設備が見えた。
虹色の空間歪曲の帯を突き抜け、複数のエーテル掘削管が宇宙空間へ伸びている。
採掘用クレーンが無重量域でゆっくりと回転し、廃棄された油井管が小惑星に突き刺さったまま放置されていた。
「……ほぉ」
ツーシームは思わず声を漏らす。
錆びついた港町と極秘技術が同居するその光景は、彼女の企みを進める上で、確かに価値のある場所だった。
◇◇◇◇◇
「……おお、これは素晴らしい」
ステーションの展望窓に密集した惑星ヴァルカンの技術者たちは、虹色の歪みに向かって伸びる油井管と採掘フレームを見つめ、思わず息を呑んだ。
油井管はまるで宇宙に根を下ろす巨大植物の茎のようで、先端は見えない深層へと消えている。
掘削音は聞こえないが、振動だけが薄いガラス越しに伝わってくる。
「……あの管はどう繋がってるんだ? どこへ伸びてる?」
ひとりが問いかけると、トロストは乾いた声を絞った。
「簡潔に言えばですね……油井管の先は宇宙の歪みに溜まるエーテル層です。ありていに言えば異次元、あるいは別位相領域」
技術者たちは驚きに目を見張り、次々に質問を浴びせた。
トロストは得意げに、最新の掘削理論や量子干渉制御、圧送回路の安定化の話まで展開していく。
さびれたステーションの老朽照明の下で語られるにしては、随分と最新技術の内容だった。
説明がひと段落したところで、ツーシームは腕を組み、核心を突いた。
「……で、肝心の位相鉄鉱の精錬方法はどうなんだい?」
その瞬間、トロストは言葉を止め、視線を伏せた。
そして、痩せた指でこめかみをとんとんと叩く。
「ここに入っています。ですが――星間ギルドを裏切ってタダで済むわけがありません」
短い沈黙。
油冷却管のポンプ音だけが低く鳴った。
「私をあなた方の惑星へ連れて行くなら、精製炉の設計図を描いて見せましょう。見返りさえ確実なら、この錆びれた命を賭ける理由にはなる」
言われてみれば、理が通っている。
ただの密売でも密輸でもなく、技術そのものの脱走なのだ。
ツーシームは頷いた。
「じゃあ、来てもらおうか?」
トロストは少し笑った。
「はいよ。死にたくなければ急ぎましょう」
そのまま彼は頼りない足取りでステーションのタラップを降り、海賊船「モリガン」に乗り込んだ。
扉が閉まる直前、ステーションの照明が一瞬ちらついた。
まるで、老朽化した宇宙港がひとりの技術者の裏切りを目撃したかのように。
◇◇◇◇◇
「お前がいなくなったと、バレはしないのか?」
宇宙ステーションが視界の端で小さな星屑のように縮んでいく頃、ビッグベアが艦橋でトロストに問いかけた。
ワープ航法用の計器が淡く点滅し、艦内には跳躍炉の振動が低く響く。
「ええ、ある程度の準備期間がありましたからね。複製クローン技術を使って、偽の死体を設置しておきました。あれは、なかなかよく出来てるんですよ。歯形も、内臓密度も」
トロストは歯の抜けた口で笑った。
笑うたびに唇の端から少し血の色をした唾が滲んで、そこに何とも言えない不健康な気配が漂う。
レッドベアはその様子を見ただけで眉を寄せ、無言になった。
彼が銃撃戦や殴り合いより苦手とするのは、こういう「倫理が腐ったインテリ」の類である。
対照的にツーシームは肩を揺らしながら笑っている。
「いやぁ、クローン死体ねぇ……ギルドも案外甘いじゃないの」
「甘いというより、慢心ですよ。ギルドの上層部は自分たち以上の存在がいないと常に思っている」
トロストは吐き捨てるように言い、座席に深く身を沈めた。
麻薬で痩せた身体が小さな影のように椅子に吸い込まれていく。
ツーシームは咥えていた安煙草の火を指先で潰し、立ち上がった。
「……さてと、行きますかね」
艦橋の照明が少し落とされ、航路予測のホログラムが展開する。
「モリガン」は惑星ヴァルカンへ向けて長距離ワープに移行した。
直後、船体全体に短い衝撃が走る。
重力制御の再調整でデッキの一部が軋み、通路の方から派手な音が響いた。
「うわっ、崩れた!」
レッドベアが振り返ると、会議室の扉が開き、小山のように積み上がっていた資料の束が床に散乱していた。
それは先ほどの錆びたステーションから、惑星ヴァルカンの技術者が掠め取ってきたエーテル掘削に関する図面・工程表・回収率統計・部材書類だった。
紙の山の中を見て、トロストは嬉しそうに鼻を鳴らした。
「いやぁ……こういう数字の積み重ねが、宇宙を動かすんですよ。戦争だって経済だって、全部ね」
「その割にはギルドの管理はだらしなかったけどねぇ」
ツーシームはにやりと笑い、船体の跳躍光が窓辺を青く染めた。
裏切り者を乗せた海賊船「モリガン」は、静かに虚空を駆けていったのであった。




