第四十話……相場で流れる血
グラストヘイム要塞で泥臭い地上戦が繰り広げられているその頃――
ツーシームは、星間ギルドが運営する秘密取引所へ向かっていた。
それは小惑星帯に埋め込まれた人口天体で、公の地図には存在しない。
外観は錆びた看板のバー。
油と古い酒と電熱蛍光灯が混ざった、どこか懐かしい匂いがする店だ。
古いロックが割れたスピーカーから流れ、カウンターでは負けた相場師が黙ってグラスを回していた。
ツーシームは安物の未熟成ウイスキーを頼み、氷を溶かす音だけが耳に残る。
マスターがそっと酒を置いた瞬間、彼女はポケットから会員証を指先だけで見せた。
「……こっちだ」
カウンター内の床板が軋みながら開き、薄暗い階段が下へと延びる。
降りた先は、バーとは別世界だった。
量子端末が整然と並び、モニターが煌めき、電子音が飛び交い、空気は熱気と香水と金の匂いで満ちていた。
客は一様に怪しいが、服装だけは上等だ。
この場所の金の匂いに相応しい者ばかりなのだ。
「トム、周りを見張っておいて」
「了解です」
レッドベアは壁際の警戒用モニターに視線を送りながら立った。
壁の巨大スクリーンには、銀、コバルト、タンタル、小惑星採掘権、貿易枠、食糧配給枠――そして戦場特有の需給が反映された相場が、量子もつれを利用した取引システムにより、次々と更新される。
当然ツーシームの狙いは銀だった。
帝国内で銀は上等な資材であり、工業用にも貨幣用にも需給がタイトだ。
そこに「事件」が起きた。
「おい、聞いたか! 第六総管区の外縁辺で巨大な銀鉱床が見つかったらしい!」
「埋蔵量は百数十万トン規模だとよ!」
取引所は一気に沸騰した。
「売りだ! 先物でぶん投げろ!」
「銀証券を貸せ! 売りを浴びせろ!」
ツーシームは口元を歪める。
この噂は、以前ゾル婆と丹念に仕込んだ「偽装情報」そのものだった。
注文は端末からでも出来たが、わざわざ美女型アンドロイドに口頭で伝えるのが流行だった。
所詮ここは成金たちの遊技場でもある。
「よ〜いしょっと」
ツーシームは取引所の片隅の端末で、逆に黙々と買い注文を入れていく。
先物板には凄まじい量の信用売り注文が積み上がり、銀の価格は雪崩のように沈んだ。
その安値で、帝国中の銀の権利証券が次々と彼女の手に転がり込む。
「……こんなものでいいかな」
最後に受領カウンターへ行き、厚い電子証明書束を受け取る。
地道に集めていた現物銀と合わせれば、支払いも十分に賄える見通しがついた。
――その後の話だ。
銀鉱山の噂は誤報と判明し、市場は逆噴射のように暴騰。
銀貨を鋳潰して売る庶民まで現れ、各地の領主たちは備蓄銀を放出し、銀貨相場の安定に血の滲む努力を強いられた。
戦場で兵が血を流す頃、相場では別の血が流れたのである。
◇◇◇◇◇
アルテミス商会の金脈は、惑星ヴァルカンの地下深くに眠る位相鉄鉱石であった。
それは紅い鏡面のような光沢を持つ奇妙な鉱石で、採掘坑の照明をゆっくりと吸い込み、縁を青白く煌めかせる。
高純度に精錬した位相鉄をわずかに合金へ混ぜるだけで、強度は既存の高級鋼材を遥かに凌駕する。
軍需のビーム砲身や複合装甲板、跳躍機関の耐圧部材、特殊軌道建設の支持梁――その用途は増える一方で、帝国市場では超ド級のレアメタルとして扱われていた。
だが一つ問題があった。
惑星ヴァルカンで鉱石は掘れるが、精錬はできないのだ。
現状は怪しげな星間ギルドの精錬所に頼るしかなく、手数料は法外。
ツーシームは指先で相場表を弾きながら、唇を歪めた。
「精錬まで自前でできたら、うちの取り分は倍どころじゃ済まないんだけどねぇ……」
事務所は薄暗く、壁際の除湿器がカタカタと鳴っていた。
配線が走る作業机の向こうで、ゾル婆は古い蒸留茶を飲みながら笑っている。
「位相鉄鉱石の精錬所とか作れないかねぇ?」
「あたしらの専門は略奪だよ、姐さん。『モノ作り』をする宇宙海賊なんて聞いたことないね、へっへへ」
白髪を三つに結ったゾル婆は、腰を丸めて笑う。
しかしその目は、商売の匂いには敏い金色の光を宿していた。
「……でもまぁ、不可能じゃない。良い設備と優秀な技術者を揃えりゃあなんとかなるだろうね。近くの宙域にゴチエの大鉱区がある。あそこは星間ギルドが手の内を見せている珍しい場所さ。見学にでも行くかい?」
「行く!」
ツーシームの反応は早かった。
数時間後には惑星ヴァルカンから選抜した技術者数名を集め、ツーシームの海賊船「モリガン」の格納庫に押し込んだ。
跳躍航法用の儀式灯が点灯し、艦内に跳躍前特有の浮遊感と金属臭が満ちる。
「ベルトを締めときなよ。ゴチエの方は航路が狭いからな」
操舵士のレッドベアが笑い、艦橋の照明が非常灯へと切り替わる。
次いでエーテル使用の跳躍炉が唸りを上げ、モリガンは一瞬の閃光とともに虚空へと消えた。
彼女たちの新事業は、こうして始まったのであった。
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