第三十四話……金銀の枷
アーヴィング侯爵家館の奥深く。
人の気配が途切れる、装飾も控えめな裏廊下に、二つの影が並んでいた。
「え?」
ツーシームが片眉を上げる。
「人類統合共和国に伝手はないか、だって? てっきり何か腹案があって言い出したのかと思ったよ」
ユリウスは肩をすくめ、悪びれもせずに答えた。
「うん。正直に言うと――賭けだね。僕、皇帝になりたいからさ。こんな辺境でグズグズしてる暇はないんだ」
一拍置き、すぐに笑って付け加える。
「……っていうのは冗談だけど。でも、ツーシームなら『ある』と思ったんだ」
彼は周囲を一瞥し、誰もいないことを確かめてから、懐に手を入れた。
音もなく現れたのは、分厚いエーテル兌換札の束。
淡く光る紙面が、薄暗い廊下でいやに存在感を放つ。
「外交用の予算は、思った以上に出たよ。成功報酬も含めて――お礼は、たんまりできる」
ツーシームは一瞬、ため息をついた。
それから、口元を歪めて苦笑する。
「……うーん。ほんと、しょうがない坊っちゃんだねぇ」
「そう言ってくれると思ってたよ」
ユリウスは、どこか確信めいた笑みを浮かべた。
彼は知っていた。
ツーシームが位相鉄を売り捌くため、帝国、連邦、共和国――表も裏も区別なく、様々な連中と付き合いを持っていることを。
そして同時に、彼女のいちばん分かりやすい弱点が――金であることも。
「ま、交渉相手が共和国ってんなら、厄介なのは確かさ」
ツーシームは兌換札を指で弾きながら言う。
「でも……あたいに頼むってことは、それなりの覚悟はあるんだろ?」
「もちろん」
ユリウスは即答した。
「失敗したら、全部僕の責任だ」
その言葉に、ツーシームは一瞬だけ真顔になり――
やがて、いつもの皮肉っぽい笑みを取り戻した。
「まったく……、皇帝様を目指す坊っちゃんの初仕事が、裏外交たぁね」
薄暗い廊下に、小さな笑い声が溶ける。
こうして、帝国の命運を左右しかねない交渉は、一人の少年と一人の女海賊――
極めて非公式な同盟から、静かに動き始めたのだった。
◇◇◇◇◇
数日後――。
海賊船「モリガン」と、識別信号を意図的に曖昧化した謎の船影が、バルバロッサ宙域の小惑星帯で向かい合っていた。
この宙域は、恒常的に恒星風が吹き荒れ、磁気嵐が渦巻く異常空間である。
センサーは虚像を映し、レーダーは雑音に沈む。
高性能な偵察艦ですら正確な位置測定が困難な――まさに「宇宙の死角」だった。
その場所でユリウスが相対していたのは、星間ギルドの幹部を自称するヘッジボックという、不良中年めいた雰囲気を纏うバイオロイドである。
くたびれた外套、無精ひげのような擬装繊維、油断のならぬ細い目。
星間ギルド――。
その存在は半ば都市伝説。
非合法合成麻薬、人身売買、武器横流し。
噂だけは山ほどあり、実体を掴んだ者はいないとされていた。
「アストレア子爵殿」
ヘッジボックは、わざとらしく丁寧な口調で言った。
「我が『ギルド』が、条件通りパニキアに話を通して差し上げましょう」
「……はい、忝く存じます」
ユリウスは頷く。
ヘッジボックの口元が、わずかに歪む。
「ただし」
彼は指先で端末を操作し、数字の列を宙に投影した。
「今回の精製済みエーテル燃料――その全量を、我がギルドが取り扱います」
膨大な数量。
そこに輸送費、危険手当、口止め料を含めた手数料が上乗せされている。
「……え!?」
ユリウスは思わず声を上げた。
だが問題は、金額の高さではなかった。
表示条件の末尾に、はっきりと記されていた一文――
【支払いは全額、銀にて】
パニキア側からの支払いは、生鮮食料品やレアメタルといった現物資源になる見込みだ。
その中で、銀だけを大量に確保するのは、容易ではない。
「エーテル兌換札では……だめですか?」
ユリウスの問いに、ヘッジボックは首を横に振る。
「兌換札は足がつく可能性があります。銀でなければ、この取引は――なかったことに」
慇懃な笑み。
だが、その奥にあるのは、冷酷な切り捨ての覚悟だ。
他を当たる時間はない。
代替ルートも存在しない。
沈黙の中、ユリウスは一度だけ目を閉じ――決断した。
「……その条件で、受けましょう」
「おお、話が早い」
ヘッジボックは満足げに頷く。
「では、こちらにサインを」
電子証明書が表示される。
ユリウスは震える手で、名を刻んだ。
彼の脳裏では、すでに計算が始まっていた。
――第六総管区に存在する銀の総量では、到底足りない。
だが、後戻りはできない。
内情がどうであれ、契約は成立した。
残されたのはただ一つ。
この無謀とも言える契約を、現実に履行する方法を見つけ出すことだけだった
◇◇◇◇◇
銀河聖帝国ノヴァの通貨体制は、二重構造によって成り立っている。
中央政府が発行するエーテル兌換券と、地方政府が鋳造する金・銀・銅の硬貨。
一見すれば合理的な分業だが、その内実は、帝国の支配哲学そのものだった。
地方政府が紙幣を発行できないのには、明確な理由がある。
それは――現有する貴金属の量を超えて、貨幣を生み出すことを禁じるという、厳格な縛りだ。
金庫に金や銀がなければ、一枚の硬貨すら鋳造できない。
つまり、どれほど壮大で素晴らしい内政計画を掲げようとも、実際に大量の金銀が手元に存在しなければ、工事も、雇用も、動き出しすらしないのだ。
これは偶然ではない。
地方貴族の領地に、巨大な造船所や銀行、独立した経済圏が生まれることを防ぐため――帝国中枢が、何世代にもわたって守り続けてきた伝統的統治政策であった。
結果として、地方貴族たちが大規模な公共事業を望むなら、選択肢は限られる。
隣接する貴族家へと軍を差し向け、備蓄された金銀を奪い、又、それらを産する鉱山を獲得すること。
それは、もはや珍しい光景ではなかった。
「公共事業のための戦争」
そんな皮肉な言葉が、帝国辺境では冗談とも本気ともつかぬ調子で囁かれていた。
だが――
その地方貴族同士の争いは、帝国の秩序を揺るがすことはない。
否。
それこそが、中央集権体制の一部だった。
地方に力を蓄えさせぬため、互いに削り合い疲弊させ、最終的に頼る先を「中央」へと収束させる。
金と銀で縛り、血と戦で均す。
この冷酷な仕組みの上にこそ、銀河聖帝国ノヴァの千年の安定は築かれていたのだった。




