第三十一話……名分の転覆
第五総管区外縁――
航路図にも、資源リストにも記載されない、名もなき宙域。
重力の癖が悪く、恒星光も届きにくいその場所には、観測価値のない瓦礫として扱われてきた小さな小惑星が漂っていた。
角度を変えれば、背景の星海に溶け込み、センサーを通せば、ただの質量ノイズとして処理される。
誰も気に留めず、誰も探そうとしない――まさに「宇宙の盲点」とも言うべき位置である。
その小惑星の内部は、丁寧に、そして緻密にくり抜かれていた。
外殻の自然な歪みをそのまま残した空洞は、人工構造物の反応を極力抑え、内部に灯る最低限の光だけが、そこが基地であることを示している。
――秘密基地。
反乱軍の、そして帝国の目が決して届かぬ場所。
その中央区画に、一隻の小さな次元潜航艇が、怯えた獣のように身を潜めて停泊していた。
「……ふぅ。この船、空調が死にかけてるんじゃないかい?」
ハッチが開き、這い出るように姿を現したのは、紅い髪を無造作にかき上げた女海賊――ツーシームだった。
「そりゃ禁煙にもなるわけだねぇ……」
彼女を迎えたのは、反乱軍側の研究者たちだった。
白衣の裾を翻しながら、興奮と緊張を隠しきれない様子で彼女を見つめている。
「あなたは本当に……宇宙のエネルギーの潮流が『見える』のですね」
「理論では理解していましたが、実際に目の当たりにするまでは信じられませんでした」
ツーシームは肩をすくめる。
彼女は、通常のセンサーでは捉えられない種類のエネルギーの流れを読み取り、潜航中は極端に鈍足となる次元潜航艇を、まるで追い風を受けた帆船のように走らせてみせたのだ。
「この航路データは驚異的だ……!」
「磁気嵐を利用した区間は、ここで合っているのか?」
「あってるかどうかなんて知らないよ」
ツーシームは素っ気なく言い放つ。
「あたいは成功報酬さえもらえりゃ、それでいいのさ」
「……ああ、もちろんだとも」
研究者の一人が頷く。
「例の『アレ』も、惑星ヴァルカンへ急いで輸送させよう」
差し出されたのは、高額なエーテル兌換札の束。
ツーシームはそれを手慣れた指で数えながら、壁のモニターへ視線をやった。
――帝国公共放送。
『――聖帝国ノヴァ皇帝陛下、崩御――』
「あらら……皇帝陛下がお亡くなりかい」
彼女は特段驚くこともなく、硬いパイプ椅子に腰を下ろし、安煙草に火をつけた。
紫煙が、低い天井に溶けていく。
研究者たちもまた、その訃報には一切関心を示さない。
彼らの視線は、潜航艇内に残された膨大な航行データに釘付けだった。
「ツーシームさん。もし次に乗っていただけるなら……」
痩身の科学者が、どこか畏まって問いかける。
「どのような装備が必要でしょうか?」
「そうさねぇ……」
彼女は少し考えて、口元を歪める。
「灰皿、かねぇ」
「あはは……空調の改修は、構造上かなり厳しいですね」
次元潜航艇は、最低限の機能だけを詰め込んだ機密性の高い船だ。
作戦に支障を及ぼさない喫煙環境など、贅沢にもほどがある。
「……ああ、もういいよ」
ツーシームは肩をすくめた。
「二度と、あんな船には乗りたくないからさ」
そう呟き、安いウイスキーを片手に、基地の観測窓へ歩み寄る。
そこから見えるのは、
恒星の光すら弱まり、どこまでも静かな星空。
「……それにしても」
彼女はグラスを傾けながら、ぼんやりと呟いた。
「トムのヤツ、迎えはまだかい?」
宇宙の片隅。
誰にも気付かれず、誰にも望まれぬ場所で、彼女は仲間の迎えを待っていた。
◇◇◇◇◇
第五管区に展開する帝国反乱討伐軍、その首脳部は深い逡巡の中にあった。
補給線は未だ再構築されず、この状況で大規模作戦を敢行するのは自殺行為に等しい。
加えて、兵士たちの士気は低下の一途を辿り――そこへ追い打ちをかけるように、皇帝崩御の訃報がもたらされたのだ。
「クライツ上級元帥閣下!」
作戦会議の席で、壮年の惑星地上軍の将軍が慎重に口を開く。
「ここは一度、撤退も一策かと存じます」
その言葉が終わる前に、反発の声が上がった。
「……ば、馬鹿な!」
クライツも思わず声を荒げる。
「僅か三分の一の戦力しか持たぬ反乱軍相手に撤退など、そんなことをすれば――我々は子々孫々まで無能と罵られる!」
「そうだ!」
分艦隊の提督の一人が吐き捨てる。
「怖気づいた腑抜けは黙っていろ!」
彼ら宇宙艦隊側にとって、今回の補給線喪失は明白な失点だった。
一方、惑星地上軍にとっては、撤退しても面子の損失は比較的小さい。
だからこそ、この場で声を荒げているのは、主として宇宙艦隊の提督たちだった。
彼らには、これまで歩んできたエリート出世街道がある。
ここで傷を負えば、敵対派閥の後輩の指揮下に回されることすらあり得た。
それだけは、何としても避けたい。
「だが……」
静かに、しかし確かな重みをもって言葉を挟んだ者がいた。
「補給が整うまで、少なくとも二か月はかかりましょうぞ」
発言したのは、無派閥の参謀長ヘーデルホッヘ上級大将である。
温厚さだけが取り柄と揶揄されることもあるが、こうした場をまとめるには最適の人物だった。
「それまで、兵士たちの士気が持つかどうか……」
「……」
「……」
惑星地上軍の将軍たちも、宇宙艦隊の提督たちも、言葉を失った。
感情に流されかけていた空気が、わずかに冷却される。
「補給線を短くしては如何でしょうか?」
そう口を開いたのは、先ほど本隊に合流した前衛艦隊司令、ベルナー中将だった。
「戦略的後退……ということか」
クライツが低く呟く。
敵から距離を取り、味方の支配宙域へ近づく――それは確かに、補給効率を改善する現実的な選択肢だった。
「現状、我が前衛艦隊も弾薬とエーテル燃料が不足しております」
ベルナーは淡々と続ける。
「満足な攻勢を行うには、不十分です」
ミサイルが尽きても、ビーム砲は撃てる。
だが、それには主機関を動かすエーテル燃料が必要だった。
しかも艦艇は、戦闘時に速度を上げれば上げるほど、燃料消費が二次曲線的に跳ね上がる。
議論が収束しそうになった、その時――。
「反乱軍より、映像通信です」
「……メインモニターにつなげ」
「了解!」
画面に映し出されたのは、反乱軍の盟主――サリーム=アル=ルディード侯爵であった。
だが彼の装いは、貴族的な軍装ではない。
それはまるで、宗教指導者の法衣のような服だった。
「貴様たちの軍事行動は、ルドミラ神の大いなる御心に背いた」
サリームは静かに、しかし断罪するように語る。
「その報いとして、無実の皇帝陛下が身代わりとなり、命を落とされたのだ」
司令部の空気が、一気に凍りつく。
「その不敬――実に甚だしい」
映像の向こうから放たれる言葉は、戦争を「神罰」へとすり替える宣告に他ならなかった。
この瞬間、戦いは単なる反乱鎮圧ではなくなった。
帝国軍は、軍事と政治、そして信仰の三重の泥沼へと、否応なく踏み込まされていったのであった。




