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― 潜伏する影 ―第八章 密約の糸


鷹ノ巣の関での**「最初の警告」**以来、豊後の国境沿いは異様な緊張に包まれていた。黒田の兵は、山狩りを強化したものの、燃え尽きた谷と、見えない狙撃手の恐怖に直面し、大規模な捜索をためらっていた。

大友忍軍は、再び地の底へと潜り、伝兵衛の**「火」の警告から、茜の「水」**の謀略へと、戦略を転換させた。

湯治場の糸

茜の情報網の中心は、依然として別府の湯治場であった。表の賑わいの裏側で、諸国の商人と浪人、そして各藩の隠密が、無数の情報と噂を交換する。

茜は、老薬草商人を始めとする協力者たちを介し、大友忍軍の持つ**「影の遺産」**の噂を、意図的に流布し始めた。

「大友宗麟は、莫大な金銀を、豊後のどこかに隠したらしい。」

「隠し金山は、確かに燃えた。しかし、その火薬の精製技術だけは、宗麟の遺臣が持ち去ったそうだ。」

この噂の真偽は誰も確かめられない。だが、**「大友の火薬技術」というキーワードは、天下泰平を求める黒田長政、虎視眈々と領土拡大を狙う加藤清正、そして漁夫の利を狙う島津氏にとって、無視できない「毒の餌」**となった。

毒の餌

ある寒い夜、茜は、地下の隠し湯から繋がる抜け道を利用し、湯治場に最も近い山中の見張りの岩陰に潜んでいた。

彼女の協力者が、湯治場の一室で、加藤清正の忍び(鷹ノ巣から生還した者)と、黒田長政の家臣である密偵が密会している情報を掴んでいたのだ。

彼らの目的は、他ならぬ大友の隠し金山の残された情報であった。

茜は、あえて彼らの密会場所の近くに、硫黄の臭いをつけた手紙を置き去りにした。

手紙の内容は、極めて単純な偽情報である。

> 「豊前国境近くの山中に、隠し金山の『本坑』がある。これを島津の忍びが狙っている。急げ。」

>

これは、かつて宗麟が豊臣秀吉の目を欺くために使用した、古びた偽情報であった。

黒田の密偵がこの手紙を発見すれば、彼らはすぐにそれを真実と信じ、加藤清正の動向を疑い始めるだろう。

計算された不信感

翌日、茜が地下に戻ると、伝兵衛は彼女が持ち帰った報告書を読み終えていた。報告書には、黒田長政と細川忠興が、互いの領地を巡って水面下で激しく牽制し合っている様子が記されていた。

「茜。これでいい。黒田と加藤は、互いに**『影の遺産』**を先に手に入れようと、疑心暗鬼になる。」

伝兵衛は、**「最初の警告」**で加藤清正の忍びを撃退したが、それは同時に黒田長政に「豊後にまだ大友の勢力がいる」と知らせる諸刃の剣でもあった。

しかし、茜の偽情報によって、その視線は大友忍軍から、互いの腹心へと逸れる。

「豊前国境での金山の情報は、黒田長政の密偵を、細川忠興の領地に近い場所へと誘導します。そして、彼らが探る姿を、細川の忍びが目撃すれば、両者の不信感は決定的なものになる。」

茜は静かに分析する。

「我々大友忍軍は、この両者の不信感という**『糸』**を、地下から引くだけで良い。彼らが互いに警戒し、兵力を動かすほど、我々の存在は、彼らの頭から遠のく。」

伝兵衛は、地下の岩窟に積まれた火薬の山を見つめた。

「我々は、ただ力を温存するだけではない。私たちは、この豊後の地で、彼らの**『勢力均衡』を作り出すのだ。彼らが争い、力を消耗する限り、この影の国**は守られる。」

彼の言葉は、もはや単なる大友氏への忠誠を超え、乱世を生き抜くための冷酷な戦略となっていた。

大友忍軍の目的は、敵を倒すことではなく、敵を消耗させ、豊後の地を、誰も手を付けられない均衡の檻の中に閉じ込めることであった。

彼らが地下から引く、見えない**「密約の糸」**は、やがて九州全土の勢力図を、静かに、しかし確実に変えていくことになるだろう。


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