― 潜伏する影 ―第十五章 技術の陽動
細川忠興への**「遠見の暗殺」という冷徹な警告は、九州の勢力図に再び緊張と不信の均衡をもたらした。黒田長政は安堵し、細川忠興は恐怖で身動きが取れず、そして加藤清正は、この「不可視の力」の正体が、自分が探す大友宗麟の南蛮技術**であると確信を強めた。
伝兵衛は、清正のこの**「技術への渇望」**こそが、彼を豊後から遠ざける最大の武器になると見抜いた。
「清正は、この秘匿銃の技術を喉から手が出るほど欲している。彼は、武将の中でも特に新しい力に貪欲だ。その貪欲さこそが、彼の目を豊後から逸らす陽動となる。」
偽の設計図
地下司令所では、伝兵衛と茜が、宗麟の遺した南蛮の技術書の中から、敢えて未完成で誤った情報を含む図面を選び出していた。それは、**「簡易遠見鏡」の製作図と、「高熱噴射式火器」**の設計図の写しであった。
「この遠見鏡の図面は、製造が難しく、かつ長時間使用すれば目が焼けるほどの欠陥を抱えています。清正の技術者がこれに飛びつけば、無駄な時間と資源を浪費するでしょう。」茜が確認する。
「高熱噴射式火器はどうか。」伝兵衛が尋ねた。
「この火器は、確かに強力ですが、特定の金属精製技術がなければ、使用数回で爆発の危険がある。清正には、その精製技術がない。これは、彼らが手を出して最も危険な**『毒』**です。」
伝兵衛は満足げに頷いた。「この二つの図面が、我々が清正に差し出す**『陽動の餌』**だ。これを豊後の国境近くで失ったように見せかけ、清正の忍びに拾わせる。」
陽動の実行
茜は、最も信頼できる忍びを率い、細心の注意を払って豊後と肥後の国境地帯へ向かった。
彼女たちは、かつて清正の忍びが探索に来ていた山中の廃墟の近くで、わざと追跡されやすいルートを選び、偽の技術図面を収めた巻物を、大友家の紋章を付けて、わかりやすい場所に放置した。
巻物を落とした忍びは、その直後、清正の忍びの追跡を受けた。伝兵衛の指示通り、彼らは抵抗せずに逃走を優先し、**「重要な機密を奪われた」**という演出を徹底した。
数日後、湯治場の情報網を通じて、加藤清正の忍びが、その巻物を**「戦利品」**として本拠地である肥後へ持ち帰ったことが確認された。
清正は、「遠見の暗殺」に使われた恐るべき技術の一部を手に入れたと確信し、狂喜したという。
肥後への視線
清正は、即座に自家の技術者と鉄砲鍛冶を動員し、図面の解読と試作に取り掛からせた。彼の関心は、豊後国境を越えて大友忍軍の隠れ家を探すことよりも、手に入れた**「南蛮の秘宝」**を実用化することへと完全に切り替わった。
結果は、伝兵衛の予想通りだった。
* 簡易遠見鏡は、目を痛める欠陥が露呈し、改良に膨大な時間を要した。
* 高熱噴射式火器の試作品は、特定の金属が確保できないため、試射の段階で炉の一部が損壊するという事故を引き起こした。
清正の陣営では、技術者たちが失敗の原因を巡って対立し、内輪の混乱が生じた。彼らは、図面自体が間違っているとは夢にも思わず、「南蛮の技術は深遠だ」「大友が隠した最後の秘密があるはずだ」と考え、ますます深く、無益な研究の泥沼にはまっていった。
影の計算
地下司令所。伝兵衛は、清正の内部混乱を示す最新の報告書を静かに燃やした。
「清正は、自ら毒を飲んだ。彼の技術者たちが、この偽の技術に時間を費やす限り、我々は安全だ。彼らの最大の武器である探求心を、我々が逆手に取ったのだ。」
茜は、豊後の地図に印を付けながら、改めて伝兵衛の謀略の周到さに感嘆した。
「これで、三つの大名家全てが、外部の敵ではなく、内部の疑念と無益な作業に兵力と資金を割くことになりました。黒田は内乱、細川は恐怖、清正は技術の泥沼。豊後を支配する者はいなくなりました。」
伝兵衛は、勝利を確信したような目で、天井を見上げた。
「我々は、豊後の地で**『真空地帯』を作り上げた。地上の支配者たちが互いに牽制し、内部を蝕まれている今こそ、我々大友忍軍**が、この豊後の地に、影の国を恒久的に確立するための、最後の仕上げに取り掛かる時だ。」
彼らは、もはや一時の潜伏者ではない。豊後の地底に根を下ろし、九州の権力構造を裏側から操る、見えない支配者へと進化していた。




