― 潜伏する影 ―第十章 密輸ルートの開拓
黒田、加藤、細川の三角の牽制は、豊後国境に緊張をもたらし続けたが、同時に一つの結果を生んだ。それは、国境警備の過度な集中による、別のルートの隙である。
伝兵衛は、この隙を活かし、ついに大友忍軍の最重要資源である金銀を、地下から外部へ搬出する計画を立てた。これは、影の国の運営資金を確保し、情報網をさらに強固にするための、極めて危険な賭けであった。
海の道、宗麟の遺産
伝兵衛が選んだルートは、陸路ではない。別府湾から南へ下った、宗麟が南蛮貿易の時代に確立した**『海の道』**である。
「陸路は監視が厳しすぎる。国境の関所は、我々の火薬の匂いを嗅ぎつけようと躍起になっている。しかし、海は広い。」
伝兵衛は、地下司令室の地図上で、豊後南部の小さな入り江に指を置いた。そこは、切り立った崖と深い森に囲まれ、人の目から隠れやすい地形だ。
「茜。お前は、宗麟様がかつて取引をしていた五島の海賊衆との接触を試みよ。彼らは、どの勢力にも属さず、金さえ払えば、喜んで密輸の船を出す。」
「五島の海賊衆……彼らは、かつて大友水軍とも敵対した荒くれ者たちです。」茜の表情が引き締まる。
「そうだ。だが、彼らは銭に忠実だ。そして、宗麟様は彼らとの間に、**『ある取り決め』**を交わしていた。」
その取り決めとは、大友家が滅亡の危機に瀕した際、五島が特定の紋章を持った者を助けるという、一種の保険契約であった。この契約は、宗麟が海賊衆の船団に秘密裏に**武器(火薬の一部)**を融通することで成立していた。
「潮の影」の接触
茜は、五人の忍びの中で最も水練に長けている。彼女は、数日をかけて海沿いの岩場を通り、五島へ向かう船団が立ち寄る小さな漁村へ向かった。
彼女は、誰もいない夜の浜辺で、宗麟が定めた合図を焚き火の煙で上げた。煙の立ち方、匂い、すべてが緻密に計算されている。
数刻後、闇に溶け込むように、一隻の小舟が砂浜に乗り上げた。舟から降りてきたのは、海賊衆の老練な船乗り、**玄馬**だった。彼の眼光は鋭く、全身から潮と鉄の臭いがする。
「まさか、大友の滝の影が、この五島の合図を使うとはな。宗麟の時代以来だ。」玄馬は、茜の姿を一目見て、その正体を見抜いた。
茜は、懐から宗麟が与えた特殊な銀貨を取り出し、玄馬に差し出した。
「この紋章を覚えておられるはず。私たちは、宗麟様の遺志を継ぐ者たちです。豊後の地下に眠る金銀を、五島へ運び、京の商人を通して換金したい。」
玄馬は、銀貨を手に取り、松明の光にかざして、深く刻まれた大友宗麟の紋章を確認した。
「火薬の対価として、我々は一度だけ、この船を出す約束をした。しかし、黒田の警備は厳しくなったぞ。成功の保証はない。」
「私たちの依頼は、金一包の運搬。成功報酬として、運搬した金の十分の一を渡す。加えて、我々が秘匿している火薬精製技術に関する情報を、見返りとして提供する。」
火薬精製技術――その言葉に、玄馬の目が光った。それは、海賊衆が、今後勢力を拡大する上で、喉から手が出るほど欲しい戦略物資である。
「よかろう。十分の一と技術の欠片だ。命を懸けるに値する。別府湾の南、潮の干満が最も穏やかになる日に、船を出す。」
影の経済
こうして、大友忍軍は、地上の大名たちが気づかない**「海の道」を使い、地下の金銀を、秘密裏に「影の経済」**の通貨へと変え始めた。
数週間後、無事に五島へと到着した金銀は、京の闇ルートを通じて、大友忍軍が望む物資と情報へと変えられた。それは、最新の軍事情報、そして、諸大名家への工作資金であった。
伝兵衛は、地下で報告を受けると、静かに満足の意を示した。
「これで、我々は再び、豊後の支配者たちと対等に戦う力を手に入れた。我々は、もはやただの**『残党』ではない。豊後の地底に巣食う、『独立した勢力』**だ。」
茜は、新たな情報が書き込まれた地図を広げた。黒田、加藤、細川は依然として互いに牽制し合っている。しかし、彼らが知らぬ間に、大友忍軍は海を通じて力を蓄え、彼らの間に、さらなる不和の種を撒く準備を整えつつあった。
彼らの**「影の経済」**が、次の時代の動乱の資金源となる。
資金と情報を手に入れた伝兵衛と茜は、いよいよその力を使い、黒田長政に対する具体的な謀略を仕掛け、彼の統治基盤を揺るがしにかかります。




