ヒゲも剃っちゃうよ
えー、床屋というのはですね、髪を切るだけじゃございません。
ヒゲを剃る。これがまた、理容師の腕の見せどころでしてね。
うちの店では、ヒゲ剃りの前に蒸しタオルを使います。
この蒸しタオルの温度がね、絶妙なんですよ。
熱すぎてもダメ、ぬるすぎてもダメ。
ちょうど「母のぬくもり」くらいが理想なんです。
この前もね、常連のじいちゃんが来まして。
椅子に座るなり「今日はヒゲ剃りだけ頼むよ」と。
で、タオルを乗せた瞬間に、じいちゃんが寝ちゃったんですよ。
もう、スーッと。まるで天に召されたかのように。
でね、剃ってる最中にじいちゃんが急に喋り出すんです。
「わしな、夢の中で若返って、女優さんとデートしとった」って。
しかも「その女優が蒸しタオル持ってきよった」って。
……それ、うちのタオルや!
で、若い兄ちゃんも来るんですよ。
「ヒゲ剃りって痛いんすか?」って聞いてくる。
わたし、言いましたよ。
「痛いのは、剃り残しの人生だ」って。
ヒゲ剃りってのはね、男の通過儀礼なんです。
初めてヒゲを剃った日、覚えてますか?
鏡の前で震えながら、カミソリを持って……
剃った瞬間に「大人になった気がする」って思うんですよ。
でもね、うちで剃ると、もっと大人になります。
なにせ、剃ってる間に人生相談が始まるんですから。
「転職すべきか」「告白すべきか」「親父を超えられるか」
全部、ヒゲ剃り中に語られるんです。
で、最後に鏡を見て「よし、行ってくる!」って出ていく。
ヒゲ剃りってのはね、人生のスタートボタンなんです。




