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Rd.8 赤旗の余韻


サーキットホテル。

窓の外には、昨日のレース会場の歓声やアナウンスが

まだ遠く残響のように漂っていた。

しかし室内は、温かい光に満たされているのに、

空気は妙に重く、息苦しかった。


「今回のレース、クラッシュが大きくて――“レースに魔物襲来”だってさ」


新聞を片手に、頬を腕に預けたチハヤは柔らかく微笑む。

「……ねぇ、先輩。こういう記事、読んでるとワクワクしません?」

チハヤは楽しそうに問いかけたが、ハイドウは苛立ちを隠せない。

「……どうして!マキタさんのマシンに細工したんだ! 記憶は消したはずだろ!」

ハイドウの怒声に、まるで子供が遊びを邪魔された時のように

チハヤは口を尖らせ机に新聞を置いた。

「散々、テラダさんの情報を探してたじゃないですか。だから……ちょっと、イタズラしただけですよ」

「それが“ちょっと”か!? ブレーキシャフトを破損させておいて――!」


机を叩く音が響き、カップが揺れる。

しかしチハヤは、その怒りさえも楽しむように見つめていた。

「大丈夫だと思ったんです。マキタさんなら止まれるって。だって、僕、あの人の腕を信じてますから」

その声色は優しい。だが言っている内容はあまりにも残酷だった。

「あの大きなクラッシュしてもマシンの外殻モノコックで守られて無事だったんですから良かったじゃないですか?」

「だからって――!」

ハイドウがさらに声を荒げようとした瞬間――

パチン、とチハヤの指が鳴り、

ステラコアから奔った冷たい電流がハイドウの身体を貫く。

「ッ……ぐ、あ……!」

膝が砕けるように崩れ落ち、呼吸が乱れる。

視界が霞む中、チハヤの笑顔だけが鮮明に残った。

しゃがみ込み、至近距離で覗き込む。

「先輩、顔が怖いですよ」

笑顔――けれどその瞳は、だが、ガラス細工のように硬質で

瞳だけが虚ろに濁っている。


「ねえ、先輩。吠えちゃダメですよ? ここはサーキットホテル。外にはチーム関係者がいっぱい……もし聞かれたら、どう取り繕えばいいんでしょうね」

耳元で囁く声は甘いのに、内容は刃物のように冷酷だ。

ハイドウの奥歯が軋む。

心底からの優しさではなく愛玩動物を撫でるような歪んだ愛情を宿していた。

「ねぇ、ハイドウさん。僕、あなたが苦しんでる顔……嫌いじゃないんですよ」

吐息が頬をかすめる。ぞっとするほど甘やかな声音。

「でも安心してください。殺す気はないですから。だって……先輩は僕のお気に入りなんです。壊したくないんです」

「……お前……何したんだ?」

「カケルさんだって、テラダさんに深入りしないほうがいい。僕……大切なものを奪われるのが、何より嫌いなんです」

歯を食いしばるハイドウに、チハヤは唇を歪め、囁きを落とした。

「命、惜しいでしょう?」

その一言は、脅しではなく――嫉妬心の吐露に近かった。

「―――っ!」

ハイドウは息を呑み、奥歯を噛みしめる。

爪先でカップをカチカチと弾き、その音に合わせて口元を歪めた。

「コンティナー……姫の聖痕を宿し、姫と繋がる唯一の騎士。たしかに脅威だ」

ハイドウが苦悶の中で拳を握ると、チハヤはさらに顔を近づけ、囁くように。

「だから、せめて対抗出来るようにって貴方の力は僕たちが“改造”した。強化コアに僕らが介入すれば――レース中にクラッシュどころか、もっと……悲鳴が響く光景を作れる。貴方の意志なんて、何の意味もない」

秒針の音が乾いて響く。

ハイドウの胸に指先を押し当てるチハヤの笑みは、甘くも残酷で

視界の端にわずかな鉄錆の匂いを残した。

「ねぇ先輩。僕にとって貴方は……大事なんですよ。だから、もっともっと“壊れずに苦しんで”くださいね」

やがてチハヤは立ち上がり、笑顔の仮面を貼り直すように口角を引き上げた。

やがてチハヤは立ち上がり、仮面のような笑顔を貼り直す。

「じゃあ頑張って情報集めてくださいね。それじゃあ、またレースで――ハイドウ先輩♡」



***********



扉が閉じ、黒いコートの影がチハヤを迎える。

わずかな革靴の音とともに、鉄錆のような匂いが廊下に漂った。

「確認は済みました。強化ステラコアは安定稼働中。ただ、ハイドウはまだ抑制を……」

「ふふ……いいんです。焦らなくて。彼は僕のおもちゃだから。必ず最後には――」

声は闇に溶け、足音も消えていった。

残されたハイドウは、机に拳を押し付ける。

(……俺はただの実験体……組織が強化したステラコアの人柱に過ぎない)

窓の外、曇天のサーキットに次の戦いの気配が漂っていた。

(それでも――テラダさんを守るためなら、この偽りの力でも使ってみせる。俺が代償になろうとも)


掌の奥で脈打つステラコアは、まるでチハヤの声に応えるように熱を帯びていた。



**************


扉の向こうでは、まるで別世界のように穏やかな声が聞こえ始める。

――サーキットホテルの廊下を隔てた部屋。

廊下の向こうで起きた凍りつくような緊張と

ここで交わされる柔らかい笑い声――

同じ建物の中にありながら、世界はまるで二つに分かれていた。


「表彰台まであとちょっとだったねー」

ルシアが呑気にオレンジジュースを口に運ぶ。

「大きなクラッシュがあったけど、まずまずの成績だったから…」

ミナモは肩の力を抜き、安堵の息をつく。

今回はしょうがないよ。とミナモが答えた。

「まぁな。あんな酷いクラッシュもあったけど…」

みんな無事でよかったよな。と、キョウスケも続けて呟く。

多重クラッシュがあり、コース内のガードレールが破損した事もあって

続行不可能になった今回のレースはクラッシュ前の周回時点の順位で

終える事になった。

ミナモとキョウスケのコンビチームは表彰台には届かなかったものの

5位となりレースポイントは獲得した。

出だしは何とかポイントを獲得してチームとしてはまずまずな結果になった。

このまま最終戦までポイントを多く獲得したチームが優勝だ。

とりあえずそこを目指す事にする。

「うん…でもマキタさんが無事で本当に良かった…」

今回の赤旗の引き金になった大きなクラッシュを起こしたマキタも

マシンは大破したものの、無事でマシンをその場から降りた姿に

観客席から安堵の歓声が起こった。

「チームからレースレポートが出ているんだけど、マシンのブレーキシャフトが破損って…」

「マキタさんも本当ツイてないよね…その周回2位で表彰台圏内だったし」

SNSで更新されていたチームアカウントのレースレポートを見ながらキョウスケは残念そうに答えた。

「まぁ次戦までまだあるし、マシンが復活出来たら良いよな〜」

マシンが何かしらレース中にトラブルがあり

走行に支障が出たのがタイミングが悪ければしょうがない。

今回はブレーキ部分だ。本来速度を落とす所で壊れれてしまえば

クラッシュの確率は高くなる…

しかし大きなクラッシュが出てしまったが、幸いドライバーが無事で何よりだった。

「…って、ルシアがアンバサダー服で出て来るなんて思わなかったし」

「だって服可愛いな〜って言ったら監督さんが“じゃあ着てみる?”って言い出して……」

ルシアは頬を掻きながら苦笑いする。

「気がついたら、そのままミナモ達のところに来ちゃってたんだ」

「ワシトミさん、そういうハプニング作るの上手いよなー」

キョウスケが肩をすくめる。

「でもレースってどんなものか知らなかったけど、今回はすごく楽しかった! 」

アンバサダーのお姉さん達も優しかったし!と、ルシアは楽しそうに話す。

「ミナモもキョウスケもカッコよかった! なんか宇宙で戦ってるのと似ていたし……」

無邪気に笑うルシアに、ミナモも思わず頬を緩める。

「ルシア、君は狙われたりしてるのに……俺たちから離れて…怖くないの?」

不意に真顔で問いかけるキョウスケ。

ルシアはグラスを机に置き、少しだけ視線を落とした。

「……正直、怖いよ? でも……ミナモとキョウスケが守ってくれるでしょ?」

ルシアが小さな声でそう漏らした瞬間、ミナモはそっと彼女の手を握った。

「もちろん。俺達がいるから、大丈夫だよ」

真っ直ぐな瞳に見つめられ、ルシアは一瞬きょとんとしたあと、ふっと安心したように笑みを浮かべた。


「……うん。ありがとう、ミナモ」

そして照れ隠しのように、わざと明るく肩をすくめる。

「だから大丈夫! 私は心配してないから」

その仕草にキョウスケが口を挟む。

「おいおい、守るのはミナモだけじゃなくて俺もいるんだからな」

ぶっきらぼうな調子だったが、耳まで赤くなっているのが隠せない。

するとルシアはクスクス笑って、わざとらしくキョウスケに向き直った。

「うんうん、キョウスケもすっごくカッコよかったよ!」

「なっ……!?」

不意打ちの一言に、キョウスケは言葉を詰まらせて視線を逸らす。

その反応がおかしくて、ルシアとミナモは思わず笑い合った。

和やかな空気が戻ったところで、ミナモが伸びをしながら立ち上がる。

「――さて、そろそろチェックインだから帰るかー」

帰宅の途につこうとドアを締めた時、ミナモが向こうから来る誰かに気づく。


「チハヤくんだ!」

「あれ?ミナモさんとキョウスケさんだ!今帰りですか?」

「うん。もうレースの正式確定出た事だし帰ろっかなって」

「そうなんですか。お疲れ様です!」

チハヤは人懐っこい笑みを浮かべた。まるで子犬みたいだな…ミナモは思う。

「そういえばハイドウさん、あれから大丈夫だった?なんだか落ち込んでた気がしたから…」

「なんかちょっと無茶したみたいで順位落としたのが悔しかったみたいだよー」

チームメイトのハイドウは気持ちが顔に出るタイプだから

今回はよほど応えたのだろう。と、ミナモは思った。

「それじゃ。次のレースでね、ハイドウさんにもヨロシク!」

「その前に依頼出ないと良いんですけどね〜」

「ほんとにね〜」

あいさつもそこそこに別れたミナモたちとチハヤ。

しかし数歩歩いた後、ふと足を止めて振り返る。

ルシアはまだ、ミナモ達と他愛もない会話を楽しんでいた。

笑い声、仕草、佇まい――どこを見ても普通の少女にしか見えない。


確か…ミナモさんの従姉妹だったっけ。あの子。

……だが、不思議だ。普通の少女に見えるのに、

視線の奥に“何か”が引っかかる。


……それでも。


チハヤの目には、一瞬だけその“普通”が剥がれ落ちる。

呼吸の間合いがずれたような、影が人よりも深く揺らいだような――

ほんの刹那の違和感が、確かに視界に刻まれた。


……ただの従兄弟じゃ、なかったりして…ね?


唇をわずかに歪める。

表情は笑みでも、目の奥は氷のように冷たかった。


(まぁ、いいか。どうせすぐに確かめられる。

 次の出撃までに、強化ステラコアの調整を済ませておかなくちゃ――ね)


そう呟くと、チハヤは踵を返す。

背にまとわりつく気配は、笑い声とは似ても似つかない、鉄錆の匂いだった。


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