Rd.7 フルスロットルの葛藤
スタート進行が始まり、
決勝に向けて各チームのインタビューが会場に響き渡る。
前のチームのインタビューが終わると、次はいよいよミナモ達の番だ。
予選の成績は悪くなかった。だが、緊張が心臓を押し潰すように重くのしかかる。
続けて決勝に向けての意気込みを、言葉にして皆に伝えよう――
ミナモが思考を整理しようとする、その瞬間。
後ろから、一歩ずつ音を立てて現れたのは、あの少女だった。
「……ルシア!?」
キョウスケの声は、思わず裏返る。
彼の視線の先で、ルシアは白とチームカラーを基調にした
ミニワンピースのアドバイザーコスチュームを身にまとい、
普段の無邪気な笑顔とは違う、少し大人びたモデルのような雰囲気を纏っていた。
ミナモは瞬間、目を見開き、息を呑む。
「わ、ワシトミ監督! なんでコイツがここに!?」
その問いに、監督はニヤリと口角を上げ、周囲のざわめきに身を任せた。
「サプライズや。かわいいアドバイザーがおった方が、チームの注目度も上がるやろ!」
「はぁ!?」
ミナモとキョウスケは声を揃えてツッコむ。
ルシアは視線を泳がせ、手元のマイクにぎこちなく手を添える。
心臓が耳まで届きそうなほど早鐘を打っていた。
ルシアは緊張した面持ちでマイクを向けられ、司会者に名前を尋ねられた。
「え、あ、あの……わ、わたしは――」
言葉に詰まり、視線が泳ぐ。
観客のざわめきが広がる一瞬。
ミナモは反射的に口を開いた。
「ナンジョウ……ヒカリ。俺の従姉妹です!」
「俺も幼馴染で…びっくりさせんなって」
「へっ!?」とルシアが二人に振り向くが、もう遅い。
司会者は笑顔でマイクを受け取り、
「なるほど! ナンジョウ選手の従姉妹さんなんですね!」
観客席からも拍手と歓声が沸いた。
キョウスケが横で苦笑しながら小声で呟く。
「お前……ようそんな嘘を即興で出せるな」
「お前こそ…仕方ないだろ! 放送中だぞ!」
必死に取り繕うミナモ達を見て、ルシアは少し頬を膨らませつつも、
ぎこちなく笑顔を作った。
「は、はいっ。ナンジョウ・ヒカリです! ミナモ……お兄ちゃんを、応援してます!」
その一言で会場の空気は一気に和み、再び拍手と歓声が巻き起こる。
(……頼むから、これ以上ハラハラさせないでくれよ、ルシア……!)
マイクを返されたミナモは、汗をぬぐいながら深く息を吐いた。
なんだか1レース分の疲れが、胸の奥から押し寄せてくるようだった。
周囲ではカメラマンがシャッターを切り、
観客席からはまだ小さな歓声とざわめきが残っている。
だが、時間は待ってくれない。決勝は、もう始まろうとしていた。
ミナモはヘルメットを軽く握り、視界に映る自分のマシンを確かめる。
光沢のあるボディが照明を反射し、鋭く輝いている。
タイヤの溝、ブレーキの熱、ステアリングの感触――
戦場で培った感覚が、自然と指先に呼び覚まされる。
「……いよいよか」
小さく呟き、肩の力を抜く。
胸の鼓動はまだ早いが、今度は興奮と集中に変わっていくのを感じた。
ピットの無線からは、チームメイトやメカニックたちの準備状況が次々に届く。
その声に、ミナモは背筋を伸ばし、目を細めて前方のコースを見据えた。
観客席の歓声が一瞬の沈黙を迎える。
カメラのフラッシュ、スタンドの旗、ピットから放たれる機材の音――
あらゆる刺激が集中力を研ぎ澄ませ、時間の感覚が少しだけ遅くなる。
ルシアの笑顔を思い出すが、今は甘い余韻に浸っている暇はない。
――全神経を、この1秒1秒に集中させろ。
深く息を吸い込み、アクセルの位置を確かめる。
鼓動が耳に響き、手のひらに微かに震えを感じる。
そして、スタートライン前のわずかな間に全ての感覚を研ぎ澄ませた瞬間――
スタートシグナルが灯り、観客の喧騒が一瞬だけ凍りつく。
――碧。
その瞬間、数十台のエンジンが一斉に咆哮し、轟音と振動が大地を揺らす。
一斉にマシンが弾ける。轟音と共に前へ飛び出した群れは、敵機の編隊そのものに見える。
アクセルを踏み込みながら、ミナモは思わず奥歯を噛みしめた。
(乱戦……! まるで開戦直後だ……!)
「……っ!」
第1コーナー。隣のマシンがラインを塞ぐように迫る。
サイドポッド同士が触れ合うかという距離――
その圧迫感は、あの日の敵機の機銃掃射と変わらなかった。
「来るなッ……!」
反射的にハンドルを切る。タイヤが悲鳴を上げ、わずかな隙間に滑り込む。
衝突を免れた瞬間、観客の大歓声が爆炎のように押し寄せてきた。
ミナモのマシンはわずかに出遅れ、隣の列から2台が前へ飛び出す。
加速で押し返そうとするが、1コーナーの進入では無理に突っ込めず
3つ順位を落としてしまった。
舌打ちしそうな気持ちを飲み込み、ステアリングを握り直す。
(焦るな……戦場だって最初の一撃で決まるわけじゃない)
呼吸を整え、ブレーキングポイントを一瞬だけ遅らせる。
前のマシンの背後に食らいつきアウト側からラインを取ると
観客席からどよめきが起きた。
機体を翻すように鋭く切り込み、1周目の終わりで順位を取り戻す。
周回を重ねるごとにタイヤの摩耗が手に伝わる。
それでも、あの戦場で生き残った集中力は簡単に途切れない。
ライバルが焦って仕掛けてきてもミナモは冷静に見切り
逆にコーナー出口で差を広げた。
「ピット、次の周回で入れ!」
無線からワシトミ監督の声が飛ぶ。
燃料計の針はもう限界を示していた。
同時刻。
別のコーナー付近では観客席が大歓声に包まれた。
アカリがインを差してテラダのマシンの前に出たのだ。
「……まだまだ若いな。勢いだけじゃ勝てないぞ!」
「次の立ち上がりで一気に抜き返しましょう!」
テラダの呟きにピットに居るイナガキが答える。
テラダがコーナー出口で加速し、アカリのスリップに潜り込む。
再びサイド・バイ・サイドの攻防に実況がその様子を叫んだ!
「おっとー! テラダとキタガワ、まるで意地の張り合い!どちらも譲らない!」
ミナモが駆けたマシンはピットロードへ滑り込み、
マシンがジャッキで持ち上げられた。
タイヤが外され、燃料ホースが突き刺さる。
メカニックたちの動きは嵐のように速く、正確だった。
ヘルメットを外す間際、ミナモは隣に立つキョウスケに声をかける。
「……頼む!」
「おう、しっかり休んどけ!」
手短に交わされた言葉。それだけで十分だった。
再び走り出したマシンは、キョウスケの手で獣のように吠えた。
彼の走りはミナモと違って大胆で、ラインを強引に抑え相手のブレーキを誘い出す。
ストレートではスリップを使って一気に抜き去り観客席を沸かせる。
だが、後半に入るとタイヤが悲鳴を上げ始め、スライドが増えてきた。
「ピットイン、交代だ!」
監督の無線の指示とともに、キョウスケは再びピットへ滑り込む。
マシンのドアが開き、ミナモが飛び込む。
シートベルトを締め、ステアリングを握り――息を吸い込む。
(ここからは俺の戦いだ)
《次の周でピットに入るか?》
「……いや、前に出る!」
中盤、ピットへ入るタイミングをめぐる駆け引き。
無線から響く声は、ブリーフィングの指令と重なる。
あの時は命令に従うだけだった。だが今は違う。
戦術を選ぶのは自分自身。
ミナモはアクセルを強く踏み込み、ピットに向かうライバルを置き去りにした。
残り20周。順位は表彰台圏内、だがトップまではまだ差がある。
視界の先、銀色のマシンが立ちはだかる。ライバルチームのエース。
残り数周。前方にライバルの背中がある。
直線で迫り、最終コーナーの進入で勝負を仕掛ける。
視界いっぱいに広がるマシンの影――
それは、戦場で睨み合った巨影と重なった。
(負けない……もう逃げない!)
観客の歓声が、砲声にも似た轟きへと変わる。
ステアリングを切り込み、ミナモがアウトから躍りかかる。
その時。
轟音と火花が視界を覆い、前方でマキタのマシンが壁へ叩きつけられた。
サーキット全体が混乱に飲まれ、次々と迫る機体が避け場を探して蛇行する。
ミナモはデブリを踏んでしまったが、
なんとか掻い潜ってマシンはクラッシュを回避出来た。
(マキタさん!?)
最終コーナーに向かっていたハイドウは
銀色のカラーリングがクラッシュしているのを見た。
順番からしてマキタが乗っている事に気づく。
(マズい、このままじゃ俺もクラッシュに――!)
マキタの安否も不安のまま、巻き込まれるマシン達を目の前に
ハイドウの手が無意識にハンドルを握りしめる。
胸の奥で、あの“力”がざわめいた。胸の奥で“力”が脈打つ。
握るハンドルが震え、瞳の奥に赤い閃光が宿りかける
一度解放すれば、敵の幹部でさえ凌げるほどの力――。
今ここで使えば、この惨状を止められる。誰も傷つかずに済む。
だが同時に、冷たい思考が頭をよぎった。
(……ここで使えば、奴らに気づかれる……。
俺が“何”なのか、悟られる……!)
視界の端を、スピンしたアカリのマシンがかすめていく。
彼女を救うべきか――それとも隠し通すべきか。
心臓が破裂しそうなほどの緊張が、ヘルメットの内側を叩きつける。
彼の機体が一瞬、不自然なほど鋭く切り込もうとする――が、
直前で咄嗟に彼はアクセルを抜きブレーキを強く踏み込んだ。
(……ダメだ……まだ守らなきゃ……テラダさんの為に……!)
「……クソッ……!」
力を封じたまま自らブレーキを踏み込み、マシンを無理やり制御する。
踏み込む足裏から焼け付く様な痛みが走った。
衝撃に歯を食いしばりながら彼はただ耐え、火花の雨の中でハイドウは小さく呻く。
観客から見れば、“無茶を避け冷静にブレーキングした”ようにしか映らなかった。
「……俺は……まだ使えない……」
混乱の末、レースは赤旗で終了した。
パドックに戻ると、チーム関係者や観客はマキタのクラッシュの話題でもちきりだった。
その騒ぎの中、ハイドウは無言でヘルメットを外し、静かに深呼吸する。
(……結局、使わなかった。
いや……使えなかった、か。
俺がここで力を見せたら、すべてが終わる。
テラダを守るためには……まだ隠し通さなきゃならない)
彼の胸中に、重い葛藤が渦巻く。
マキタのクラッシュ、アカリのスピン。守りたかったものを守れなかった悔しさが喉を焼く。
だが、その一方で――。
暗い部屋。モニターの光だけが治安部隊たちの顔を冷たく照らしている。
「……やはり使わなかったか。あの男、よく堪えたものだ」
「愚かに見えて案外と賢いな。あそこで能力を晒していれば、我々にとって厄介な存在になっていた」
「隠し通すとは……使いようによっては都合がいい。今のところは、な」
片方が画面を指で押しやるようにしながら、別の案件へと話題を切り替える。
「ところで、お前の方の“手回し”は効果が出たか?」
「はい。マキタ選手の件です?」
「そうだ。あの薬はお前の差し金だったな?」
「ええ。マキタならハイドウに油断すると思いましたので」
「それとマシンの細工もあったと聞く。あれで狙い通りか?」
「引退レベルに追い込むほどではありませんでしたが、十分に見せしめにはなったかと」
その答えに低く笑う声が部屋に響く。
「良い。連中に震え上がらせることができれば、こちらの目的にも都合がいい…ハイドウのことはどうする?」
「引き続き監視を続けます。変化があれば即報告いたします」
「頼む。奴は厄介だが――使える駒でもある。あくまで、使いこなせるかどうかだ」
「……かしこまりました」
そう…ハイドウのチームメイト、チハラ・ユウマは邪な目線で笑った。




