Rd.6 スタートの鼓動
一人のパイロット=マキタ・ショウは先程まで眠り込んでいた身体を起こしては
眉間を指で押さえ…残った眠気を取り払うと
先に視界に映ったのは多くの操縦計器が並ぶ空間――
コックピットに囲まれた身体はまだ自分が地球ではなく、
上空の艦隊に居る事に気づかされる。
(もうこんな時間か…)
現在の時刻…地上の時間帯に合わせていた時計は夕方を指していた。
少し休憩をと思っていたが…予定より眠ってしまったらしく
この間の戦闘でエラーが出ていた箇所の確認が多く
思っていた以上に疲れていたらしい。
(起動反応値、熱量指数も共に特に問題ない…と)
眠っていた間に既に自動計測が完了していた数値を見た
マキタは最後の点検個所に視線を落とす。
あと少しで自分が確認する所は終わり
念入りに確認したおかげもあって点検した個所には
もう異常はみられないだろう。
自分が居る艦隊の中で唯一、一番大きな戦闘機体を扱っているのは
承知してるものの…如何せん何より点検に一番時間が掛かる。
しかし、一緒に艦隊に来ている自分のチームのクルー達も
取り掛かってるものの、自分が搭乗してる銀色の愛機は
クルー達に最終確認を頼んである。
機体コックピットの点検はいつも戦闘で触れている分、
自分で点検した方が何かと効率が良いと思っていた。
「マキタさん――もうそろそろ点検終われそうです?」
地上に帰る前に一旦ミーティングしたいんだけど…と、
チームクルーはマキタに問いかける。
「ああ。あと少しで向かうから皆で先に進めてて」
「わかった。じゃあ先行きますね」
マキタの言葉に了承したクルーを見送り、
マキタは視線を残りの点検箇所に落としていた。
その時、コツコツと靴音がコックピットに響いた。
無意識に音の方向へ視線を向ける。
「…お前か。テラダの情報は掴めたのか?」
「ええ。今回は大きな進展がありましたよ……大きな、です」
逆光で男の顔は見えない。
それでも、声だけで、誰かはわかった。――長年の勘が告げる、あの男だ。
「お前がもったいぶる時は、必ず何か企んでる。いったい何を考えてる?」
「……治安部隊に加入しました。テラダさんのために」
その言葉に、マキタの表情は一気に曇った。心臓が跳ね、思考がざわつく。
「……どうして! あいつらにテラダの情報を渡すつもりか?」
「そう言ったら、快く承諾してくれました。マキタさんのおかげです」
困惑した表情のマキタに男は答える。
「このまま動けば、貴方も治安部隊に消されます! 地上のレースで何をされるか……」
「俺はいい。もう長年走ってきたからな。ワシトミも、テラダも、一緒に走ってきたんだ」
マキタが「……だから」と言いかけた瞬間、首に鋭い痛みが走った。言葉が喉に詰まる。視線の先には、注射器を手にした男の姿があった。
「お前……俺に何をしたんだ?」
「治安部隊に入るついでに、良いものを手に入れたんです。マキタさんへのお土産にね」
背筋がぞくりと震える。
胸の奥が締めつけられるように重く、視界が微かに揺れた。
「大丈夫です。死にはしません。でも……今の薬は凄いですね……記憶を一部消してしまうこともできるなんて」
「お前……もしかして」
「これからは、俺がマキタさんの分まで引き受けます。貴方まで消える必要はありません。テラダさんも悲しむでしょう」
胸の奥の思考がざわつき、言葉が頭の中でバラバラに崩れていく。
手足が鉛のように重くなり、視界の端がぼやける。
あれほど鮮明だった計器の光や音が、遠く、夢の中の光景のように変わっていった。
思い出すべき過去――テラダと走った日々、
ワシトミと交わした約束――それらが手の届かない霧の中へ吸い込まれていく。
「マキタさん、今までありがとうございました……これは俺が最後までやりますから」
その声を、マキタは遠くで聞いた気がした。
意識が遠のき、頭の奥で世界がゆっくりと溶けていく。
視界は闇に覆われ、彼の胸に残ったのは、ただ、淡い温もりと消えそうな記憶だけだった。
視界が闇に沈む――
しかし、完全な闇ではなかった。ぼんやりとした光の残滓が、意識の端に滲む。
(…ここは…?)
身体の感覚が鈍く、呼吸もままならない。だが、耳には艦内の機械音や遠くで動く足音が届く。
点検を終えたはずの愛機のコックピット。異常のない計器。いつもの艦隊の空間。
それでも、自分の意識だけがうまくこの状況に追いつけない。
「マキタさん、応答してください!」
声――チームの誰かが呼んでいる。だが、距離が遠く、声は反響するだけで届かない。
パネルのランプが赤く点滅し、警報音が低く鳴る。自動修復が作動しているらしい。
(…俺は…寝てるんじゃない…)
思考の隅で、あの男の注射器で刺された存在が疼く。
薬の影響か、記憶の一部がぼやけ、過去と現在が混ざる。
「…やられた…」
闇の中、意識の隙間に鮮明な決意が浮かぶ――
テラダも、ワシトミも、そしてクルー達も。
そして、次の瞬間、意識はゆっくりと闇の中で揺らぎながら、
戦いの現実へと引き戻される――
(レースでは、容赦はしない…)
マキタは消されそうだった戦いの炎を再び灯し始めた。
*********
カーテン越しから差し込む柔らかな光と、窓の外でさえずる小鳥の声が、
ミナモの頬をそっとくすぐった。
(……朝?)
まだ半分眠っている頭が、もやの中でぼんやりと問いかける。
次の瞬間、ふと心臓が跳ねた。出撃――その単語が脳裏をよぎる。
(出撃の時間って何時だっけ?)
反射的に脳内でスケジュールを探そうとする。けれど、
記憶の奥から返ってくるのは重苦しいブリーフィングルームの空気でも、
艦内時計のアナウンスでもなかった。
代わりに思い出したのは、自分がもう戦場から戻ってきているという事実だった。
(そうか……帰ってきたんだっけ……地球に)
見慣れた部屋。白い壁紙。窓から入る光は、数日前までの艦内よりずっと温かい。
重力に引かれる毛布の重みすら懐かしく感じられる。
地球に帰還して、今日で三日目。
あの張り詰めた戦場の時間と、今の静けさとの落差に身体も心もまだ慣れない。
(あと一時間は……寝てたいな……)
くるりと寝返りをうつ。柔らかい枕に頬を埋め、目を閉じかけたその時――。
――妙に心地よい温もりが隣にあることに気付いた。
(ん……?)
ゆっくりと目線を向けると、
すぐそばで小さな寝息を立てている少女の姿があった。
長い睫毛が震え、唇から静かな吐息がこぼれる。
肩までかかる髪が枕に広がり、朝の光に透けている。
(う、うそ……? なんで……?)
現実感が追いつかず、思考が空回りする。
自分のベッドのはずなのに、どうして少女が……。
頭の中に警報が鳴り響くよりも早く、口から言葉が飛び出した。
「……うわぁ!」
「『…うわぁ!』じゃないよ?何ぼーっとしてるんだよ」
「へ?」
キョウスケのツッコミにキョトンとしたミナモ。
その様子に会場が笑いに包まれる。
「はい、ナンジョウ選手はレース中にですね、エンジンストールしてマシン止めちゃってチームに怒られるようでーす」
側でワシトミ監督が冗談交じりで答え、会場に再び笑いが起きた。
ドライバートークショー。
決勝レース前に複数のチームで観客に意気込みだったり豊富だったり話をする
人気のイベントだ。
ミナモが移籍して初めてのチームでのイベント参加。
集中力が途切れたミナモに、他のトーク仲間のドライバーから
ツッコミの集中攻撃を受けるしかなかった。
地球帰還から数日。
艦隊の仲間たちは各々休息を取りつつ、
表向きの任務として「レース活動」を再開していた。
あれからルシアは無事、ミナモと一緒(中に入ったままの状態だったが)に
地球に帰還し、それからはミナモの家で暮らす事になったのだ。
ルシアと打ち解けてからというものの、
いきなり妹が出来たような気がしてミナモの家は少しばかり賑やかになったのだが。
「ルシア!だから言ってるだろ、ベッドはそっちだって!」
毛布を引っ張りながらミナモが叫ぶ。
ルシアは布団の中でゴロゴロ転がりながら、眠たそうに首を振った。
「えー……でもこっちのほうがフカフカしてるし、あったかいし……」
「それ俺の布団だから!」
「じゃあミナモがそっち行けばいいんだよ」
平然と指さすルシア。
「何で俺が追い出されるんだよ!? ここ俺の部屋だぞ!」
「でも、私がここにいると落ち着くんだもん」
にっこり笑って抱き枕みたいにミナモの腕にしがみつく。
「わ、離れろ!重い!っていうか近っ!」
「“お兄ちゃん”ってこういうの慣れてるんじゃないの?」
「いや俺、一人っ子だし!」
ミナモは頭を抱えながらベッドから飛び起きた。
時計をちらりと見て――固まる。
「って、やばっ! 朝食食べる時間もう無いじゃん!」
ルシアはのんきに欠伸をしている。
「えー、ごはん抜き? 私、おなかすいて走れない……」
「走るのは俺だし!ルシアは観客席でパンでも食べてて!」
ドタバタと身支度を整えるミナモの背後で、ルシアはトースターをカチッと押した。
「じゃあパン焼いといたから。ほら、走りながら食べなよ」
「そんなマンガみたいなことするかぁ!」
…そんな前日のやり取り話を聞かされていたキョウスケの最初の感想は、
ルシアはミナモの妹みたいだ。と頭の何処かでツッコミをしていた。
同時に格納庫で倒れて気を失って居た彼女が
こうして過ごせる様になったので内心ホッとしていたのだった。
今日は開幕戦――それは世界中の視線が注がれる大舞台だ。
レース会場は都市郊外に広がる巨大サーキット。
ピット=設備室に運び込まれた競技車両…
マシンの間を、整備する各チームのピットクルーが慌ただしく動く。
オイルの匂い、工具の金属音、モニターに映るタイム表。
「うわぁ……やっぱりすごい人だかり……」
ミナモは観客席を見上げ、思わず声を漏らす。
スタンドは既に熱狂的な観客で埋まり、
それぞれのメーカー旗や応援幕が揺れていた。
戦場とは違うが、どこか似た緊張感が漂っていた。
観客の歓声は爆発の轟きのように押し寄せ、
ピットで響く工具の金属音は艦の格納庫を思わせた。
――決勝前のトークイベント。
他のドライバーたちのツッコミで笑いが広がり、
観客席は和やかな空気に包まれた。
だが、笑い声が遠く感じるのは自分だけだった。
(……ここは戦場じゃない。けど、胸の奥のざわつきは変わらない)
夜明けのベッドでの小競り合いも思い出す。
「だから言ってるだろ、ベッドはそっち!」
「でもこっちのほうがあったかいんだもん」
じゃれつくルシアの天真爛漫さは、まるで妹のように日常へ馴染んでいた。
対して、自分だけが取り残されているような気がする。
汗に滲むグローブを握りしめながら、ミナモは奥歯を噛む。
(戦場を生き残った。だから――レースでも負けられない)
整備エリアでは、ワシトミ監督がモニターを覗き込みながら焦りを隠さず叫んだ。
「おいミナモ!決勝まであと40分やぞ、集中しろよ!」
その瞬間、鼓動が高鳴った。
戦場でも、ここでも。
結局、自分は常に“スタートの瞬間”に立たされ続けているのだ。
「わ、分かってますって!」
ミナモは急いで走行の準備を始めた。




