Rd.26 ウィン・キー・リスタート
その頃、ハイドウは格納庫奥で、
テラダとイナガキの機体コクピット前に佇んでいた。
焼け焦げた外装の匂い。
金属がひしゃげた独特の埃っぽさ。
整備員たちが遠巻きに様子を見守りつつも、誰も近づこうとはしなかった。
「ハイドウさん、そこは……危険です。今はまだ解析が──」
メカニックが止めるように手を伸ばす。
だが、ハイドウは黙ってポケットから“それ”を取り出した。
ウィン・キー。
整備員は息を呑んだ。
ほんの数秒で表情が変わり、声の質が落ちる。
「……なら、行ってくれ。中に」
ハイドウは静かに頷き、ゆっくりとコクピットへ向かう。
その手の中で転がるキーを見つめながら、心の奥に痛みが走った。
(あの時と……同じ重さだ)
ただの金属片に過ぎない形をしているのに、
手に乗せると、どうしようもない“責任”だけがずしりとのしかかる。
指先でそっとなぞる。
……トクン。
金属のくせに、わずかに脈打つような光。
まるで記憶や意思が残っているかのように。
ハイドウはその反応に一瞬だけ目を見開いた。
(まだ……生きてるみたいじゃないか)
ずっと胸の奥で無視しようとしていた感情が揺らぐ。
後悔。
喪失。
自分だけが取り残されたような、あの日の痛み。
ウィン・キーを握りしめるたび、思い出す光景があった。
**************
まだハイドウが駆け出しだった頃。昨年のレースシーズンが終わって
来シーズンの公式テストの日だった。
「ほら、お前の名前入りだぞ」
テラダがにやつきながら投げてよこした小さな金属片。
ハイドウは受け取っても使い道も分からず、困惑していた。
「これ……何ですか?」
テラダが笑った。
「ウィン・キー。
ルートの勝利に関わったメンバーだけが持つ鍵。
俺らのチームの……まあ、証ってヤツだ」
その日、ハイドウはテラダに背中を押されるように練習へ戻っていった。
「守れ。チームも、走りも、お前自身も」
そんな重い言葉がそのまま金属に刻まれている気がして、
ハイドウは軽々しく触れられなくなった。
だからこそ――
(こんな形で使うことになるなんて、思ってなかった)
やや焦げた残骸の奥に残っていたコアユニット。
かつては美しく整備されていた筈の側面には、薄いスリットが走る。
「……ここで使うとはな」
ため息とも、覚悟ともつかない声を漏らしながら、
ハイドウはキーをスリットへ近づける。
その瞬間、ウィン・キーは微かな光を帯びた。
テラダの笑い声。
ルートの指示。
自分の未熟さ。
全部が心の中で音を立てて蘇る。
(……戻りたい訳じゃない。
でも……やっぱり、捨てられなかったんだな)
震える指で、キーを差し込む。
格納庫全体が微震した。
「認証コード確認……登録者:ハイドウ・カケル。
チーム・ルート、歴代チャンピオン認証──代行起動を許可」
――ガコン。
ハイドウはコクピットが開いた瞬間、膝がわずかに震えた。
(怖いのかな……俺)
“この機体に乗れなくなった日”
テラダを助けようとして逆に自分が危険に晒された日。
過去のトラウマが自分の喉を掴む。
だがハイドウはゆっくりとコクピットへ乗り込んだ。
内部は驚くほど静かで、
シートはまるで再会を歓迎するように彼の身体を受け止めた。
操作系が、自動的にハイドウの反応と同期する。
ただの代行起動ではなく、
まるで眠っていた魂が目を覚ますようだった。
(……帰ってきちゃったな)
「ここで会うのも久しぶりね。カケル」
急に光が揺れ、ホログラムのルートが現れた。
だがその輪郭はわずかに歪みノイズが走っていて。
ほんの一瞬、彼女の片目が消えかけるほどにハイドウは胸がざわついた。
(……なんだ?)
だが、心が答えを拒んだ。
過去に向き合いながら走るのは、まだ早すぎた。
「ルート……久しぶりだね」
ハイドウの声もまた、震えていた。
ルートは微笑む。
ハイドウの声は、どこか安心したような響きを帯びていた。
だがルートは、ごく短い間だけ視線を伏せた。
その瞬間、映像ノイズが小さく走る。
ハイドウは気付かない。
「ルート、俺は──」
ルートはハイドウがこの機体に乗れなくなった原因を知っている。
それ以降ルートに直接話すのは今回が初めてだった。
そんな言いかけたハイドウを遮るように、ルートは笑う。
だがその表情の裏に、細かなひび割れのようなノイズが走った。
「言いたいことは山ほどあるけど、今は後回し。
助けたい人は、私もあなたも同じでしょ?
……無事に終わってからでも遅くないわ」
その一言が終わると同時に、ルートの映像がかすかに揺れる。
彼女の声がわずかに震えたのを、ハイドウは「緊張だ」と解釈した。
──本当は違う。
ルートは敵の奇襲を受けた際、コアAI領域に深刻な損傷を負っていた。
稼働時間にも限界が迫っている。
だがその事実を、ハイドウに伝えはしなかった。
伝えれば迷いが生まれる。
迷いは速度を奪う。
それが、ルートが最も嫌う“走りの妨げ”だった。
映像の綻びが広がる前に、ルートは柔らかく目を細めた。
「カケル……あなたの走りを、もう一度見せて」
「……任せろ。絶対に、全員連れ戻す」
ハイドウの決意がコクピットに響く。
同時に機体全体の通信がハイドウの機体にも届いた。
これから再度、緊急出撃準備に入る確認と全体作戦の知らせだ。
ルートはその作戦を聞いているハイドウの横で
ほっと息をついたように見えた。
そして今のうちに彼に気づかれないよう、
静かに自身のシステムの欠損領域を隠す。
──この走行が終わるまで、持ちこたえて。
彼女はそう心の中で呟き、再び穏やかな笑みを作ってみせた




