Rd.15 ラピッドゲート
――静寂が訪れた。
戦場を包んでいた粒子の嵐は次第に収まり、
白い残光がゆっくりと消えていく。
その中で、ミナモは操縦席にもたれながら、息を整えた。
耳の奥で鳴っていた警告音が途切れ、代わりに心臓の鼓動だけが響く。
「……終わったの、かな……」
ルゥの声が震えていた。
通信のノイズの向こうで、彼女の機体も辛うじて制御を保っている。
外装は半分焼け落ち、推進翼の一部は機能停止。
戦闘というより、生還という言葉が相応しかった。
スクリーンには、カリスの去った後に残された空間の歪みが映し出されている。
まるで“門”のように、黒白の光がゆっくりと渦を巻いていた。
「……あれ、放っておいたら、また開くよね」
「うん。だから今度は、迎え撃つ準備をする」
ミナモの声は震えていなかった。
ただ静かで、冷たく、決意だけが宿っていた。
艦内へ帰還したミナモたちは、補給デッキで迎えを受けた。
整備班が損傷した機体に群がり、焦げた装甲を切断していく。
白い蒸気が漂い、焼けた金属の匂いが鼻を刺した。
「ミナモ…時間あるか?」
後ろから来たワシトミが駆け寄る。
そこにはテラダのチームメイト、イナガキも来ていた。
「どうしてイナガキさんも?」
「事情はワシトミさんの部屋で話す。来て欲しい…他の奴らに騒がないよう静かにな」
ワシトミの部屋。
入ると、イナガキが掛けていた眼鏡にはパソコンが繋がれており、
何やら一つの端末になっていたようだ。
眼鏡の奥に光るデータログには、先程の戦闘記録が映っていた。
「異常値の連続……敵の機体は、完全に生体構造で出来てる。あれは装甲じゃない、“細胞”だ」
「……生きてた、ってこと?」
「ああ。機体ごと“存在”している。そして……これはルートからの情報だが…チハヤの中にある波形が、それと同調している」
「チハヤがどうして敵と同調してるんですか?」
キョウスケも意外な人物の名に驚きを隠せないでいた。
沈黙。
ミナモはゆっくりとテーブルの上の端末に目を落とした。
聖痕、敵、チハヤ――全てが一本の線で結ばれていく。でも…
「ワシトミさん、どうして俺たちにこのデータを見せてくれるんですか?」
「……なぁ、ヒカリちゃん。そこに、おるんやろ?」
「――え?」
事情の核心を急に言われ戸惑うミナモにワシトミは続けて答えた。
「大丈夫大丈夫。俺もイナガキもヒカリちゃんの存在は分かってる。聖痕使いの持ち主やろ」
「ワシトミさん、イナガキさん…二人は一体どこまで――」
「…わかりました」
キョウスケが問いかけるより先にルシアの声が聞こえ、
ルシアの手のステラコアから光が溢れ…ヒカリの姿のルシアが現れた。
「この姿で申し訳ありません…本当の姿だと聖痕反応で外部に気づかれる恐れがありますので…」
「大丈夫や。俺たちもヒカリちゃんの姿の方が何かと話しやすいしな」
ワシトミの問いかけにルシアも安堵の笑みを浮かべた。
「俺とワシトミさんはずっと前から聖痕について調べてるんだ。この力と狙っている者たちの存在とか…」
「この戦い、一日でも早く終わらせたくてな。でも調べて行く内に一筋縄では行かないことが次々と出てきたんや」
「そしたら、ミナモの所に聖痕反応が出てたからお前たちのマシンAIにもお願いしてもろて、ステラコア通して解析をしてみたら…アカリちゃんが居たってことや」
「これは俺のマシンAIのルートを通しての情報だから外部に漏れることは無いんだ」
イナガキが訳を説明するとルシアはホッと安堵と頷きをした。
「ミナモ、キョウスケ、ルシア…ごめんね。私、心配だったからルート姉様に協力してもらったの」
おずおずとキョウスケの手のステラコアから申し訳なさそうに現れたルゥが謝罪した。
「前からルート姉様はイナガキとこの事を調べていて、力になってくれると思ってたの…」
「大丈夫よルゥ。この人たちからは安全な波長がある。私を守ってくれるのを感じるわ」
ルシアの言葉にルゥも微笑んだ。
「だったら……もう余計逃げられないね」
「ミナモ……」
「次に来た時は、俺たちが“門”を閉じる」
ミナモは拳を握る。
指先に小さな痛みが走る。だが、その痛みが確かに“生”を感じさせた。
ルシアがそっと隣に立つ。
「……ねぇミナモ。怖いのに、なんでそんな顔できるの?」
「怖いよ。でも、守りたいものの方が多いから」
短い言葉だった。
だが、それだけで十分だった。
誰もがその背中を見つめ、再び立ち上がるための力を得た。
「なら、私が全てお話します……聖痕の全てを」
ルシアは決意した目でそう口を開いた。
――宇宙の夜は、まだ深い。
しかし、その闇の底で、確かに灯がともる。
それが次の戦いの始まりを告げていた。
******************************
フィネス艦内・第七研究区画。
機体の残骸が運び込まれ、無数のケーブルと冷却管が床を這っていた。
重油と血のような匂いが混じるその中で、
治安部隊に連れてこられたハイドウは拘束椅子に座ったまま、
ただ沈黙していた。
「おい……まだ、終わっちゃいねぇんだろ」
声は掠れていた。
正面の隔壁越しには、ガラスカプセルに収められたチハヤが見える。
透過液に沈み、閉じた瞼の奥で微かな光が瞬いていた。
治安部隊の一人の男が端末を操作しながら答える。
「ええ。チハヤの神経パルスが、外部波と同期を始めています。
……まるで“彼女”の残響に反応しているかのように」
「彼女?」
「黒白の海獣――貴方と戦っていたカリスと呼ばれていた者です。
彼女の波動パターンとチハヤの脳波が、完全一致を示しました」
一瞬、静寂が走る。
研究室の照明がわずかに明滅し、
空調の音が遠ざかっていくように感じられた。
ハイドウは立ち上がろうとしたが、手首の拘束がそれを拒む。
「おい……どういうことだよ、それ」
「簡単に言えば、あの海獣と同調する何かが、彼の神経回路に埋め込まれているんです」
男の声は淡々としていたが、その奥に確かな恐れがあった。
チハヤの指が、ゆっくりと動く。
透明な液体が波紋を広げ、カプセル全体が微かに震えた。
彼の唇がかすかに動き、何かを呟く。
――「……みえた」
心拍センサーが跳ね上がる。
同時に、室内の光が白く飽和し、ガラス越しのチハヤの瞳が開かれた。
左右の虹彩が異なる色で光を放つ。片方は紫、もう片方は蒼。
脳波が暴走し、各端末のモニターが一斉に警告を発する。
「反応値、上昇中!チャンネルリンクが開いていく!」
「閉じろ! まだ制御できない!」
だが、男の指がパネルを叩くより早く、
白光が研究区画を満たした。
それは熱ではなく――情報そのものの奔流だった。
光は形を持ち、波紋を描く。
天井の補助モニターに、何者かの影が浮かび上がる。
「……チハヤ?」
ハイドウが呼びかける。
その瞬間、チハヤの声が直接頭の中に響いた。
『……聞こえますか。
この“海”の向こうに、何かがいる。
僕を、観ている……』
ノイズ混じりの通信が室内の機器を通さずに伝わってくる。
その響きはチハヤのものではなく、
どこか別の存在が“彼を媒介に”語っているようだった。
男は額に汗を浮かべながら叫ぶ。
「干渉波、逆流しています! リンク切断を――!」
しかし、制御盤は応答しない。
白光の中心で、チハヤの瞳だけが穏やかに輝いていた。
『――“彼”はまだ、門の外で待っている。
聖痕が全て揃えば、世界は一度“再演”される。』
低く、冷たい声。
それはカリスでもチハヤでもない。
だが確かに、二つの意識の狭間に“誰か”が存在していた。
次の瞬間、光が弾けた。
装置が吹き飛び、研究区画の壁が軋む。
ハイドウは反射的に身を乗り出し、拘束が解かれた足で駆けると
チハヤのカプセルを覆う遮断板に手を伸ばした。
「チハヤッ!!」
爆音のあと、光が止む。
液体が静まり、チハヤは再び眠りについた。
室内には焦げた匂いと、残留する白い残光だけが漂っている。
男は呆然としながら、計測データを確認する。
「……あり得ない。あの瞬間、彼の意識は艦外にまで到達していた。
まるで、別の座標と繋がったように……」
ハイドウは歯を噛みしめ、カプセルの中のチハヤを見つめた。
「お前……何を見ているんだ……」
遠く、まだ消えきらない白光が、
艦の外壁を透かして宇宙に滲んでいた。
その光は、次の“門”の位置を示すかのように揺れていた。
***********************
——白光の中、音が遠のいた。
視界は揺らぎ、上下の感覚すら失われていく。
重力も痛みも、何もかもが剥がれ落ちていくようだった。
気づけば、そこは“海”だった。
白く光る波面がどこまでも広がり、空もまた白に溶けている。
チハヤは膝をつき、息を吐いた。
息が霧になって消える。
「……ここは、どこだ」
声が返った。
それは、どこか優しく、それでいて冷たい音色だった。
「ここは、お前が“私”に辿り着いた場所。チハヤ、ようやく来たか」
振り返ると、そこに“何か”が立っていた。
人の姿に似ている——だが明確に違う。
人間でもなく、機械でもなく、存在そのものが揺らいでいる。
「……お前が、あの声の主か」
「ああ。“上”の層に在る私。お前の“聖痕”を統べるための、制御体。
お前の中には想定外の要素がある。聖痕の器に相応しい」
”それ”の視線が、チハヤの背後を向く。
そこに、もう一人の“チハヤ”が立っていた。
黒い水滴を纏い、無言のままこちらを見つめている。
瞳には激情の色——怒り、恐怖、そして、否定。
「……違う。こいつは俺だ」
もう一人のチハヤが低く笑った。
「なぁ、お前、俺たちを操る気なんて、最初からあったんだろ」
「操る? 違う。統合だ。お前たちは“器”——聖痕の網を繋ぐための神経になるべき器。
痛みも、記憶も、ただのデータに過ぎない」
チハヤは立ち上がる。
足元の白い波が、黒に染まっていく。
胸の奥で、二つの心臓が同時に脈打った。
「俺の記憶が、誰かの計画の一部だとしても……“俺が感じた痛み”は俺のものだ」
「感情は、不要」
「なら、俺はおまえの計算を壊す」
黒いチハヤが一歩踏み出す。
白の世界が軋み、ひび割れる。
人ざらぬ白い姿が手を伸ばす。
「やめろ。お前が抗えば、この意識層は崩壊する!」
「上等だよ。俺は“俺”を取り戻すためにここにいる!」
白と黒の光がぶつかり、海が波打つ。
空が割れ、裂け目の向こうに現実世界の光景が覗いた。
研究区画のガラス、チハヤのカプセル、ハイドウの叫び——
すべてが反転して見える。
その中心で、チハヤは叫んだ。
「俺は、誰かの模造じゃない!“自分”として、生きたいんだ!」
その瞬間、黒い自我と白い形のモノが同時に動いた。
黒が拳を、白が掌を伸ばす。
両者の衝突点に、チハヤの意識が吸い込まれる。
光と闇が混じり合い、やがて一つの色になった。
蒼——。
その色は、静かで、確かで、どこまでも“彼”自身のものだった。
声が波に溶けた瞬間、現実のカプセル内でチハヤの指が動いた。
脳波の暴走が止まり、センサーが静寂を告げる。
ただ、彼の瞳の奥にはまだ微かな蒼光が宿っていた。
しかし。
目を閉じていた筈のチハヤの目が突然見開き
ガラスカプセルに手を置くと…手中のステラコアが輝いたかと思えば
そこからヒビが入り…粉々に吹き飛ばしてしまった。
透過液は流れ出し、一面に液体が広がってゆく。
「チハ…ヤ?」
吹き飛ばされたハイドウが見たチハヤは——邪の笑みで微笑んでいた。




