Rd.13 誓約のフォーメーション
ミナモはキンと冷えたドリンクのボトルを手に持ちながら、
ふぅ、と長く息を吐き出した。
身体は揺れがひどかったせいでずっと重く、
ふらふらする感覚が残っている。
ドリンクを一気に半分ほど飲み干すと、その冷たさが体内にじんわりと広がり、
意識がほんの少しだけ鋭くなるのを感じた。
「俺たちも一旦コックピットに戻って、少し仮眠しよう。明日は突然だけど、出撃要請があるんだから」
艦内の空気はいつもより乾いて、
金属の冷たさが皮膚の感覚を刺すようだった。
ミナモとキョウスケは碧と白が混じった
巨大な機体のコックピットに滑り込み、
シートに背を預けた瞬間、
微かに耳鳴りのような振動が体内を伝った。
操縦桿を握る手に、戦闘前の緊張が静かに重くのしかかる。
AIルゥを起動すると、手のひらサイズの少女のホログラムが光を帯びて現れた。
その無邪気な笑顔は冷たい機械空間の中で唯一の柔らかさをもたらすものだった。
ルゥはステラコアを通じて二人のコンディション情報を取得しており、
微細な変化も見逃さない。
「OK!今日の調整もバッチリ!ルゥが全部サポートするから――」
――ね!と、言いかけた瞬間、ルゥの表情が一瞬だけ曇った。
眉が小さく寄り、瞳が光を吸い込むように揺れる。
「ミナモ、ステラコアの奥に……なんだろう、いつもと違う光があるよ?なにこれ……」
「えっ、光?」
「この光……温かくて、まるで別の生命体みたい……でもどこか安心できる」
ミナモは一瞬息を呑んだ。
胸の奥に秘めてきた秘密を、もう打ち明けるしかない――
ルシアの存在は、幼馴染のキョウスケしか知らない。
だがマシンAIの解析能力は、人間の目や感覚では到底欺けないレベルに達していた。
「実はルゥ……俺の胸の奥に、誰かいるんだ」
ルゥは小さな体をミナモの胸元に近づけ、光を覗き込むように瞳を細める。
「やっぱり……この波動、聖痕のデータに似てる。ルート姉様が言ってた“テラダの記録”とほとんど同じだよ!」
――微かな空気の振動が、コックピット内に広がる。
微粒子の光が揺れ、システムの計器が一瞬だけチリ、と音を立てた。
淡い光が収束し、少女の姿がゆっくりと物質化して現れる。
「わぁ!本当に光の子だ!可愛い~!初めまして!ルゥだよ!」
「はじめまして。私はルシア。驚かせてごめんなさい、ルゥ……あなたがミナモの機体AIなのね?話は聞いているわ」
ルゥは瞬きもせず、ルシアの瞳を見据えた。
「お姫様って……貴方のことなんだね!ステラコアを通して全部知ったよ。貴方の星のことも、聖痕の力も」
ミナモは息を整え、静かに尋ねる。
「ルシア……話してくれないか?聖痕のこと、全部――」
ルシアは瞳を閉じ、長く息を吐いた。
そして、覚悟を決めたかのように唇を開く。
その声音には、隠し続けてきたものを放つ覚悟と、ほのかな震えが混じっていた。
「聖痕は……ただの“守る力”じゃないの」
ルゥとキョウスケが同時に息を呑む。
「聖痕は、私たちノクティリアの王族が代々受け継いできた“分け身”。
星の核に繋がる生命そのものの断片なの。守るだけじゃない。
私の命も、意識も、すべての記憶も、その人の中に残る。だから――テラダさんの中に、私の力だけじゃなく“私自身の欠片”が刻まれてしまったのよ」
コックピット内の空気が凍りつく。
「聖痕を受け継いだ者は、やがてその欠片に侵食される。身体も精神も、本来の持ち主と同調し、やがては――“私になる”。
テラダさんが暴走したのは副作用じゃない。彼は今も、私と同化し続けているの。いずれ完全に……私に“上書き”されてしまう」
ルゥは震える声で呟いた。
「じゃあ……聖痕は“守るための奇跡”なんかじゃなくて、“乗っ取り”……?」
ルシアは首を横に振る。
「違うわ。元はあくまで、星を守るための力。けれど何百年も受け継がれるうちに、その本質がねじれてしまった。だから私のような存在は、もう星にはいない。私で最後なの」
キョウスケが眉をひそめ、低く吐き捨てる。
「つまり……お前はミナモを守れる。でも同時に……ミナモを“侵す”ってことか」
ルシアは視線を逸らさず、真っ直ぐにミナモを見つめ返した。
「……そう。だから本当は、あなたに近づくべきじゃなかった。でも……出会ってしまった。私はもう、あなたを手放せない」
淡い光がルシアの体を揺らめかせ、微かに空気が震える。
ミナモは拳を握りしめ、胸の奥で高鳴る脈動を必死に抑え込んだ。
ルゥが強く叫ぶ。
「ミナモ、駄目だよ!聖痕の侵食が本当なら、そのまま宿れば意識も身体も……!」
キョウスケも眉間に深い皺を寄せ、低く声を落とす。
「お前、自分が何に巻き込まれてるか分かってるのか?ルシアは悪くなくても、力そのものが危険なんだぞ」
だが、ミナモは二人の言葉に答えず、ゆっくりと拳を握りしめた。
胸の奥に宿る脈動を確かめ、目を閉じる。
「……知ってたんだ」
静かな声だった。だが奥には揺るぎない響きがあった。
「最初にルシアの声を感じた時から、危ないことぐらい分かってた。でもな――俺は、あの日……助けてもらったんだ」
ミナモは目を開け、まっすぐルシアを見据える。
瞳には迷いを振り切った碧い光が宿っていた。
「俺はもう決めたんだ。俺の中に聖痕が宿ったとしてもルシアを信じるって。どんな力でも、どんな過去でも、俺の隣にいるのはルシアだ。誰が何を言おうと、俺は一緒に戦う」
ルシアの目が大きく見開かれ、その光が一瞬震え、涙のように揺らめく。
ルゥは両手を胸に当て、強く拳を握りしめる。
キョウスケも短く息を吐き、眉間の皺を緩めた。
「……相変わらず、無茶なやつだな。だが、それがミナモか」
静寂が再び訪れる。
しかし先ほどの冷たさとは違う。そこには決意の熱があった。
その時――
ブリーフィング用の通信ランプが赤く点滅し、
甲高い電子音がコックピットに鳴り響いた。
《全機に告ぐ。緊急出撃命令。目標宙域に敵艦影を確認――即時発進せよ!》
艦内に響くその声は、まるで壁や床までも震わせるかのように鋭く、重かった。
通路を走る整備兵たちの足音が遠くで混じり合い、警告灯が赤い帯となって空間を染める。
その赤は、戦いの色であり、決して甘い帰還を保証するものではない。
ルゥのホログラムが青白く輝き、各システムが一斉に稼働を始めた。
冷却ファンの低い唸りが増幅しエネルギーコアの鼓動が
コックピットの床を通してミナモの足裏に伝わる。
胸の奥の光がそれに共鳴するように脈打ち、ルシアの輪郭が淡く揺れる。
「出撃するよ、ミナモ!キョウスケ!」
ルゥの声が震えていたが、その瞳は真っ直ぐに見ている。
「行くぞ、相棒!」
キョウスケが操縦席の隣でシートベルトを引き締め、
指先が僅かに震えているのを自分で押さえ込んだ。
ミナモの胸の奥では、ルシアの光が淡く脈打つように揺らめいていた。
それは夢のように儚く、触れれば消えてしまいそうな不確かさを孕んでいるのに、
それでも確かな温もりを放っている。
《……怖い。だけど、あなたとなら――》
短い囁きが鼓動と重なり、ミナモは思わず操縦桿を強く握りしめた。
金属の冷たさが掌に食い込み、その感覚が逆に自分の存在を確かに繋ぎ止めてくれる。
艦内放送の電子音が再び鳴り響き、鋭い声が全機に命令を下す。
その声は、壁や床までも震わせるほどの力を帯び、空間を覆い尽くす。
赤い警告灯が規則正しく点滅し、その度に空気そのものが緊張を深めていくようだった。
格納庫全体が低く唸りを上げ、ステラコアの鼓動がコックピットの床を通じて足裏に伝わる。
その振動に呼応するように、ミナモの胸奥の光が強く脈動した。
「出撃するよ、ミナモ!キョウスケ!」
ルゥの声が震えていたが、その瞳だけは真っ直ぐに二人を見据えている。
「行くぞ、相棒」
キョウスケが低く呟き、シートベルトを引き直した。
恐怖と覚悟が入り混じったその横顔を見て、ミナモの胸に熱が灯る。
《あなたはひとりじゃない。私が、ここにいる》
ルシアの声が再び胸の奥で囁く。
それはまるで心臓そのものが言葉を発しているかのように、確かな温もりと共に響いた。
ミナモは静かに目を閉じ、そして碧い光を宿した瞳で仲間たちを見据える。
「――キョウスケ、ルシア、ルゥ。全員で、必ず帰るぞ」
その声は小さく震えていた。
だが、その震えすら決意の一部として燃え上がり、コックピットを満たす冷たい空気を少しだけ熱く変えていた。
やがて振動が増し、機体全体が低い唸りを響かせながら発進シークエンスへ移行していく。
コックピットを包む静寂は、次に訪れる嵐の前触れであり、
全員の心臓が重なる音がかすかに聞こえるほどの、張り詰めた静けさだった。
――出撃の時は、すぐそこに迫っていた。




